“分からない”が持つパワー

先日、最寄の駅を降りると、年配の男性のホームレスさんが、帽子を地面に置いて物乞いをしていました。ロンドンでもそんなホームレスの姿は多く、私は衝動に駆られたときだけお金を置いたりしています。その日もなぜか、お金をあげたいという衝動に強く駆られました。近づくと帽子には150円しか入っておらず、私は500円玉を素早く置いてその場を立ち去りました。すると、駅中に響き渡るような大きな声で「ありがとうございます!」とお礼を言ってくれたのです。地面に顔がすりついてしまいそうなほど、うなだれていたその人から、そんな大きな声が出るとは思わず、私は驚いてしまいました。

しかし、その声は私のハートを直撃し、私は彼で、彼は私だという真実が全身に飛び込んできました。その晩、私は何度も体をめぐるエネルギーに起こされました。うとうとすると、ハートをどん!と通り抜けるエネルギーにショックで目がぱっちり開いてしまいます。どうも、あのホームレスの彼が私のハートをまた一つ大きく開けてくれたようです。

さて、「悟りについて語ろう」のセミナーにご参加いただいた素敵な感想、そして素晴らしい気づきをシェアをコメントやメールで頂き大変ありがとうございます!こののりで今日も非二元について・・・、下記のコメントにお返事させてもらいます。コメントありがとうございます!前半が長かったので省略させて頂きました。

<省略>私のプチ体験だけでは、自分が肉体ではなく、この空間だったんだと言うことははっきりしましたが、それ以上のことは、わかりませんでした。後は、スピ系の時に読んだ本や、覚者と言われる方の本や記事で推察しているようなものです。しかし、これも、思考であり、現象世界のことで、もしかすると覚者の観念かもしれないと思ったりしてしまいます。<省略>大変失礼な質問になるのかもしれないのですが、あゆかさんの体験は、あゆかさんが悟りについて書いておられることすべてを、説明できるようなものだったのでしょうか?それとも勉強され、自分で整理されたことなのでしょうか?あゆかさんの答えておられることにはとても説得力もあり、またやさしい受け答えや知性にいつも感動しています。そして、悟りとそれ以外を分けて考えておられる点も共感できるものです。単なる疑問としてお受け取りください。

悟りマニア(?)しか面白がらないかもしれませんが、このようなご質問とても楽しいです。気を使ってくださった書き方をなさっていますが、とても真面目で真摯な姿勢が感じられます。

このご質問はものすごくよく分かります。覚醒体験をしたとき、私は体とはまったく関係なく、あらゆることや物には名前がないほうが本当で、すべてはありのままにただあるだけで、そしてあるがまま=愛であり、今まで何一つ起きていなかったし、私は大いなる意識でどんな出来事にもまったく影響を受うけないと知りました。

なにもコメントの方よりももっと体験したと自慢したいわけでは全くありません。これだけ体験しても、自我の意識に戻ったときには、この方のように分からないことだらけだったのです。例えば、あれほど強烈に「今まで何一つ起きていなかった」と体験したのに、自我意識に戻るとすべてがあたかも実体をもっているかのように感じられ、なぜあのように感じたかが分かりませんでした。また、真実が自分の中で鳴り響く一方で、自我が様々なことにものすごく反応し、体験前よりも自我が荒れている(笑)状態となりました。真の意識と自我の意識が同時に存在し、両極端の世界に片足づつつっこんでいるような、どっちつかずのリンボー状態が続き、非常に心地悪く感じました。

そこで、私は良い先生を探すことが必要だと強く感じ、あちこちの非二元のセミナーに出かけたのです。非二元のセミナーで先生が語る言葉を目を閉じながら体感していき、また、質問する人たちへの答えを聞きながら、長い話はここで省いて、結果的に「私はすべてである」とか、「時間は存在しない」ということを体験していきました。

覚醒体験自体は、過ぎては去っていく一つの体験ですが、しかし、真実を垣間見ることができたのは、大きなプレゼントだったと思います。なぜなら、先生の語る言葉が頭ではなく、体を通った理解に直接持って行けたからです。(体を通ったという表現をしていますが、苦し紛れの表現で、そういうことでもありません。)

とくに私の先生、ルパート・スパイラさんにはだいぶ助けられました。他にも、ウンマニ、ダリル・ベイリー(←来年、ナチュラル・スピリットさんから私が翻訳します。)さんといった先生たちの話もとても役に立ちました。彼らは、自我レベルの話を一切しないので、ある意味とても分かりやすいのです。

非二元の先生のスタイルがあると思いますが、真実をベースに人がどうより良く生きていくかという話をするタイプと、真実オンリー(主体は存在しないので、どう生きていくかという話にそもそもならない)のみ語る先生がいると思います。私には、真実のみ語る先生が、悟りの体験を深めるには、とても役に立ちました。

