生命の発動としてのあなた♪(マスターへの依存)

写真:山村琴美

写真:山村琴美

あっと言う間に大晦日になりました。皆さん、一年を振り返っていらっしゃいますか? このブログを年明けに読んでいる方もいらっしゃるでしょう。新年は、なんとなく新鮮な気持ちを運んできてくれますね。

さて今回も、コメントにお返事させてください。コメントをありがとうございます!

機会があれば是非伺って見たいことがあります。いわゆるスピリチュアルジャーニー、と言われる人達やマスターの教えというよりは、マスターに依存対象が移っただけに見える人々達についてです。自身がそうだからなのか要素があるからなのか嫌悪感を覚えます。カルト信者と何が違うのかとの疑問も湧いてきました。

とても鋭い疑問だと思います。というのも、お酒やチョコレートへの依存は分かりやすいのですが、スピリチュアルへの依存は、意外に分かりにくいと思うからです。

お酒などと違ってスピリチュアルは、「ワンネス」「無条件の愛」「精神性の向上」「真実」といった言葉が散りばめられているため、依存しているというよりは、自分にとって良いことをしているという気分になりがちです。

大きな意味で言えば、自我(エゴ)自体が常に中毒、または何かに依存しています。つまり、「私と私の人生に関するストーリー(思考)中毒」なんです。私はうまくやれているか?私はこんなふうだ、私の人生はこんなんだ・・・と、基本的に自我は「私中毒」です。そして、もし今その私や私の人生がハッピーなものでなければ、幸せにしてくれる何かが必要になります。

またたとえ、今幸せだったとしても、それを維持する必要があります。なぜなら、何かがうまく行かなくなったり、失ったりすれば、幸せも消えてしまうからです。つまり、自我は常に幸せを自分以外の何かに依存しなければいけないんです。

しかし、自我が気がついていないことは、自分が心の底から望んでいることは、分離感から解放されることで、それは「今ここ」にあるということです。

ところがそんなこと誰も教えてくれないどころか、何かを得ることが大切だと周囲から私たちは教わってきます。ですので、「今ここ」を離れ、さらなる収入、素敵な彼、成功、権力、美しい容姿、または素敵な自分になること(自己変革)、または至高体験をすることなどなど、今ここにないものを求めます。

しかし、ある意味宝を探しだすのに、宝がある「今ここ」を離れて探しに行くようなものなので、この旅は必ず失敗に終わります。欲しいものを得たとしても、また足りない感覚(分離感)か、または見ないようにしていた感情がうずいてきたり。するとたいてい「今ここ」ではなく、またさらなる満足を求めて外に出かけます。なにかもっと自分を幸せにしてくれるもの。もっともっと・・・と。

さて、マスターへの依存という話に戻ると、もしあるスピリチュアルリーダー(または自己啓発の先生など)の話によって、自分の長年の悩みが吹っ飛んだとします。すると、その気持ちよさにすっかりはまり、もっとそばにいたい、もっと教えて欲しい、もっと癒して欲しい・・・となっていくことは良くあるでしょう。

グルやまたはその教えが自分を幸せにしてくれたと思ってしまうんですね。自分を幸せに導いてくれるメッセージや教えはもちろんあるでしょう。しかし、実際に自分を幸せにするのは、自分しかいません。この違いは大きいです。

スピリチュアルな教えや非二元の教えは、美しい言葉で自分の中の欠けた感覚が埋まったように感じたり、または扱いきれない感情に一時的に蓋をしてくれたりできるでしょう。もちろん、スピリチュアルなメッセージに耳を傾けるのがいけないという話ではまったくありません。

ただ、自分を見つめることをせず、美しい言葉に酔い、誰かの教えをただ実践していれば、私は大丈夫、私の精神性は向上する、波動が高まって良いことばかり起きるようになる、私はスピリチュアルな善人になれる、またはいつか悟れると思っていると、だんだん依存になり始める可能性がありますね。

