「感情知性」を磨こう☆

今週の木曜日から日本に行きます。今回も2ヶ月ぐらい滞在します。だんだん目指してきた、イギリス半分、日本半分暮らしに近づいてきました。なんだかんだいって、二つの国、それぞれ大好きです♪

今回もコメントにお返事させてください。コメントありがとうございます!

ついつい日常で、ウッと嫌な思いを感じると「これも癒さなければ!!」「まだあったのか!!」なんてついつい深刻になってしまっていますが、なんかちがうような気がしてきました^^;

とても良い気づきですね♪

私たちは小さい頃からネガティブな感情はいけないものだと教育されてきているでしょう。笑顔で明るくしていれば、良い子の扱いを受け、メソメソしていたり、怒りを爆発させたり、泣きわめいたりしていると、面倒な子、難しい子、ダメな子扱いを受けます。

また、スピリチュアルな世界に足をつっこんでも、同じようなことが言われますね。ポジティブで感謝の心を持ち、愛ある人間が精神性が高く、波動も高くて良くて、不安にまみれていたり、誰かのことが大嫌いだったり、愚痴ばかりこぼしている人は、精神性も波動も低くてダメというような同じ構図を教わります。

つまり、ネガティブなものはあってはいけないと思わされているわけです。これらの構図には、もうはまっていませんという人もいるかもしれません。しかし、それでも落ち込むと「落ち込むなんて私はまだまだ」という思いが沸いて来るかもしれません。というのも、エゴは非常に巧妙な形でジャッジしてくるからです。

なので、私はロンドンのカウンセリングコースでもいつも「ポジティブで、ピュアで、ピカピカな私になる日は一生来ない」と言っているんです。どれだけ癒しても、不安になることはあり、どれだけ癒しても腹が立つこともあり、どれだけ癒しても落ち込むこともあります。

それが自然で、それで良いんです。

しかし、いつもポジティブでいられる状態になれるはずだと思っていると、永遠に「まだ癒されていない私」がいて、自己否定というサイクルに陥り、苦しい旅になってしまいます。“どんな癒されていないネガティブなものがあるんだろう・・・”と悪者探しがいつになっても終わらないんです。

しかしそもそも、ネガティブな思いや感情が私たちを苦しめているのではなく、それらに私たちが抵抗するために苦しみが生まれるわけです。ネガティブな思いや感情があること自体は問題ではないんです。ネガティブな思いや感情を受け入れられることができれば、癒しもセラピーも必要なくなります。

ただ、それは私たちの多くにとって難しいことですし、また、トラウマ的な出来事を経験した人に、 “ネガティブな思いも受け入れましょう”というのは、あまりに無理で、愛がない頭でっかちな押し付けになりがちです。

なので、セラピーやカウンセリングの必要性はありますが、みんなが真の自分に目覚めれば、これらは要らなくなります。これらの感情や思いが実体のないものだと分かっているからです。

欧米で人気の覚者ガンガジは、 “いつも幸せでいたい(always happy)と望むことは子供地味た願いだ”と言っています。幸せをどう定義にするかによって、だいぶ意味が変わってきますが、ただ、私を含めて多くの人が“いつも幸せでいたい”と考えるとき、正直に見つめて見ると、“すべて自分の思い通りになっていて欲しい”、“私が心地よいと思う状態がずっと続いて欲しい”、または、“とくに頑張らなくても自然に前向きで、感謝の気持ちがあって、わくわくしていて、不安や迷いがなくて、みんなのことが大好きで、すっとすぐに自分のやりたいことがはっきり分かって・・・”ということだったりします。

つまり、自分に都合の良い状態を望んでいるだけか、ありえない状態を求めているかのどちらかなんですね。そうすると、そういう日は永遠に来ないので、単に辿り着けない苦しみだけが生み出されがちです。

もちろん、すべてがうまく行ったり、波に乗って調子良くエネルギッシュな自分でいるときもあるでしょう。そのときは、大いに楽しめば良いと思うのです。ただ、すべては必ず変化しますので、そうではなくなったとき、良いときの自分と比べて、“私の中になにか良くない何かが本当はあったのだ”など、また悪者探しの苦しみに転げ落ちてしまうかもしれません。

あるアメリカ人禅僧の言葉に、“もっと心穏やかに、もっとリラックスしたいとあなたは禅の修業をしているかもしれません。もちろん、そういうった状態は起こるでしょうが、実際のところ、それが修行の目的ではありません。禅の修業とは、苦しみの地獄、苦しみを生み出す地獄をどう生きるかを学ぶものです。修行とは、人生を経験し、地獄の最中にあらわれ出てきたあらゆることに対処していくことです。”というのがありました。

