「ままならない現実」は、真実への招待状♪

来週からロンドンでのカウンセリングコースが始まります。毎年ほんとうに素晴らしい魂たちに会えるのがとても嬉しいです。今年もまた、どんな出会いがあり、どんな旅を目撃し、お手伝いさせて頂けるのか、とても楽しみです☆

さて、今回はお知らせがあります。「マトリックス・リインプリンティング・ジャパン」のサイトが立ち上がりました! 何よりも嬉しいのは、登録セラピストさんたちのセッション例が素晴らしいことです。ぜひお読み頂ければと思います。

マトリックス・リインプリンティング(以下MR)については、過去に何度も書いてきましたので、今回は、「非二元(悟り、目覚め)とMR」という観点から書いてみます。

で、話は一見飛びますが、先月ダリル・ベイリーという非二元のティーチャーのリトリートへ参加してきました。知る人ぞ知るティーチャーなので、25人という少人数で満喫してきました。面白かったのは、参加者の半数以上が覚醒体験をしていたことです。

個人的には、覚醒体験をしてから、良い先生を選ぶことが大切だと思っています。というのも、覚醒体験後ほとんどの人が、自我と真我の間で混乱し、多くの人が自我に引き戻されてしまうからです。

私もそんな一人でした(です)。些細なことでとても恥ずかしいのですが、書いてしまいます。実は、私、部屋がちらかっているとものすごくストレスに感じる性質です。一方、パートナーは散らかすのが得意です。そこで、散らかす→片付ける→散らかす→片付けるということを何年も繰り返しているうちに、イライラがたまりにたまってしまいました。(沸騰点に達するまで、たまっていたことに気づいていませんでした。)

そこで、MRを使ってイライラを解放し、最後に私の潜在意識が、「私が苦しんでいることを理解して欲しい。でも、彼は絶対無理」というので、じゃぁ、誰に理解して欲しい?と尋ねると、なんと「テディベア」が登場しました。それも、ものすごく賢く、深い愛を感じさせるテディベアです。目を見つめると、そこから無限の空域が感じらるほどです。

良い年をした自分が、テディベアに癒されるとは! でも、心底すっきり。すっきりした目で見えてきたことは、彼も彼なりに散らかさないように気を遣ってはいたこと、また彼なりの恐れがあって、物が捨てられないことなどでした。

そして、「彼は、私の心地よい空間を壊す」「私の言い分を聞くべき」などとといったストーリーが、いかに自分の狭いあてにならないものだったのかが、よく見えてきたのです。

話を戻して、覚醒体験後、自我に引き戻されてしまう理由は、「私のストーリー」のエネルギーに引っ張られてしまうからなんですね。(アジャシャンティ著「あなたの世界の終わり」がお薦めです)

私たちのストーリー(通常、私たちはストーリーではなく、“現実”だと思っています)は、「思考+感情」で出来上がっています。「お母さんは、私の気持ちなどおかまいなしに押し付けてくる。悲しい、腹が立つ、愛されていない、不安だ・・・」など。そして、体感が思考と感情をリアルなものにします。この「思考+感情+体」が自我なわけです。

MRは、感情を癒し、思いや体感が自然に変わることで、この自我のストーリーをネガティブなものからポジティブなものへ変えるテクニックです。

もちろん、真我からすれば、ネガティブ、ポジティブという相対性は存在しませんが、「個としての私」という分離感を強めるのは、明らかにネガティブなストーリーのほうです。ですから、感情を癒していくことで、私たちは「私のストーリー」から解放されていきます。

私について、私の人生について・・・、必死にコントロールしたり、維持したり、変えたり、望んだり、絶望したり・・・といったストレスをどっと降ろすことができます。ちなみに、下記のコメントを頂きました。コメントをありがとうございます!

日々を生きていると、真の私なんてものはどうでもよく思えてしまいます。じゃあ結局、私には何ができるのだろうと、虚しくなります。年齢を重ねるにつれ、ままならない現実にぶつかることが多くなりました。うちひしがれてはあきらめることの連続です。なるようにしかならない現実に、身を委ねるしかないのですか。そうすると、行動する気力さえなくなってしまうのです。

ままならない現実にうちひしがれる・・・とのことですが、偉大な真実は、「現実は自分の思い通りにはいかない」なんです。多くの人が、私のストーリー(人生)をなんとか良いものにしたいと必死に頑張っています。

もちろん、あるときは夢が実現したりもするでしょう。しかし、人生のすべてを1から100まで思い通りにした人間は一人もいないはずです。

夢を求めても無駄だと言っているのではありません。夢を自分を幸せにするものとして執着してしまうのか、それとも、自分の創造性、自分らしさの表現として捉えるのかで、まったく違います。