また、無条件の愛を実践するために励んでいる私、真実を学んでいる私といったセルフイメージは、気持ちが良いものです。もしかすると、そういうことをしていない“普通”の人たちより、私は先に進んでいるという優越感もあるかもしれません。

また、往々にしてメッセージを発する人にポジティブ投影(自分にないものをこの人は持っている)し、神格化し始めることも多いでしょう。

メッセージを発する側も自分をきちんと見つめていないと、ポジティブ投影されていることに酔い始めてしまうかもしれません。そして、その投影されたイメージを守ることのほうが大切になってしまい、メッセージや言動に曇りが出てくることもありますね。

何かに依存するという意味では、対象がグルであれ、お酒であれ、まったく同じです。ただ、スピリチュアルや非二元の教えへ傾倒は、一見とてもポジティブに見えて気がつきにくい分、ある意味たちが悪いかもしれません。

年明けて私自身さらに深めて行きたいなぁと思っていることは、“私から自由になる”ことです。自我、自我と連発してきましたが、自我は存在しないと見抜いていくことですね。言葉って難しいですね。“私が私から自由になる”という言葉がすでにかなりの矛盾。ふふ。

でも、私から自由になるということは、何かを得るために頑張って生きる生き方ではなく、もっともっと軽い生き方に移行するということです。

私にはこれがない、だから、そのためにあれこれ方法を実践して、そして得るのだ・・・・という従来の考え方ではなく、ハートから沸いてくる思いにただ従い、現れてくる一瞬、一瞬を楽しみ、実行していこう、私は生命の流れなのだからという生き方です。

たとえば、私自身は現在、心理学やカウンセリング、セラピー教えたり、ハートサークルの活動をしたりすることがとても楽しいです。そして、それらは生命のエネルギー(空、大いなる意識、神、etc)が溝口あゆかという現象を通して現れている形なんです。

もし、私が私の仕事は、“私”が工夫し、頑張って築き上げてきたものだ、それが私であって、私の人生だと思い込んでいたら、私は自分の仕事を維持し続け、成功させたいと強く思うでしょう。そして結果に執着し始めてしまいます。

そうすると、最初は純粋な楽しみ、やりたい♪が、いつの間にか「維持し続けなければ」「成功させなければ」と「ねばならない」になって行きがちですね。そして、私の幸せは仕事が続くこと、成功することに依存し始めていきます。

でも、私がそれを手放し、大いなる生命のエネルギーにゆだねたとき、私は何にも依存しない真の安心感を得られます。そして、ものごとはなるようになり、必要なものは与えられでしょう。もしかすると自我的には、なんだかつまらないように感じるかもしれません。

しかし、もしそうなったら、あなたの心はとても軽く、頑張って獲得し、維持する幸せから、自分自身を表現する幸せ、生命の発動の喜びにと変わっていくでしょう♪♪

♥ 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます 

生命の発動としてのあなた♪(マスターへの依存)」への11件のフィードバック

  1. あゆかさん、こんにちは。

    今朝目が覚めて、ベッドの中で「マスターへの依存執着の根っこにある不安感を見つめて溶かそう」と決意した後、あゆかさんが更新されたブログのタイトルを見て、起き掛けに早速拝見しました。
    何だかとってもスッキリしました!ありがとうございます!

    私中毒」とはまさに、私が嫌悪感を抱いている人のことであり、それはそのまま私自身でもあることに気付きました。「私中毒」の私にとって、「幸せにしてくれる何か」とはマスターであり、自分を幸せにするために、いかにマスターに依存執着していたかに気付かせていただきました。
    「マスター中毒の私は、私中毒だったのだ、私って中毒だらけだな・・・」と思うと、ふと可笑しくなって、つい噴出してしまいました。

    また、ここ最近、「私は、ないものねだりだなぁ。いつ、どこで、どんなことをしても足りず、今ここに満足しないんだなぁ」と感じていたところを、そのままストレートに表現して下さったので、「そうそう!その通り!」と、とってもスッキリしました!有難うございました!

