天気予報通り、朝から雨がずっと降っています。さて、今回もコメントにお返事をさせてください。コメントをありがとうございます!(文章を多少修正しました)
こんにちは。初めてコメントいたします。死というものは、目覚めた意識にとってどのような位置付けなのでしょうか?私はここ3年あまりで、義父母と飼い猫を亡くしました。時間が解決してくれるだろうと、次第に悲しみは癒されてきましたが、ちゃんと介護出来ていなかったという罪悪感や後悔の念がふと浮上する事があります。もっとああしてあげればよかった、こうしてあげてたら…と。今まではそういう思考にはまっていましたが、最近はその思考を眺め、意識できるようになりました。
それでもやはり、根っこの部分ではまだ悲しみは、癒されてはいないのだと感じます。その悲しみに抵抗せずに、悲しみを認め悲しみと共に居ようと思い始めました。目覚めた人のブログ等に、死別した人の意識は生きている人の中にありありと存在し、永遠に一緒。いつでも会える。とありました。もしそうならば、もう一度会いたい、また楽しかったかつてのようにみんなで暮らしたい、などと思って涙が出ます。親しい間柄でなくても、人間や動物の肉体が滅んだあとの意識は、どこに在るのでしょうか?これについてはずっと疑問が晴れません。長々とすみませんでした。
もし、私が同じ状況にありましたら、喪失の悲しみ、罪悪感などをマトリックス・リインプリンティングで癒すかなと思います。感情が残っているうちは、どんな話を聞いてもすっきりしないからです。しかし、感情が癒されると、楽しかった過去を思い出して、喪失の涙ではなく、たとえば、感謝の思いでハートが暖まったり・・・と変化します。もちろん、必ずしたほうが良いということではありません。感情に抵抗せず、寄り添っていくというのも、とても良いと思います。
マトリックス・リインプリンティング(MR)で、亡くなった人と話をすることもできます。これは、イメージのなかでもちろん行うのですが、それでもとてもリアルです。MRでは、個人の意識(顕在意識&潜在意識)をローカルフィールドと呼んでいます。そして、ローカルフィールドは、もちろんマトリックスの中に存在しているわけです。
つまり潜在意識は、マトリックス(あの世など、個人の意識以外の全体のフィールド)に直結しているんですね。ですので、亡くなった人の意識にアクセスすることもできるんです。では、亡くなった人の意識(魂)は、どこにあるのでしょうか?
残念ながら、私には答えられません。ただ、私に日本という故郷があるように、魂にも必ず故郷はあると私は思っています。臨死体験で垣間見た世界が、きっと私の魂の故郷だろうと。そして、“まだだよ、まだだよ、戻りなさい”と私に言ったあの声が、今度は、“お帰りなさい”と言ってくれるのだろうなと思っています。(←現象レベルの話をしています)
臨死体験に関しては、脳内のうんちゃらだ・・とか、懐疑的な科学者はいろいろ言っているようです。が、私はそういう論議にはまったく興味がありません。こういったテーマを経験ではなく、頭やデータで判断しても、結局推測で終わってしまうと思うのです。
東大病院の矢作直樹先生が「人は死なない」という本を書かれているそうですが、臨床医としてご経験から書かれているのが素晴らしいと思います。(拝読しておりませんのが)
現代社会は、経験よりも思考やデータを高く評価することで、思考崇拝に陥り、世界を機械的(白黒)に判断し、分離感を強めてきたと思います。そのため、感情をどう扱ったら良いか分からない人が山ほどいます。
ちなみに、「目覚めた人のブログ等に・・・」とありますが、目覚めを経験した=すべてのしくみが見えている、ということではありません。(そう思っていらっしゃらなかったらごめんなさいね)
目覚めや悟りを「この世(や宇宙やなんでも)しくみが分かること」というふうに捉えている人もいるようですが、理解するということ真実が分かるということは、まったく違うことです。これもある意味、思考崇拝なんです。思考も感情も、大海に沸いてくる波に過ぎません。
たとえば、「空」について理解しようとすることは、大海のなかの小波が“水って何だろう・・水について理解したい”と考えているようなものです。
私たちは、次にどんな思考が沸いてくるのかさえ知りません。思考は沸いてくるもので、真実を語るものではありません。また、「私が考えている」というのも幻想なんです。真実は、ただ考えが起きているだけです。主体は存在しません。
私たちが理解を手放したとき、 “私は何も知らない”という真実へ転がり込みます。しかし、それは、未知と驚異、そして奇跡の感覚をともなった“私は何も知らない”です。
少し前にBBCで世界でトップの量子学の科学者たちにインタビューをした番組が放映されていました。彼らが口をそろえて言っていたのは、研究すればするほど、実験すればするほど、「何も分からない」ということです。