前者の場合、すべての夢が叶っても、あれっ、私幸せじゃない・・となりがちです。または、失う不安のほうが大きくなったり、または幸せを感じたのは最初のうちだけで、何か欠けている感覚がまたしてきたり。そしてもちろんうまく行かなければ、自我は絶望します。

でも、この「ままならない現実」を少し視点を変えて見てみたらどうでしょうか? 「ままならない現実」が真に教えてくれていることは、絶望ではなく、自我のコントロールを手放して良いよということなんです。私のストーリーではなく、生命のストーリーに移行しませんか?という招待状なんです。

ただ、前述しましたように、私のストーリーに感情がくっついていると、手放すのはとても難しいです。なので、私はMRのようなツールが役に立つなぁと感じています。

「あるがまま」に真に降伏したとき、つまり、私のストーリーから解放されたとき、そして、真の自分は生命のダイナミズムそのものだったのだと見えたとき、やかんを沸かす音さえミラクルになり、生命のダンスに心が魅了されます。

そして、ハートから沸く思いをただ行動にしていくとき、結果については、なるようにしかならないからリラックスしよう・・・という気持ちでいられます。なので、失敗したとか、うまくいかなかったとか、実現できなかったとか、そういった現実は、自分の中に存在しなくなります。

あぁしておけば良かったという過去への後悔、実現しなかったらどうしようという未来への不安から解放され、「今」というときがクローズアップされます。そして、そこは生命の醍醐味、ハートの歌が聞こえる場所ですね♪

さて、最後に、もう一つお知らせがあります。11月に「被災地におけるメンタルヘルスプロジェクト」を気仙沼で開催します。MRのもとでもあるEFT(現地では、“つぼトントンセラピー”と命名)の講習会です。PTSDや日々のストレス緩和などに抜群の威力があります。

平日開催のせいか、応募がまだ少ないそうです。気仙沼に近い被災地にお住まいの方、またお知り合いがいらっしゃる方、または、ボランティアをしている方、ぜひご参加ください。詳細はこちらへ→ハートサークル (「ハートサークル」という、ロンドンカウンセリングコース卒業生セラピストたちによるボランティアグループを結成しました。)

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「ままならない現実」は、真実への招待状♪」への6件のフィードバック

  1. 「目覚めの証明は、探求が終わること」とあり、その通りだろうということは確信を持って分るのですが、未だ体験しておりません。それができないままにこの世で言うところの「死」を迎えた場合、その瞬間が「目覚め」に変わることはあり得ないでしょうか。

    肉体を離脱した後に、行きたい所や会いたい人のもとへ瞬時に行けたりするといのは、ある意味楽しみでもありますが、それよりもその「死」が来ればせめてそれが「目覚め」になればいいのにと思いますが、あゆかさんはどのようにお考えですか?

    • ユウさん、コメントをありがとうございます! 私の書き方のせいで、「覚醒体験をしないと目覚めない」という印象をつけてしまったかもしれませんね。決して、そうではないんですよ。覚醒体験をしなくても、目覚めは起きますし、真の自分にシフトできるんです。また、「死を迎える」とそれが目覚めになるという発想が、少しよく分かりません。ごめんなさい!肉体の死=目覚め?みたいな捉え方でしょうか?

      とりあえず、決して体験を求めないようにしてくださいね。目覚めは、普段の状態と違うものだと思ってしまうと、迷子になってしまいます。

      覚醒体験は、単純に認知のシフトです。そういう意味で、幽体離脱や、ワンネスを感じた・・・といったいわゆる至高体験といったものと違うものです。覚醒体験は、真実を垣間見るのに役には立ちますが、結局体験です。終わってしまうものです。

      覚醒体験をしなくても、思考、感情、体は自分ではないということは、日常のなかで十分見えてきます。

      ・・・・この欄では書ききれません。

      「悟りについて語ろう」に来てくだされば、ガイド付きで目覚めについてもっと詳しくお話させて頂けるのですが・・・。

      遠方にお住まいかもしれませんし、とりあえず、今後も目覚めについて書いていきますので、ぜひブログをお読みくださいね♪

      • 返信をありがとうございます。

        「死」というものはこの世の続きであるととらえていますが、そうであっても、肉体を離れる時に「その見えている肉体もこの思考も、感情も私ではなかったんだ」と目覚めないものかと思ったわけです。