    更に、マスターの傍にいることで実践している「つもり」になっている自分に気付き、マスターから離れ、依存執着の根っこにある自分自身の内面に巣食う不安感を見つめて光に溶かそうとして努力している今の自分は間違っていなかったのだ、と思うことが出来ました。有難うございます!

    そして、極めつけは、私から自由になる生き方です。あゆかさんの文章を読んで、まさに私が憧れる生き方、私もそうなりたい!と強く心の底から思いました。
    今の私は、大学時代に興味を持った職場に運よく就職した後、既にその分野に大半の興味を失っているのにも関わらず、経済力を失うことが怖くて同じ場所に依存執着しているのですが、そのような不安や恐れに立脚した生き方からは脱却したいと思いました。いきなり転職するなどというドラスティックなことはできないけれど、今すぐ出来ることから、例えば、今日食べたいと体が求める料理を素直に料理して食べる、というような、自分の生命の発露を大切にする生き方を実践し、少しずつ増やしていきたいと思います。

    2013年の最後を彩るにふさわしい、気付きの宝を沢山散りばめた記事を更新して下さり、本当に有難うございました!
    本日の投稿は、何度も何度も読み返して、今日感じた歓びを繰り返し味わいたいと思います。
    本年もどうぞよろしくお願いいたします。

  2. あゆかさん、こんにちは。
    今回のトピックに取り上げて頂きありがとうございました。

    エゴの対象が、恋愛や金、権力など一般的に”欲”と思われるものでなく、一見崇高な響きを感じる”スピリチュアル”なものに移っただけなのでは….とモヤモヤ感じてたものを言葉にして丁寧に説明して頂きとても感謝です。

    ポジティブ投影。痛い言葉です。無意識に任すと年中やってますw そしてお馴染みのドラマを作り、演じ….

    あゆかさんのブログが単純に好きなのは、自分を幸せにするのは自分しかいないんだよー♪というスタンスで言葉を発しているのが感じられるからなのかなって思いました。

    私の今年の宝は、私は”今ここ”に在ることを意識して過ごせるという気づきでした。

    あゆかさんの新しい1年が”私から自由になる”でありますように(^人^)
    来年もブログ更新楽しみにしてます!
    どうもありがとうございました(*^^*)

  3. 生命のエネルギーが私という現象を通して現れている…
    よく分かります。
    そしてこれを深いところで理解していると、とても軽やかでうきうきしますね。
    たまに忘れるとホントどんよりします(笑)。このどんより感、滞った感じと病気は密接に関係があるように思います。

    今年もたくさんの気づきをありがとうございました。
    来年もあゆかさんらしい活動をなさって下さい☆

  4. あゆかさん 
    こんばんは。
    去年のこの時期に、「いっそテムズ川に沈んでしまいたい!」(←ロンドン在住です)と思っていた辛くて辛くて仕方がない時に、あゆかさんの存在やブログを知りました。それ以来、過去のブログも毎日拝読し、著作も拝読させて頂き、自分の内面を見つめる、という今まで知っていたような、でも表面上しか知らなかったことをじっくり考え、自分と向き合い、自分の生命を感じる、ということを繰り返し行っています。(あゆかさんのおっしゃること、すとんとお腹におちる感じで、いつもうーん唸っています!) 今年は去年よりも大変な年ではありましたが、それを通じて私が何を感じたのか、ということを見つめています。もう何が起こっても怖くないです(笑)。「こんなに私は頑張っているのに、何も持ってない私」、「私は何もやってもうまくいかない」など思い、落ち込むこともありますが、それでもその中の本当の私を見つけたい、感じたいと思っているのです。今は過去のことに悩むよりも、現実の「今」を一生懸命生きているように感じる自分もいます。
    あゆかさんには、紙やウエブなどの媒体を通して、本当に本当に助けられました。本日アップされた記事も、とても胸に響き、何度も何度も読み込みたいなと思います。

