二つの世界をつなぐもの

今週は、またルパート・スパイラさんのリトリートに来ています♪ 非二元(non-duality=悟り)の教えを知るため、ヨーロッパのあちこちから集まり、知った顔もあって、最高に充実したひと時を過ごしています。

日本に数ヶ月滞在して思ったことは、悟り、覚醒、目覚め、という言葉が人によって定義が違っていたり、また、「真の私」に関してもやっぱり人によって定義が違い、同じことを話していると思ったら、違った・・・ということがけっこうありました。

このへんのことは、おいおいまとめていきたいと思います。ということで、今回もコメントにお返事いたします!

「違い」について質問させて下さい。私は人と自分の感じ方や解釈の違いにすごく驚き・心が傷ついてしまいます。どうしても分かり合えない人(向こうは自分の信念を持っておりそれに基づいてこちらを判断してくる)とはどう接したらいいのでしょうか?<省略>

みんな私が人を受け入れているように、許すように、感じているとは限らないのだ。と気づいてからは人が無性に怖く感じるときがあります。<省略>もしかしたらすごくけなされているかもしれないし、良く思われていないかもしれないのだなど、心の中でなにを思っているか分からないと思うと自由に振る舞えなくなります。みんなそれぞれのルールや価値観があり、それに合わせるのは消耗します。<省略>

心から愛していた彼氏は、今まで出会った中で最も感性や価値観が同じでしたが、やはり、決定的な感覚の違いがあり、それにお互い我慢できず傷つけあって別れに至りました。<省略>この世界で違いは当たり前だし、それをどうとらえるかがポイントだと思うのですが、様々な「違い」が争いをうんでいるのが見られます。どうすれば違いを乗り越え、愛を持って違いと接し、臆することなく人とかかわれるでしょうか?

とても素晴らしいご質問ですね。違いをどう乗り越えるか?、これは深くて大きなテーマだと思います。また、ご質問にはいくつもの要素が入っています。なので、この問いに“正解”を見つける魔法の杖を私は持っていませんが、傷つかずに済むことの“ご提案”はできるかもしれません。

まず、私たちは目に見える世界と目に見えない世界に住んでいます。ここでは、スピリチュアルな話をしているのではありません。目に見える世界とは、職場や住んでいる町、友人関係や家族といったものです。同じ空間を共有している世界です。

目に見えない世界とは、それぞれが生きている心の世界です。その人の思い、価値観、感じ方など、その人だけに属している内側の世界です。そして、この心の世界は、住む場所や職場を変えようとくっついて来ますので、ある意味、心の世界が私たちが本当に生きている場所です。

さて、心の世界をちょっと外の世界に置き換えて考えてみましょう。あなたが、みなが寛容で同じ価値観を持つ安心な世界に住んでいたとします。ところがある日、新しい住民が引っ越してきて、「お酒は夜11時まで!」という価値観を振りかざし、夜中に友達と楽しくお酒を飲んでいるあなたを見て、「だらしがない人間だ!」と決め付けたとします。

さて、あなたはどうしますか? 別に法律でもないし、単にその人の考え(価値観)です。受け入れてもらうために、お酒は11時までにするでしょうか? また、あなたの心はそれで傷つくでしょうか? もちろんこの例では、恐らく傷つくことはないでしょう。しかし、基本的に同じことなんです。

もしあなたが、お酒は11時までにしなければ・・・とか、何時まで飲んでいて良いのだろう?、または、私はちゃんと振舞えているだろうか?あの人は、私を悪く思っていないか・・と考え始めたとき、あなたは、その人の心の世界の住民になってしまいます。(境界線越え)

しかし、その人が自分に「だらしのない人間」とレッテルを貼ってくるのは、迷惑千万だし、気分も悪いかもしれないけど、自分らしくしていようと思えば、自分の心の世界は平和に保てますね。自由に好きな時間にお酒を飲んでいればいいわけです。

こう書くと、自分さえ良ければ、他の人がどう思っていても良い・・・というように聞こえるかもしれません。が、ここに「自己愛」が関わってくるんですね。自己愛が高いとき、私たちは、他の人が貼ってくるレッテルは、その人の問題だとよく分かります。その人が、「だらしがない」という文字が書かれたシールを持って、あちらこちらの人にくっつけようとしているのが、分かるんです。

また、他者の心の世界が傷でいっぱいだから、他者を受け入れることができないのだ、些細なことで怒るのだ、ということも感じ取ることができます。なので、恐れよりも良い意味の同情が沸いて来るでしょう。

さて、二人の人間がいる場合、二つの心の世界があるわけですね。カップルだったり、夫婦であったり。で、近い関係であるほど何が起きるかというと、お互いがお互いを自分の心の住民にしたくなるんです。親子でも年中起きています。

そのときにいつも必ずある思いは、「私の感じ方が正しい」「私の価値観が良い」といったような思いです。とにかく私たちは、自分の心の世界に高い価値観を置いているんです。なぜなら、自分の感じ方、自分の価値観は、言い換えれば、自分らしさ、自分のアイデンティティでもあるからです。

なので、それらをあきらめるということは、自分らしさをあきらめることにもなってしまいます。これは、非常に難しいことです。ですから、お互いの価値観が合わず、二人の間で葛藤が起きているとき、実際何が起きているかというと、どっちが自分らしさをあきらめるか、という戦いなんです。で、どちらも絶対負けられないんです。(親子の場合、子供が負けることが多く、これはいろいろな形で子供の心に影響します。)