もちろん、パラレルワールドの可能性など、実験による推察はいろいろあります。しかし、あるトップの量子学者は、BBCのインタビュアーに、“量子学が分かったと言わないように。もし、あなたがそう言ったとしたら、あなたは何も分かっていない証拠だ。”と言っていました。
話がめちゃくちゃ逸れました。
目覚めの観点からすれば、いえ、目覚めの観点でなくとも、私たちは、すべては移り変わることを知っています。すべての人は死を向かえますが、また形を変えて生き続けます。「溝口あゆか」というダンスは、また違うダンスへと移り、踊り続けます。変化があるだけで、生も死もありません。
ただ、一つだけ変わらないことがあります。それは、「ダンスは終わらない」という真実です。楽しみを分かち合ったダンス、苦しみをぶつけ合ったダンス、愛した人、憎んだ人、すべてがかけがえのないダンスです。
あなたという小波も、愛する人という小波も、大海の中でダンスをしながら、形を変え、大いなる生命のなかであらゆるダンスを続けます。次にあなたがどんなダンスを踊るのか、それは未知であり、驚異です。
愛する人を亡くして、悲しみがなくなることはないでしょう。セラピーは大きな助けになると思います。でももし、この壮大なダンスが感じられたら、あなたは、ある小波だけにしがみつくことはなくなるかもしれません。永遠にずっとその小波とだけいたいと思うよりも、その小波の次のダンスが楽しいものであるよう願うかもしれませんね♪
☆真のあなたは、あらゆるダンスだから、すべてのダンスを受け入れる。そして、すべてのダンスは幻だから、真のあなたは、一切影響を受けることはない☆
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あゆかさん こんにちは
「感情が残っていると、どんな話を聞いてもすっきりしない」というところで、浮かんだ質問があります。もしよければ教えてください。
私は、最近ようやく、これが感情か、ということが分かるようになってきました。
以前は、思考の中でもがくことも全部感情なのだと思っていた、
というか、感情そのものにアクセスすることがよくわからなかったのです。
感情そのものを感じられるようになると
今まで感じないようにしてきた負の感情が
どっと押し寄せてくるような錯覚にとらわれています、が、それらを感じきっていく度に心が軽くなっていくような気もしています。
でも、感じきったと思ったものも、しばらくすると、ちょっと違う形で現れます。その度に、またきたか、と思って波を浴びたり降参したりしています。なるべく蓋をせず、安心できる環境の中で感じきるようにしています。
質問は、感情を感じきってなくす、ということと感情を癒す、ということは同じですか?ということです。
生きている限り感情は生まれ続けるものだと思うのですが、かつて引っ掛かったこと、わだかまった感情は、感じきって対処すれば、もう現れなくなるのでしょうか。
あるいは、その時の思い込み(思考)も一緒に塗り替えないと、何度も同じ感情が溢れてくる、ということはあるのでしょうか。
前に答えられていたことだったかもしれない、と思いつつ、書いてみました。
さばさん、こんにちは!素敵なご質問をありがとうございます。近いうちに記事の中でお返事させて頂きます♪
あゆかさん、こんにちは。 うわ・・記事の中でお返事・・・うれしいです。
さて、過去の記事をかなりランダムにいくつか読み、やっぱり感情は思考(思い)とセットなんだなあと、分かりました(2011年7月のいくつかの記事、そして今の自分の体験から)。そして、感情だけを癒したり、思考だけを癒す、というより、それらは互いに補い合いながら、自身のより深いところへ至るかけがえのない現象、みたいなイメージになってきました。
いずれにしても今私は、時折感情が激しく波たってしまって、その感情の奥にある思いを冷静にキャッチすることがとても難しく感じられます。でも、自分のペースで、目(感覚)をそらさないで、本当に聞いて欲しかった思いを、しっかり聞きとりたいです。
思いに気づくまで、たぶん何度でもしつこく出てきてくれる感情に、なんとなく愛おしさのようなものも感じます。
きっと、消すこと、に意味があるのではないのですね。
よけいなコメントになったかもですが、いつか、またブログでお返事していただけるのを楽しみにしています。
今回のブログの内容とあまり関係ないかもしれません。
日々を生きていると、真の私なんてものはどうでもよく思えてしまいます。
じゃあ結局、私には何ができるのだろうと、虚しくなります。
年齢を重ねるにつれ、ままならない現実にぶつかることが多くなりました。
うちひしがれてはあきらめることの連続です。
なるようにしかならない現実に、身を委ねるしかないのですか。
そうすると、行動する気力さえなくなってしまうのです。
Hanaさん、コメントをありがとうございます!
