踊り手のいないダンス♪

昨日スーパーで、一万円札を落としたおじさんに、おばさんが即効で拾って渡してあげていました。すごいなぁ、日本! さて、今回もコメントにお返事をさせて頂きます。コメントをありがとうございます!

前回の記事を読んで、たったひとつの疑問が浮かびました。そして、私はその疑問を信じているんだ、と気づきました。それは、「大海は無条件の愛である」ことに対する、率直な疑問でした。なんだか、ここが分かれば(=実感できる、腑に落ちる、あるいは感覚として確信できる)、あとは素直にハートに帰れる気がします。鍵はセルフラブでしょうか?コメントしてからふと思ったんですが、愛っていう言葉のもつ概念、響きと、大海を結びつけたときにどうも違和感があるみたいです。

まずお分かりかとは思いますが、大海というのは比喩ですので、文字通り受け取らないでくださいね。真の私たちを大海に例えてみただけです。「真の私たちは、無条件の愛である」。これが、比喩なしの表現です。

では、なぜ大海という比喩を使ったかというと、大海と波の関係が、真の私たち(真我)と自我の関係を上手に表せると思ったからです。例えば、大海は、荒波が起きたとき、“荒波なんて起きるべきではない。海はつねに穏やかで平和であるべきだ”という判断をするでしょうか? 恐らくというか、きっとしていないですね。すべての波を無条件で受け入れているはずです。

真我もまったく同じで、どんな状態も無条件で受け入れているんですね。だから、自我の目からすれば、こんなひどいことが・・・ということも起きるんです。たまに、神様がいるなら、なぜこんなひどいことが起きるのだといった言葉を耳にします。もし、その問いに答えるとしたら、“なぜなら、神様は無条件だから”になります。

ポジティブなこともネガティブなこともあらゆることが起きることを許しているからです。そうでなければ、“無条件”と言えません。ですから、ある意味世の中であらゆることが起きていること自体が、真我が無条件の愛であることの証です。

と、書くと真我がまるで判断して、そして許しているように聞こえるかもしれませんが、そもそも真我は、そのような考える存在(主体)ではありません。判断している人自体が存在していなんです。つまり、判断を下す神というものは存在しないんです。

主体がいないモデル(世界観)というのは、私たちにとっては非常にわかりにくい世界だと思います。私たちは、「誰かが何かをする」というモデルを深く刷り込まれていますので。でも、これは二元の世界観ですね。

真実は、主体なしに物事は現れ、変化し、消えていきます。私たちが知っている限り、すべは変化しています。惑星も地球も山も海も、一見永遠にそこにあって、消えないように見えるものも、毎日変化をし、やがては消えていきます。

そしてこの現れている事象の壮大さ、見事なバランスを考えたとき、主体がない生命のダンスがいかに知恵で満ちているかは、想像に難くないでしょう。太陽と月、地球の関係を考えただけでも、また、人間の体のしくみを考えただけでも、どんな智慧が集まれば、このような見事な事象が生まれるのでしょうか?

なにが言いたいのかというと、私たちが、この世があるのは当たり前でつまらないことだと思っていようが、ほんとうに無条件の愛ってあるんだろうか?と疑っていようが、すでに無条件の愛と深い知恵のなかにどっぷりつかって生きているということです。

思考が世の中を分離し、出来事や自分の良し悪しを判断し、自分や世界を疑い、不安を生み出し、そして、今いる場所は嫌なことだらけだし、また今の自分もダメダメだと思い始め、理想の私や桃源郷(高次元の世界など)を求め始めます。

もちろん、思考を悪者にしているわけではありません。いくらハートや情熱が鍵だといっても、思考なしには、物事は具体化しません。ただ思考は、ものごとにレッテルを貼って、区別する、分離させるという性質があるので、思考に走る限り、どうしても私たちを分離に導いていきます。

一方、ハートはどうでしょう? ハートは、“これは机で、あれはソファで、二つは違うもの”という判断をしているでしょうか? よ~くご自分を観察してみてください。判断、区別、理解作業はすべて思考でやっているはずです。

それに比べてハートはどうでしょうか? 言葉を持っていませんね。だから、私たちはどれがハートかよく分からないんです。頭で理解するという作業ばかりしてきているので(そう教育されてきましたし)、言葉を持たないものの存在が分からないんです。考えて理解する、考えて見つける、考えて~~する、という作業ばかりしてきているので、考えないという状態がよく分からないんですね。

そしてまた、ハートは、“私がこれやる”、“私があれやる”と、私が、私が~~と言っているでしょうか? それとも言葉を持たずに、ただ静かでしょうか?