つまり、ネガティブな思いや感情が出てこないようにすることが、悟り(非二元)の目的ではなく、それらをどう扱えるようになるかが、目的だということです。そしてそれは、癒しでも同じです。

自分を癒しきってポジティブな感情だけ持ちたいと願うのは、ある意味、嵐や地震は起きないようにして、毎日晴れの日ばかりにしようとするのと同じぐらい無理です。それよりも、嵐や地震について理解を高め、どう対処するかを学んで行くほうが現実的ですね。

同じように感情も、たんになくそうとするのではなく、受け入れたり、解放したりしていくうちに、感情がどんなものであるのかを学び、またどう扱えば良いのかを理解していくことができます。ただ、ネガティブな感情をなくすことばかりに集中していると、そのプロセスで自分が知ったこと、見えてきたことが見過ごされているかもしれません。

「感情知性(emotional intelligence)」という言葉がありますね。「頭の良さ」など、理性の高さは社会で高く評価されますが、こと「感情知性」に関しては、まったく無視されているのが現状でしょう。

しかし、私たちの行動のかなりの部分は感情に基づいているものです。自分では考えて行動しているつもりでも、不安に基づいた考えであったりすることはよくあります。ですので、この「感情知性」を高めることで、私たちはもっと全体的な安定感が持てるようになります。

ということで、どんなに自分を癒し、波動を高めたところで、いわゆる「悪い事」は起きるときは起きます。そのとき、“自分の中になにか癒していないものがあるから、こういうことが起きるんだ!”と悪者探しをするのではなく、その出来事に対して、自分が何を感じていて、それをどう扱えば良いのかが分かっているほうが、苦しみを最小限にでき、また実践的かなと思うのです。

最後に出来事やそれに付随する感情やストーリーばかりに気をとられずに、それらが起きていることをわかっている意識、純粋な気づきの意識、真の自分によりそったとき、どんな状況の中でも私たちは、本当の家に帰ることが出来ます。

帰るといっても、一度も離れたことがない家、こんなに近くにあって、あまりに普通だから見過ごしていた家、すべてが起きていて、すべてが受け入れられている場所。そして、私たちの真のやすらぎの場♪

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「感情知性」を磨こう☆」への8件のフィードバック

  1. あゆかさん、いつもブログをありがとうございます。楽しみにしています。
    今回のブログを読んで、私もネガティブな思いを否定していること、その思いを持つ私と私の人生も否定していることに気づきました。当たり前になりすぎて、否定していることにも気づいていなかったみたいです。怒り、苦しみ、悲しみ、辛さ・・・、いくら癒しても癒しきれず、次から次へと出てきて、前に進んでいるのか、止まっているのか、後ろに下がっているのか、それさえもよくわからず、悶々としていました。そういう感情を完全になくすことを目指すのではなくて、いろんな感情を抱く自分でいることに寛げるようになりたいと思いました。
    また、私はいつも「幸せになりたい」と思っていたのですが、そう思うと「幸せでない部分」に焦点が当たることにも気づきました。たくさんの気づきをありがとうございます。

  2. ついさっき、ちょっとした欠乏感みたいなものを感じて「こういうものが出てくるようじゃまだまだだな」と、ついジャッジしてしまってました(^_^;)
    そういう感情もただ、受け入れればいいのですね!

  3. あゆかさんこんにちは。

    毎回楽しく読んでいます。

    さて、先日、好きなバンドのライブに行ってきました。そのバンドは、ポジティブな曲もあるのですが、ネガティブさも半端なく、死んじゃえとか死にたいとか苦しいとかさみしいとか、暗くストレートに、いっぱいあります。

    で、ボーカルの人は、作った時の感情に戻っちゃうのか、鼻水も涙もだーだー流して激しく激しく歌います。でも、ファンにとっては、そのなりきり感がいいんですよね。まるで自分のネガティブ感情も、一緒に洗い流してくれるみたいで。弔いというか、共感というか。

    感情と一体化し過ぎるとしんどい、それを自分だって思い込むとしんどいって、やっとわかってきたのですが、その時思ったのは、どうしても同一化し過ぎる傾向がある人も、こうやって作品を作るというやり方でそれを活かしてる、それを見て楽しむ人もいる、世界は良くできてるなあ~っていうことでした。

    芸術作品って、何か、色んな感情の器のような気がします。
    ネガティブ感情のぐるぐるサイクルから抜け出す、という観点からは何の進歩もないかもしれないけど、どんな反応も感情もあっていいんだって認めるには、とても良いな、と。