ということで、多くの非二元の先生(覚者)たちに会った私の経験からすると、彼らが語ることは観念ではなく、彼らが明らかに真実を見て語っていると感じます。もし観念であったら、私を導くことはできなかったと思います。

このところ、覚醒体験をしました!というご報告(?)、話(?)をよく聞きます。インテグレイテッド心理学上級のエクササイズを毎日していたら、体験をしたという方もセミナーの後にご報告頂きました。確実に目覚めへのシフトが広がっていると感じ、とても嬉しくなってしまいます。

ただ、 “私の非二元の目覚めへの旅”も皆さんの体験や気づきも壮大で美しく、ミラクルな現象の一つであって、そこに旅している人は誰もいないんです。エネルギーで起こされたという話も、ともすれば、特別視されるかもしれません。しかし、それも現象の一つであって、過ぎていくものです。

さて、非二元に関して、勉強して整理するということは不可能です。無理です。ですが、今回お薦めの本はないか?という問い合わせをいくつか頂きました。私はいつも英語で読んでいるため、お勧めできる本があまりないのですが、日本語訳になっているなかでは、アジャシャンティさんの本が良いかなと思います。そもそも非二元が言語化することに限界がある上に、英語に合う日本語がないという限界もあり、どうしても原書と比べると読みづらいです。でも、これは仕方がないですね。

また、ユーチューブの動画も見つけました。http://www.youtube.com/watch?v=R76muW1wyk0 字幕をつけてくださった方は存じ上げませんが、有難いことです。アジャシャンティさんのセミナーにも行きましたが、シャープな受け答えのなか、とても愛を感じさせてくれる方でした。

非二元を頭で理解することは不可能ですが、それでも本を読んだり、先生の話を聞いたり、知っていくことは大切だなぁと私は思います。真実を指差してくれる先生たちの言葉は、やはりとても貴重です。

あぁ、それにしても、真実とはなんて分からないことだらけなのでしょう!真実を前に自我はひれ伏す以外ありません。しかし、この“分からなさ”がつきつけられたとき、それがこんなにパワーを持ち、奇跡の美しさで満ちているとは!

私たちが(頭で)分からないことは、なにも真実だけではなく、明日はどうなるのか、自分のやっていることは将来何かにつながるのか、今やっていることがいつまで続くのか・・・、人生は実は分からないことだらけです。

でも、その“分からない”状態に安住できるようになったとき、エゴは緩み、残るのはただハートの声だけとなるでしょう。そして、ハートは今までまったく知りえなかった新しい生き方、真実へと連れて行ってくれますね♪

“分からない”が持つパワー」への8件のフィードバック

  1. あゆかさん、こんにちは。
    大阪のあゆかの部屋に参加したものです。公開カウンセリング、とってもよかったです。私は勇気が出ずに、手があげられなかったのですが、前に出られた方の話を聞いていたら、まるで自分のことのようで(お一人だけでなく皆さん)あゆかさんとのやりとりを聞くうちに、私の中でも癒しが起こりました。また、こんなに普通にちゃんとしている、素敵な大人に見える人たちにも、私と同じようなトラウマがあったり、頭でわかっていてもストーリーにはまって、苦しんでいるのか…と知り、あれ?これじゃあ私だけが、悲劇のヒロインしてるって訳にもいかないなぁと思い、ストーリーにはまってるときの自分がバカバカしく思えてきて、もういいじゃんという気持ちにもなりました。悟りの話も、今まで聞いたり読んだりした中で一番わかりやすかったです。何よりも、念願のあゆかさんにお会いできてうれしかったです。(ブログや本は5.6年前から読ませてもらってました)
    ありがとうございました!

  2. >真の意識と自我の意識が同時に存在し、両極端の世界に片足づつつっこんでいるような、どっちつかずのリンボー状態が続き、非常に心地悪く感じました。

    私はもう随分長くこの状態のような気がします。
    「悟りたい」という思いがなかったため、自分に何が起きているのかわからないまま、両極端の世界に対する居心地の悪さだけがあって、自分はおかしいのではないかとも思ったりしました。
    いまでも本当にわからないことだらけで混乱することもありますが、わからないものはわからないとも思えるようになり、体験そのものを楽しめばいいのかなと思うようになっています。
    「わからない」状態に安住できる日がいつか来ることを楽しみにしながら。。。

  3. あゆかさん
    コメントの記事掲載ありがとうございます。
    あゆかさんのお答えは、大変参考になりました。
    あゆかさんのおっしゃるように、はじめ、真実オンリーの方とそれ以外生き方も含めての方が
    混在していることもあって、混乱してしまいました。
    現象世界は根拠もなくすべて信じられないのかな…と。
    ただ、最近は、現象世界で覚醒体験者が増えているというのが
    非ニ元の世界観と現象世界を結びつけていて、
    なまじスピ系現象世界も嘘じゃないと、変な安心をしてみたり、また探求がはじまりそうです。
    でも、わかりたいもエゴなので、覚醒からは遠ざかるように思いますが、
    それも気が済むまでは、いいかな〜と思ったり。
    これから、日本でも覚醒体験した人のフォローができる先生が
    現れるといいなぁと思います。

