自分が消え、愛と出会う

いろいろなセラピーや非二元のセミナーに参加することは、私の大きな楽しみの一つです。日本にいるときは、忙しくてなかなか行けないのですが、今回はすでに、EFTジャパンのブレンダさんのコースを見学させてもらい、そして、いまここ塾の阿部敏郎さんのセミナーにも参加し(日本語で聞く非二元のセミナーは初めて!楽しかった~。)、なんだかもうお腹いっぱいです。

と、思っていたら、ナチュラル・スピリットの今井社長にレナード・ジェイコブソンさんのセミナーにご招待いただき、今回はボーナスだらけです。ふふ。(11月15日イブニングセミナー、16,17日ワークショップ)

さて、今回もご質問にお返事させてください。コメントをありがとうございます!お二人の方からです。

「無条件の愛」の”愛”ですが、愛をエネルギーと置き換えても大丈夫ですか?愛というと、いろいろな意味を持つので、自分のイメージと違うと思うのです。

あゆかさんが「真の私たちは、無条件の愛である」と仰るときの「愛」はどのような意味の愛でしょうか。私は、「存在」と同義に感じているのですが…。できるだけ、あゆかさんの表現をそのまま受け取りたいので、あゆかさんが使うときの「愛」がどんな意味か示して頂けたら嬉しいです♪

言葉はほんとうに人によって定義やイメージが様々ですね。私もそのときの内容によっては、違う意味で使っていたりします。しかし、非二元の話のなかで「愛」と私がいうとき、それは、愛=生命=真実=万物(色)=万物を構成するもの(空)、あなたを生み出し、あなたをつくっているもの、です。

さて、ここでの大きなジレンマと問題が生じます。とういのは、自我が「愛」を理解する対象物として捉えてしまっていることです。「愛」を理解する対象物としている限り、絶対に真実(=愛)は見えてこないんですね。

自我は、真理を見極めたいと思い、また自我は、分離感がなくなれば良いと思っていたりします。ところが、真理が顔を出し、分離感がなくなるために一番必要なことは、自我がなくなることなんです。もっと正確に言えば、自我は存在していなかったと見抜くことです。

何かを理解しよう、把握しよう、としたとたん、私(主体)が、何か(客体)を理解するというモデルにどうしてもなってしまいます。すると、そこに主体と客体という、二元の構造ができてしまうんです。

また、私たちがよくやりがちなのは、自分なりの悟りのイメージや、自分なりの「愛とは、こういうもの」とか、自分なりの「なんちゃら」が漠然とあり、覚者の話を聞きながら、それが合っているかどうか無意識に確かめ、違っていたら修正し、という感じに自分が理解できるものにしていくことです。つまり、思考活動です。

私もやりますが、みんなもやっているはずです。そして、これはある程度までは、とても役に立ちます。やはり、なにかイメージしたり、近そうなものを想定するなど、なにかとっかかりがないと、始まりようがありません。

大海と小波の例えなども、その一例ですね。ただ、正しく捉えたら、先に進めると思いすぎていると、いつまでも真実に辿りつけなくなってしまいます。

ときどき般若心経の意味についてネットで読んでいると、ものすごい勢いで理解しようとしている、というか、頭だけで理解できると思っているんだなぁという人をそれなりに見かけます。ちなみに、般若心経の英訳はものすごく分かりやすいです。(英語では「ハート(心)・スートラ(経)」と訳されています。)漢語というワンクッションなしに、現代語で訳されているからかもしれません。

話を戻すと、私が一番愕然としたのは、「私(自我としての)は、ここにいる」という思いすら、真実を指していないと見えたときでした。体に同化しているときは、自我の私はここにいると思っているのですが、同化しないと、とたんに自分を位置づけることは不可能になります。

自分はどこにもいないし、すべての経験の中にいるし・・・・と、ここで言葉が落ちます。

インテグレイテッド心理学の上級やロンドンのカウンセリングコース(そして12月の悟りについて語ろうのセミナーでも少しやります)では、真我を感じるエクササイズをやっていますが、これらは、実は「ダイレクト・パス」という流れなんです。真我を直接に感じる問いかけやエクササイズをやるんですね。西欧では、ルパート・スパイラ(私の先生)、フランシス・ルシール(ルパートの先生)などの流れです。また、禅にも同じような流れがあるそうです。

一方、最も多いのが「プログレッシブ・パス」という流れで、インドを中心に、自我のカルマを浄化したり、精神意識を高めたり、グルのもとについて学びを高め、悟りに達するというようなやり方です。

まっ、このようなカテゴリー別けは、まったく重要ではありません。が、個人的には、覚醒体験後、ルパートさんの問いかけ、誘導のおかげで、体験的理解度、そして定着度がぐんと深まったと思います。