    今回の記事とはずれたコメントになったかもですが、ちょっと面白い発見だったので書いてみました。

  4. こんにちは。いつもありがとうございます。
    先日、これって愛なのかなあ・・・と自分の想像力を超える考え方、価値観の方に出会いました。
    その人は、あるアート系の仕事をしていて、成功していると言えると思います。それで食べていけてます。ですが、その仕事に投じる時間が長くて、パートナーと関係が壊れてしまうことが多いのです。ですが、一番大事なのは理想を追求することであって、仕事が一番大事。その次に、恋愛があるという価値観なのです。その上、基本的に自分中心に生きていて、どんなに親しい人でも、仕事に集中するために一緒には暮らさない。仕事が理由でパートナーが別れを切り出して、一人になっても仕方がないと感じるそうです。パートナーに仕事仲間も積極的に紹介しない等、仕事中心(自分中心)に生きて行きたいそうです。
    外見は、仕事に充実して楽しそうですが、こういう恋愛関係も愛と言えるのでしょうか。また、この人の仕事は、愛(ハート)に従って生きていると言えるのでしょうか?
    パートナーを愛していたら、自分と生活を共有したいと思うと思います。どんな職業だって、多忙だって、パートナーと一緒に居られないことはないように思うのです。こういう感覚を持つ人の仕事への想い、パートナーへの想いも、愛に基づいたものなのでしょうか?

  5. あゆかさん、こんにちは。 毎回楽しみに読ませていただいています。
    今回のお話もちょうど私にとってタイムリーな感じです。
    実はここ数年お世話になっているカウンセラーさんに「あなたのトラウマはとても根が深く、ちょっとやそっとでは解放できない。とても時間がかかると思います」と言われて、少し違和感を感じ始めたからです。
    そのカウンセラーさんは、もちろん善意からだとは思いますが、私の過去(現世、過去生含めて)全てのトラウマ(と思われる事柄)を解放して癒していきましょう!と言うのですが、私はどんどん過去に遡っていろんな過去を穿り返して原因を探りあてることに辟易していたことに気づきました。
    だって、きりが無いんですもの!
    癒されていないと感じる感情が出てきても、私は対処できるから大丈夫!そう思えるようになっている自分を今日はっきり感じることができ、とても良い気分です。
    ありがとうございました。

    • 秋月さん

      横から失礼します。

      私も、同じようなことを言われました。

      確かに、掘ればいくらでも出てきますし、過去生などまで遡れば(?)、延々と、です。
      どこまで続くんだと、疲れ果てたこともあります。
      お金も時間も必要ですし、ずっと楽になれないのではと思ったり。

      今は、時間がかかるかどうか、どこまでか癒していくか、は、自分の感覚だなと感じています。
      全部、どうにかしようなんて、到底無理だし、癒されていない自分を責めることになりがちですし。

      自分自身や環境や、いろいろなことを受け入れきれていなかったからだと思います。

      秋月さんのように、まだ出てくる辛い感情や思いに、対処できる!とは言えないのですが、少しずつ気付いたり、距離を持って見ることができたり、しています。

      地に足で、今のこの世を生きていく、deal していく、そういうものを身に付けていくことの大切さを、人生をめいっぱい楽しむためにも、実感しています。
      ありがとうございました。

  6. 先生、お元気そうで何よりです。先生のおっしゃっているのはe.q.の事ですか?昨今ネガティブシンキングは悪とされていますが、毎日私を含めて殆どの人はそれとたたかっています。結局バランスの問題なのかと思います。どちららに偏っても生き辛くなります。その平衝をどうやってとって行くのかだと思います。私も随分いろんな目に会いましたが、結局人の評価はべつとして、自分がどうしたいかなのではないでしょうか?他人から良く思われたいのなら多面的にいい人になる努力をするのも一考、そんな事どうでも良ければ思うまま生きればいいのではないでしょうか?自分の立ち位置を決めたら、迷わず進んで行くしか無いような気がします。そこで出会えた人を大切にしたいといと思います。結局、絶対も永遠も悪い意味ではなく、無いと思います。ふらふらと浮遊しながら終わって行くのも悪くないと思う今日この頃です。又お会い出来るのを楽しみにしています🍀

    • 記憶力の悪い私のことですので、もし、お会いして忘れてしまっているようでしたら、大変ごめんなさい。ですが、もしかすると、私を他のどなたかととり間違えていらっしゃるかも・・・・と感じました。先生と呼ばれることもほとんどありませんし、e.g.とはなに?とか、思い当たらないことが多いですので。

      いずれにせよ、人生の舵取りは、思考ではなくハート中心のほうが私はお薦めです。それも、飢えた心から出た「たい」(認められたい、受け入れられたい)ではなく、自分らしさを表現する「たい」が、良いですね♪

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