  4. あゆかさんこんにちは。いつも楽しく拝読しています。
    私も最近エネルギーが身体を駆け巡る感覚で目が覚めることが度々あります。
    けれども困ったことも起きています。人の感情を強く感じるようになりました。もともと敏感な質だったとは思いますが、それが衝撃波のようだったり、冷たい感じだったり、声として聞こえたり、お腹のあたりをぐうっと掴まれるような感じだったり。人の感情だとはっきりわかる時はそんなに苦にならないので、本当はみんな一つなんだ、ということの証だな、と捉えていたのですが、自分の感情と区別をつけにくいことが最近多いのです。些細なことがきっかけで無意識のうちに抑圧していた感情が突然吹き出すこともあって、それが起きたのかな、と思っていたのですが、どうもそれとは違うようで。
    ポジティブな影響の場合はいいのですが、ネガティブな場合は苦しいので、なんとかしようともがいてしまいます。
    本当は自分と他者の区別はないのだから、何かを感じてもそれが誰のものかを気にする必要はないのでしょうか。

    • ネガティブな何かを受け取った時に自分に起きる不安の反応、そこに気づいていけばいいのかもしれませんね。受け取るものに言葉や行動などの形があるかどうかは、重要ではなく。自問自答してすみません。

  5. ブログに紹介されていた、アジャシャンティさん。聞き慣れない方だったので、ユーチューブを見てみましたら、すごく面白くて、そして寝てしまいました(笑) 私の場合、興味が深すぎると眠くなってしまうんです^^;
    なので、何回も見ていますが、やはり寝てしまいます。よほどすばらしいエネルギーが放出されているのではないでしょうか!
    そして、アジャさんの本を書店で探しましたら、「大いなる恩恵に包まれて」という、今年8月に発売されたばかりの本を見つけました。早速読んでみました。
    とってもドンピシャな本でした!
    アジャさんをご紹介いただいて、本当に感謝しています。
    エゴがフィクションだと、腑に落ちました。眼からうろこでした。
    今、うろこが落ちた眼で、どう今を見て、どう私はこうどうしていくかにチャレンジしています。
    同居の義母の言動が、私にとってとてもいいトレーニングになっています。
    アジャさんを知る前と、義母とのギクシャクは同じ状況なのに、私の気持ちが全然違います。
    私は世界から切り離されていない事実を、日ごろの些細な一瞬から感じることになれていこうと思います^^
    あゆかさんが翻訳される本、今からとっても楽しみです!!
    発売が待ち遠しいです。
    いつもありがとうございます。これからも、ブログを楽しみにしています。

  6. あゆかさん、こんにちは。
    わたしも「分からない」ということが、とても気になっていました!

    最初に引っかかったのは、もう何年も前になりますが、とある本を読んでいた時の事です。
    ある世界的に有名なダンサーの方が、ワークショップの参加者に稽古をつける時に話された言葉を集めた本だったのですが、「わかりました。なにがわかったのか。」とか「わかりましたと言われると困ってしまう。」とか「われわれはあんまり合理的にわかろうとして、大事なものがぽろぽろぽろぽろ落ちてしまって、残ったものは味もそっけもないものになってしまう」とか、”わからないという事の中に留まること”にとてもこだわっておられるように感じられました。またどこかに「わたしだってわからないのに」とも書いてあったと思います。

    その当時は、どういうことなんだろう??と、ピンとこないまま、(学校教育ではずっと「分かること」を善しとされてきましたから・・)しかし何故か心のどこかに引っかかり気になり続けていました。
    ですが最近、あゆかさんや他の覚者の方がおっしゃっていることを目にするうちに、いったん「分かった」と思ってしまうと、それ以上見えなくなってしまう・・それが、わたしたちの限界になっているのかな?と思うようになりました。

    モノでも人でも状況でも、「分かった」と思ったとたん、それ以上見ようとしなくなり、感じ取れなくなる。
    「分からない」からこそ、もっと近くに寄り添いたいとか、感じ取りたいとか・・実際感じ取れたり、微細になれる、ちゃんと見つめられる?というような気がしてきています。

    わたしも「分からなさ」の中に安住したいです。

    P.S.
    今回のブログを読ませていただいていて、「今まで何ひとつ起きていなかった」「時間は存在しない」ということを体験した、と書かれていた事がとても気になりました。
    「わたしは全てである」は、今まで大海のお話などうかがっているので多少検討がつくのですが、「時間は存在しない」がどういうことなのか・・全く手掛かりがありません!
    いつか機会がありましたら体験をシェアしていただけると嬉しいです♪

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