    いつかお礼をお伝えしたい、と思い、この年末にコメントを残させて頂きました。この出会いに感謝です。いつかお会いした時に、直接お礼をお伝えしたいなとも思います。

    これからのご活躍もお祈りしています。良いお年をお迎え下さい。

    • numinさん、とても嬉しいコメントをありがとうございます!年明けの素敵なプレゼントになりました。この仕事をしていて良かったと思える瞬間です。

      >それでもその中の本当の私を見つけたい、感じたいと思っているのです。

      numinさんの中の真実が目を覚ましてきたんですね。素晴らしいなと思います。

      今後もぜひブログをお読みくださいませ♪

  5. わあ、わかりやすい!
    私もすこしスピ中毒でした。

    ホ オポノポノに落ち着き、思い出してはクリーニングの日々です。

  6. こんにちは。
    いつも楽しいblogをありがとうございます。

    昨年冬の大阪のあゆかの部屋の時に、廊下でEFTのセットアップフレーズとリマインダーについて質問させて頂いたものです。その節はありがとうございました。

    加えてEFTについて質問させて下さい。

    シンプルな「○○(例:濃い青の不安)があるけれど、わたしはわたしを受け入れます・愛します。」の場合、これを言う「わたし」は意識的なエゴというか、エゴのわたしを観察しているわたしに近い存在、さらにエネルギーの滞りが流れて不安が放たれ「愛します」と無条件の愛の感覚になった場合のわたしは、気づきのところに限りなく近づいているわたしととらえていいのでしょうか?

    また、リマインダーで、具体的なポジティブワードを用いている場合(例:安心して他人と交流できる)は、それはエゴのわたしが「ない」とみているものを「ある」にかえようというもので、そのワクワク感にシフトした場合は、ネガティブからポジティブに移動しただけの可能性があると考えてもいいでしょうか?

    つまり、シンプルに受け入れ愛しというのは非二元論に近い状態に、ネガティブからポジティブへの移動は二元論のままということでしょうか?

    よろしくお願いします。

    • こんにちは、セミナーにご参加頂きありがとうございました!

      さて、ご質問の件ですが、EFTは感情を解放するセラピーのテクニックなんです。ですので、非二元とはまったく別物と考えてくださいね。また、基本的に最低3日間かけて学ぶものですので、もし使えるな、もっと知りたいなと思ってくださった場合は、コースを受けることをお勧めします。廊下やブログでセラピーのやり方を説明するのは、とっても限界がありますので。そして、できるだけご質問はセミナー中にお願いしますね♪
      (休み時間は私にとっても休憩時間なんです)

      • ご回答ありがとうございます。

        ふと、疑問に思ったのですが、「質問があるのですが」というようなお声をかけた時に、断ってくださっても、あるいはこの後全体でするように仰って下さってもよかったのに、なぜ休憩中なのにという思いをもたれながらお答えされたのだろうか?
        ここでコメント返信の機会がなければ、わたしは知りうることのできないことだったので、違和感を感じました。

        まぁ、単純に言えば、なーんだ、その時に仰って下さればよかったのに、
        ということです。
        「その時に、気が利かなくてごめんなさい。」
        です。

        • 追伸

          今回は流れの中で参加できたのですが(遠方に居住)、今後の参加はない可能性が高いので、一期一会といいますか、すべてが最初で最後といいますか。そんなことを思ったのでした。

  7. 明けましておめでとうございます♪

    あゆかさんが何年もブログを更新し続けて下さるおかげで、”自分と向き合う事” ”ハートの声に従う事”を忘れずに、また、投げ出してしまわずにいることが出来ているのだと思います。

    今年もブログの更新、あゆかさんのご活躍を楽しみにしております♪

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