もう一度話を戻すと、「個としての自分がいる」という思いから→分離感覚が生まれる→何かが欠けている感覚につながる→それを埋めようと外に求める、という図式がそこから生まれますね。(インテグレイテッド心理学基礎でやりましたね。)

求めるものは、「人から認められること、人から愛されること、受け入れられること」(そうすれば、私は欠けていないと感じられる)だったり、目標の達成、仕事の成功、ソウルメイト、経済的安定などなどだったり。

世の中を見回すと、自分に満足している人より、人から認めて欲しくて頑張っている人のほうが圧倒的に多いでしょう。基本的に「個としての自分がいる」と信じて、分離感覚を持ちながら、無条件の愛を知ることは不可能なんです。

とはいえ、誰でも人生のなかで何度か自分が消えて、無条件の圧倒的な愛を感じたことがきっとあるに違いありません。例えば、素晴らしい芸術を目の前にしたとき、自分がそこにいるかどうかも、ましてや、自分は~~だ、といったセルフイメージもなく、ただ言葉を失い、あなたと作品を分けるものがまったくなくなったとき。

または例えば、赤ちゃんから発せられるあまりに純粋な笑顔に圧倒された瞬間、または、猛獣に襲われた子供を救おうと猛獣の口に自分の手をつっこんでいるとき(←この体験はしていませんが)、やはり思考が止まり、自分の存在がどうかなど忘れているはずです。

そのとき、愛は、美と呼ばれたり、暖かさ、勇気などと呼ばれるのかもしれません。

真の愛を知るために、まず自分に関する思考はすべてデタラメと思うところから始めてみても良いかもしれません。自分は、無力だとか、欠けているとか、つまらない人間だとか、または、ポジティブなセルフイメージでさえもすべて何も真実を照らしていないと。それが見えてくると、今の自分と違う人間になるための膨大な努力、または今の自分のイメージを守る努力もしなくて良いんです。

あぁ、楽チン!

さて、来週はハートサークルの活動で、気仙沼と仙台に滞在します。ので、更新ができないと思います。宜しければ、過去の記事など読んでみてくださいね♪

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自分が消え、愛と出会う」への4件のフィードバック

  1. あゆかさん教えてください。先日、チャクラのヒーリングをしているセラピストさんのセッションを受けました。私の身体の声が何て言ってるか教えてもらい、表現表現と言ってると言い、ブログや何かで発信した方が良いとのアドバイスでした。私は日頃湧いてくる思いをノートに書いていていずれ発信する日が来るのだろうと予感はしています。でも自分で身体に聞くとそれが今とは感じず、もう少し先の気がするのです。それを伝えるとそれは思考の声では?と言われ停滞のエネルギーが出てしまうとも言われました。
    自分で身体に聞いても全くピンと来ないのですが、そうなのかなぁと不安にもなり、そして焦らせるような言い方を何故この人はするのだと怒りも出てきました。
    自分の身体の声を信じたいのですが、不安になってしまい今はどうしたらいいのか分かりません。
    こんな状態の時はどうしたらいいのでしょうか。教えてください。

  2. コメントさせて頂いたあきです(*^^)
    非二元の「愛」の意味、腑に落ちました~♪

    この記事は、私が「?」と思っていたことを助けてくれるというか、
    私と真我の隙間を埋めてくれるような内容だなあと感じました。
    (本当は非二元、なのだけど(^_^;))
    あゆかさんに手を引かれて、こっちだよ~って一緒に旅してる感じになるというか。

    読んだ後、ふわふわといろんな想いが湧いてくるのですが、
    その中で、「道」という言葉が浮かんできました。
    愛を頭で理解しようとすることは、
    スポーツや芸術を頭で理解しようとすることに似ている気がするな~と。
    たくさんヒットの打てるバッティングを、頭でどれだけ分かったとしても、
    実際に打席に立って体を動かさなければ、体得することはできないように。
    理論と実践、というか。

    私は最近、東山魁夷の絵の、森の中にいる白い馬を見ると思考が止まります。
    「白馬の森」という絵だったと思うのですが、森の中でこちらを静かに見ている白い馬がいて、
    その目に出会うと言葉がなくなるんです。
    ただ静かに、「気づいている何か」を感じる、というか…

    愛を頭で理解しようとするのをやめて、思考を落として「感じる」ことを意識して過ごしてみようと思います♪
    あゆかさん、いつも気づきと、温かい言葉をありがとうございます(*^_^*)

  3. あゆかさん、こんばんは。
    大阪あゆかの部屋に参加予定の者です。
    大阪でも悟りについてのお話をしていただけるということですが、今回ブログにあった、真我を感じるエクササイズはやっていただけますか?

    12月の悟りについて語ろうのセミナーでも少しやられるということで、気になり質問させていただきました。

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