ということで、こことでちょっとエクササイズをしてみませんか?沸いて来る思考をすべて信じるのをやめてみるんです。「私がいる」という思考さえ信じないでみるとどうでしょう? もし、感情が沸いてきたら、それにレッテルを貼る思考も信じない、もし、体に痛みがあれば、それにレッテルを貼る思考も信じない・・・・とやってみることはできますか?

悲しみとか不安といった言葉、または痛いとか苦しいとかといった思考さえも信じずに、ましてや、いつまで続くんだとか、一生このままかもしれないといった思いも信じないで、ただ、自分の内外で起きていることとともにいることはできるでしょうか?

もしかすると、その間も思考は沸いて来るかもしれません。こんなことをして何か意味があるのか?とか、どうせ自分には瞑想は無理だとか、うまくできているのか?、上手にやろう、集中しなければ・・・などなどといった、なにか構えるような思いも、とにかくすべて信じるのを辞めて、受け流してみてください。そしてさらに、私はここにいて、音があそこでしていて・・・・、という、ここ、あそこといった概念も信じるのをやめてみましょう。

どうでしょうか?

思考で分離される前の、音、感覚、視覚(目を開けていたら)といった出来事の波と出会えるはずです。すぐには見えてこなくても、やり続けているうちに出会いは確かなものになっていくでしょう。

深い知恵と愛である生命のミステリアスなダンス。主体がなく、壮大に踊り続ける。宇宙をも生み出す無限のダンス。踊りは変化し、変化し、変化し、ひたすら変化し続ける。出来事が現れては、去っていき、現れては、去っていく・・・。

そして真のあなたは、現れては、去っていく出来事のなかにいる小さな存在ではなく、踊っているダンスそのもの。愛と知恵の生命そのもの。去っていく出来事(私の人生)のなかの主人公(自分)について、あそこが足りない、ここを変えなければ・・・とあまり深刻に考えすぎず、ハートに委ねて、リラックスしていきませんか?

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踊り手のいないダンス♪」への9件のフィードバック

  1. >沸いて来る思考をすべて信じるのをやめてみるんです。「私がいる」という思考さえ
    >信じないでみるとどうでしょう? もし、感情が沸いてきたら、それにレッテルを貼る
    >思考も信じない、もし、体に痛みがあれば、それにレッテルを貼る思考も信じない・・・・
    >とやってみることはできますか?

    これは、よいエクササイズですね。

    何もないとワクワクしてしまいます。

    (^^)。

  2. あゆかさん、こんばんは。新しい記事が出ると嬉しいです♪
    「無条件の愛」の”愛”ですが、愛をエネルギーと置き換えても大丈夫ですか?
    愛というと、いろいろな意味を持つので、自分のイメージと違うと思うのです。
    私は優しさとか、温かいものを感じます。

    あゆかさんのセミナーは過去に参加したことがあるのですが、
    なかなか次の行動に出せない自分です。
    DVDやCD(音声)の販売があったらいいなと思っています。
    受講認定は、参加された方だけでいいと思うのですが。
    ライブでの参加の方がいいと思うのですが、周りの雰囲気に馴染めなかったので。
    いつかは行けるかな。

  3. 質問コメントさせて頂いたあきです(*^^)
    あゆかさん、さっそくの記事更新、本当にありがとうございます♪

    「踊り手のいないダンス」
    不思議ですね~
    でも、これまであゆかさんがブログで仰っていらしたことを、わかりやすくまとめて下さっていて、
    とても読みやすく感じました。

    そうですね、ハートは、ただ無言で静かです。
    楽しいと踊り出し、悲しいとただ静かに悲しみにひれ伏す、そんな感じがします。
    思考を信じるのをやめるエクササイズ、続けていこうと思います。
    試しにやってみると、なんだかすごく楽です。
    楽に呼吸できる感じ。

    あゆかさんの過去の記事も拝見して、質問した時の私の状態は、
    「私は引退しました」の回に近い表現を発見しました。
    >多くの人が最初真我を感じてもらうと、「ただ、静かなだけ」「なにも感じない」「なんか無味無臭」などなど>とおっしゃいます。え?こんな程度?という反応が一番多いです。イメージしていたような光と愛に満ち>ていて・・・みたいなことを体験する人はまずいません。
    という部分を拝読して、なるほど、と思いました。

    それから、上で、りーさんもご質問されているように
    あゆかさんが「真の私たちは、無条件の愛である」と仰るときの「愛」は
    どのような意味の愛でしょうか。
    私は、「存在」と同義に感じているのですが…
    できるだけ、あゆかさんの表現をそのまま受け取りたいので、
    あゆかさんが使うときの「愛」がどんな意味か示して頂けたら嬉しいです♪