        「死」を迎えると「この世は終わる」というようなことをマハラジが行ってたと思います。

        あゆかさんが、コーヒーショップを出られて、普通に歩道を歩いている時に「その瞬間」が訪れたのでしたよね。

        「覚醒体験をしなくても、施行感情体は自分ではないということは、日常の中で十分見えてきます」ということについて、詳しく取り上げてください。

        覚醒体験が必要だと思っていましたので、よろしくお願いします。
        遠方に在住のため、参加できず残念です。

        「悟りについて語ろう」を是非、ハワイで開いてくださいませんか?
        それでしたら、参加できますし、きっとこちらからも、日本からはもちろん参加したい方もいらっしゃるのではないでしょうか。

        是非、是非、よろしくお願いいたします。

  2. 私のコメントをとりあげてくださってありがとうございます。
    ままならない現実に明け渡すのが怖いのです。
    思い通りにならなかった現実に直面すると心臓を潰されるような胸の痛みと同時に全身が硬直し自分のコントロールがきかなかったことを大変恐ろしく感じるのです。
    それは自分がいなくなってしまう感覚、真っ暗闇のなかに落ちていき、闇の中に溶けてあとかたもなくなって消えていってしまうようです。
    自分は個ではないという真実の方がたまらなく怖いです。
    コントロールを手放す、まして生命のストーリーに自分を受け渡すのは恐ろしいです。
    私にとっては自分が消えてしまう、これは死への恐怖と同じです。
    これまでの手に入れられなかったもの、達成できなかったことへの後悔や無念さにしがみついている自分がいます。
    何事も為せば成るもの、それができないのは努力がたりなかったから、人として劣っているからという思い込みが強いのかもしれません。

    • こんにちは、Hanaさん。私はあゆかさんのカウンセリングコースを3年前に受講し、今年初めに覚醒体験をしたものです。あまり人様のブログにコメントするのは良くないなと感じていますが、少し私と境遇が似ておいでるのでお手伝いできればなと思いコメントさせていただきます。(あゆかさん、すいません)
      私はカウンセリングコースを含めて、自分が幸せになれると思うあらゆることをしてきました。でもすべてが裏目にでてしまいました。3年かけて猛勉強した試験に落ち、カウンセラーになりたくない自分に気がつき、カウンセリングをしていても苦しさが増し、起業や婚活も失敗して・・・何にも残っていなかったのです。何かをしたいという気持ちもなく、休日は一日中家でボーっとしている日々が半年以上続きました。Hanaさんが書いていたように行動する気力さえ残っていなかったのです。勤めた仕事もあまり楽しいとは言えず、(精神的に)前に進むことも後ろに後退することもできずにいたとき、心の中でこの苦しさから自由になれるなら死んでもいい、と思ったまさにその瞬間、意識のシフト(覚醒体験)がおきました。
      私自身覚醒体験を望んでいたわけではありませんでした。(真の自分なんてどうでもよかったからです←Hanaさんと一緒です)
      でも、自分が一番欲しかったのは、この意識に気づくことだったことに体験して初めて、気がついたんです。ということは、すべて裏目に出てしまい、行動する気力がない絶望感は、一番欲しいものを手にするためにプロセスだったということです。
      あれから8ヶ月ほどたって思うことは、「何事も為せば成るもの」は違うということは言えます。「起こることしか起きない」という理解です。
      なるようにしかならない現実に怒りや悲しみを感じてしまう気持ちはすごくすごくわかります。でもそれが今のHanaさんの現実でもあるわけです。そしてたぶん、真理にとても近い場所にいらっしゃるように感じます。
      恐怖感が半端ないのは、自我の消滅を予感させるもので、最後の抵抗とでも申しましょうか。ごくごく自然な反応だと思います。心配しなくて個の自分はちゃんと還ってきます。
      なんだかとりとめのない内容になりましたが、気力がわかないならそのままにしておくのは良いことだと思っています。なぜなら、無思考になる時間が多くなるからです。
      私はHanaさんが真理に誘われているんじゃないかなと感じています。

  3. こんにちは。
    いつも読ませていただいています。
    ままならない現実・・・私にとっては失恋が、今のままならない現実なのです。
    それで、時間が経っているのですが、今頃になって「うわーん」と泣けて来て、「彼とずっと一緒に生きたかった。彼と離ればなれは悲しい。過去にどうすれば良かったのか」と自分と運命を責める気持ちも持ちながらも、泣いています。
    妙にすっきりする部分もあるのですが、これって、良く言う「感情を感じきること」につながっているのですか?素朴な疑問ですが、是非教えてください。お願いいたします。

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