じゃぁ、どうすれば、お互いが自分らしくいられ、そして仲良く一緒にいられるのでしょか? 価値観などが違うとき、私たちが真に求めているものは「理解」なんです。自分の感じ方、自分の見方、価値観などが理解されたと感じたとき、私たちは心の底から安心できるんですね。

反対に理解されなかったとき、私たちは相手との分離を感じ、自分の大切なもの(自分らしさ)が、傷つけられたように感じたりします。自分らしくあることがいけないようにも感じられるかもしれません。

もし、私たちがお互いにお互いの心の世界を理解してあげることができれば、自然と妥協点が見えてくるでしょう。真に理解することができなくても、相手の世界を尊敬することができれば、つながりは保てます。

私の感じ方、見方、価値観などは、自分特有のかけがえのない、そして自分だけの世界であることを認識し、その世界を自分が心から理解し、受け入れてあげたとき、他者の世界がどれだけその人にとって大切なものかが見えてくるはずです。

とはいえ、これをすぐ頭で実行しようとしないでくださいね。もし、相手の世界を受け入れることに抵抗を感じたり、また、相手の価値観のために自分が傷ついたと感じたら、そこを出発点にしてみましょう。抵抗や傷ついた気持ちをよく探ることから、真の理解(愛)が始まります♪

 

二つの世界をつなぐもの」への5件のフィードバック

  1.  あゆかさん、こんにちは。価値観の違う人に遭遇した時どうして非難したくなるのか、その人を嫌いでいたいのか、最近考えていたところだったので、今回の記事で少しわかったような気がします。非難したい気持ちや嫌悪感を超える方法は、互いの世界を理解しあおうとすることなのですね。
     今まで、自分の気持ちを認めてあげることが自己愛を増やすには大事だと言葉ではわかっていましたが、今ひとつうまくできませんでした。でも、他人が自分の価値観を理解してくれたとき得られる安心感を考えると、自分が自分の困ったちゃんの部分を理解してやることの大切さが初めてよくわかりました。
     

  2. 前にあゆかさんのブログで楽になったことがあります。
    幼い頃に悪い事をして母親に怒られた事が大人になっても記憶に残っていて本当の事実を母親にわかってほしいなと思ってました。ある時あゆかさんのブログを読んでいて気づきました。
    記憶の中でロープで縛られて母親に怒られ泣いてる私のままでいなくていいんだなあと。そしてロープを解いて外に出て行くイメージを頭に描いてみたら長い間気にしていた思いが楽になりました。
    (反省をしないという事じゃないです^^ 自分をダメだと思わなくなったという事です)

    失恋したときにも自分の思いや感情に蓋をせずに見つめていたら自分も愛されてもいいんだなあという気づきに出会いました。失恋したときは内臓をえぐられそうなくらい苦しかったけど記憶の中で泣いてた子にやさしく声をかけ愛されてもいいんだよと言ってあげたら気持ちが楽になり嫌な記憶だという思いもなくなりました
    きっとあゆかさんのブログに出会ってなかったら自分にダメ出ししてたり決めつけをしてたんじゃないかなと思います

    不器用に生きていて足りない所ばかりの人間ですがこうやって自分と向きあって少しずつ自分で決めつけた思いに気づいてこれからも自分を大切にしていけたらいいなあと思ってます

  3. 以前コメントを取り上げていただいてありがとうございました。(HNをアルファベットにしました)
    最近子供に関する記事が多く、すごく参考になっています。

    子育てしていると不安になることがすごく多いのですが、中でも「自分の選択が全て子供に影響してしまう」というプレッシャーが強いです。
    私の場合、中でも病気に関することでそれが顕著に出ます。
    私の子供はアレルギーがあるのですが、自分がアレルギー体質だし、自分の育て方や方法が原因なのかと病気になったことですごく自分を責めてしまいます。
    (「アレルギー体質なのは親が神経質だから」などという文を読んだりしたときにです)

    それから「次に症状がまた出たらどうしよう」と不安でたまらなくなります。
    (そう思ってるとやっぱりそうなります)
    治療法に関しても、「薬を使いたくない」と思いながらも「すぐに症状を軽くしてあげたい」と思うなど葛藤でいっぱいです。

    子供はまだ自分の力ですることができないですし、特に小さいうちは親である私の選択が重要であると
    思ってしまうのですが、子供の病気に対する不安や罪悪感をどうやったら解消できるでしょうか?
    自分のこういう気持ちは子供にとってもよくないと思いますし、起きたことに対する選択をすっぱりとできるようになりたいです。もちろん「元気でいてほしい」というのが一番の気持ちです。
    アドバイスいただけるとうれしいです。

  4. あゆかさんの考え方は、いつも毅然としていて、でもホッとします。 あ、それでいいんだぁ、、、と、肩の荷が楽になる考え方をさせてくれます。

  5. 「価値観を違っている人を受け入れることができない」

    もしそうなら、そういう価値観を持っていることだと思います。

    どこまで受け入れることができるかは自分次第。

    受け入れることができる人が増えるほど、この世界は、パラダイスになります。

    逆に受け入れられない人が増えるほど、この世界は地獄になります。

    でも、それは、自分で創っているってことですね。

    ただそれだけ。

    (^^)。

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