    本当は大海の私たち、こんなふうに非二元や愛について語り合ったりするなんて本当に不思議(*^^)
    あゆかさんとの出会いに感謝です。
    大阪あゆかの部屋にも参加予定なので、そちらも楽しみにしています♪

  4. あゆかさん
    いつも楽しみに読ませていただいてます。
    残念ながら、ロンドンの講習には参加できませんでしたが、いつか機会を見てぜひ参加させて頂きたいと思います。
    今回の記事についてですが、私もすぐに「思考」をするのが身についているようで、今のままじゃダメ!もっとステップアップを・・・!でもどうせもう年齢が・・・とかゴチャゴチャ考えてしまいます。
    しかし、子供の時代はよくあったのですが、ただ単に「ぼけー」っとして何も考えてない状態、一応他の音は耳に入ってるし、風景も見えてるけどそれについて何も考えてない、という状態をたまに作り出してて、
    大人に「大丈夫?」って聞かれたりしてました(笑)
    もしかしてこれって、今回のエクササイズみたいなものなのでしょうか。(今でもたまにあるんですけど)
    それとも、ただボケっとしてただけなのでしょうか(笑)

    これからもブログ楽しみにしています。
    ありがとうございます。

    • 突然のコメントで申し訳ありません。

      >子供の時代はよくあったのですが、ただ単に「ぼけー」っとして何も考えてない状態、>一応他の音は耳に入ってるし、風景も見えてるけどそれについて何も考えてない、と>いう状態

      ekstasis忘我。多分それ、最高です。

  5. あゆかさん、こんばんは。
    今日、東京の「あゆかの部屋」に参加させていただき、3番目にセッションしていただいた者です。(両親との関係について相談しました)。
    緊張してしまって尋ねるのを忘れてしまったのですが、あゆかさんにアドバイスいただいた「怒りの感情解放のワーク」をセラピストさんにお願いする場合、どんなセラピストさんにお願いすればいいのでしょうか?(例えば、EFTを得意とするセラピストさんが良いなど。)
     あゆかさんと向かい合ってお話させていただいて、優しい雰囲気にとても心が癒されました。

    本当にありがとうございました。

    • みささん、昨日はご参加くださり、大変ありがとうございました。はい、やはり、感情解放のツールとしては、EFTが良いかなと思います。http://matrixreimprinting.jp/ ←こちらのサイトに登録しているセラピストさんのブログなどをお読みいただき、相性が合いそうな人、良いなぁと感じる人にとりあえずコンタクトしてみてはいかがでしょうか?

      マトリックスができるセラピストさんは、全員EFTもできます。また、スカイプでもできますので、住んでいる場所にこだわらなくても良いです。ただし、面会式が良いと感じていましたら、そのほうが良いかもしれませんね。

      感情の解放は必ずできますので、一回目でうまく行かなくても、セッションを受けて、良い感じがしたら続けてみてください。絶対大丈夫です♪

      • あゆかさん、お忙しい中さっそくのご返信ありがとうございます!
        ご紹介頂いたサイトのセラピストさんのブログ等読ませていただいて、お頼みしようと思います。出来れば面会式で・・・と思っているので、自宅から通える場所を探そうと思います。
        実はセッションであゆかさんにお話した両親との口げんかの例はかなり軽い例で、実際はもっと深刻なのですが、深刻な話がとっさに思い浮かばず、自分の真意があゆかさんに上手に伝えられなくて申し訳ありませんでした。
        でも今回参加して、たくさんの事を学ばせていただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。
        本当にありがとうございました。

  6. あゆかさん、4番目(笑)です。今日は本当にありがとうございました。セッションの感想は日を改めてメールさせてください。

    EFTを「つぼトントンセラピー」と命名なさったのはグッドアイディアだなと思います。わかりやさが第一の理由ですが、ほかにも、EFTとは全然関係のない、ETF(Exchange Traded Funds、投資信託関連です)と早合点される方がそれなりにあるからです。

    ブログにEFTのことを書くと決まって、これで一攫千金!みたいな方々が足跡を残されて、ずっと???と思っていました。で、投資関係とは全く無関係です、と宣言したとたんにそういう方たちのアクセスはなくなりました(笑) このことをお話ししようと思ってすっかり忘れていたので、こちらに残しました。

    まだまだ日本での日々が続くと思います。しっかり日本食を楽しんでくださいね!

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