この小さなコメント欄の枠の中では、ご説明しようがありませんが、ある意味、ものすごく真実に近いところにいらっしゃるんです。ままならない現実が教えてくれるものは、本当は絶望ではなく、自分は、「個」ではないという真実なんです。こちらも、近いうちに記事にしてみたいなと思います。
(すべての人は死を向かえますが、また形を変えて生き続けます。「溝口あゆか」というダンスは、また違うダンスへと移り、踊り続けます。変化があるだけで、生も死もありません。)という文章を読み、そーか、そーなのかと少し安心を感じました。しかし、すぐに時間が経つとその安心感を忘れて、死に対する恐怖がこみ上げてきます。とくに、自分がいま幸せであるという状況だと、特に死にたいする恐怖が倍増する様です。ふかく自分の感情を掘り下げてみると、この幸せな(今後さらに幸せになろうであろう)状況から引き離されたくないと、自分が必死になにかにしがみついているイメージが浮かび上がりました。何んでそんなに必死なのか?という問いには、自分の死=せっかくの幸せが終わる→やはり幸せになれないまたは不平等→損失→闇または無というようなイメージが浮かび上がりました。しかし、この後、どのように感情にワークしていいかわかず、立ち止まった状況です。実際のところは、あゆかさんのいうとおり、生も死もないのだとは思っていても、自分の中の幸福(おそらく、今自分の思っている幸せ)を失う恐怖により、いまの生にしがみついてるからこそよけいに怖いのだろうなと、思っています。実際どのように感情にワークできますでしょうか。もしお時間があるときにアドバイス頂けたら幸いです。ありがとうございます。
planetさん、こちらも良いご質問ですね。ありがとうございます!これも記事いつかにさせて頂きますね。ご提案としましては、一つは、闇の中に落ちていってみると良いかと思います。(もちろん、イメージで)途中で怖がらずに、徹底的に落ちていってみるのがコツです。
もう一つは、幸せを状態、状況に頼っていることが、どうしても不安定を生み出します。そこを見ていると良いかもしれませんね。状態は、必ず変化するものですが、変化するものにしがみつくと苦悩が生まれます。
今後もぜひブログをお読みください♪
お忙しい中、ご丁寧にわかりやすくご返答いただきまして、大変ありがとうございました。今後も記事を楽しみにしております。
あゆかさん
気持ち悪い画像を見てしまった時のセラピーってなにかありますか( ; ; )
飼い犬にマダニがついていて、ネットで検索したらものすごくトラウマになるぐらいの画像を見てしまい…
頭の中から消そうとすればするほど出てきて、発狂しそうなぐらい気持ち悪いです( ; ; )
こういうのに対する対処って何かあるんでしょうか、私はどうもブツブツやなにかの集合体がものすっごく苦手なようです。
見ないように時間を巻き戻したい。。
以前あゆかさんのマトリックスの講習は受けたのですが、これには使えないでしょうか?
プロのセラピーが必要ならば、受けます。。
変な質問ですみません。。
さおりさん、こんにちは!
もちろん!まさにEFTやマトリックスが最適なものです。
画像を見て、気持ち悪がっている自分をイメージします。とりあえず画像に幕を張って見えないようにし、画像に関わる感情や感覚にタッピングをしていきます。また、“ぶつぶつが吐き気がするほど気持ちが悪い”、“この吐き気”などと言いながら、タッピングし、数値が下がったところで、エコー(少し前の自分ですね)にどんなふうだったら、すっきりするか尋ねて見てください。画像を変えることかもしれないし、画像をどこかにしまいこむことかもしれません。マニュアルをもう一度見て、手順を復習してからやっても良いでしょう。
これは、かなり大雑把な説明ですので、もし、自分でやりきれないと思った場合は、こちらのサイトでセラピストさんを見つけてみてくださいね。
http://matrixreimprinting.jp/
あゆかさん
返信ありがとうございました!!
マトリックスが使えるんですね、嬉しくてさっそく試してみました!
最中に キモ画像が浮かんで来て、集中するのが大変でした
浮かんできては消し、、浮かんできては消し、、、
どうしても進めている最中に画像が出てくるので苦労します・・
でも、なんとか進めることが出来ました!
やり終わった今は、だいぶマシになった感じがします
画像をふと思い出しても、ぞわぞわーとする感覚が減った感じです。
でももうちょっとやり足りないので
次は、どうしてキモく感じるのか?なんか過去にトラウマがあるのか?
という事に焦点をあててみようかなぁと思っています
自分で出来る範囲でやってみて、ダメならセラピストさんにお願いする予定です。
こんなことにも使えるなんて、便利ですね~
また講習会行ってみたいと思いました^^ありがとうございました