ハートはあなたのパワーステーション

先週末は仙台市、気仙沼市、大島を訪問して参りました。JKSKという認定NPO法人主催の復興支援のミーティングに参加させてもらえたからです。その結果、11月に現地でトラウマやストレス解放に抜群の威力を発揮するEFTを使ったメンタルケアプロジェクトがスタートします。

本当は一番マトリックスをやりたいのですが、まずはEFTから。現場主義をベースにしていたおかげで、現場ですぐ使えるセラピーばかり追求してきてほんとうに良かった!

また、現地のセラピストさんたちにもお会いでき、自らも被災なさっているにもかかわらず、EFTの講習に東京でもどこでも行きます!という真剣な目で語られ、こういう目は一生忘れられないだろうと感じました。

訪問した日は、天気も良く、大島も気仙沼の海岸もほんとうに美しく、穏やかでした。水がものすごくきれいなので、地元の方にそういうと、あの津波のあとに海がすごくきれいになったとのことでした。

津波が何回も往復し、多くの人が亡くなり、今でも家の土台しかない海岸と、そして穏やかできれいな水をたたえる海を見ると、出来事への悲しみと自然への畏敬の念が混ざり、よく分からない心持ちになりました。

悠久の時間のなかでこれまでも何度も同じことが起きたのだろう、自然が形を変え、人間が翻弄され、でも、生命が途絶えることはなく、世代に引き継がれ、人の営みは続く・・・・。

被災者一人一人のストーリーの中には、怒りや扱え切れない悲しみ、絶望感、空虚感、無気力感、恐れ、不安、憎しみ、生き残った罪悪感、などいろいろな感情があるでしょう。そして、それらの感情は表に出て、初めて昇華されます。でも、たとえもし昇華されなくても、やはり生命は途絶えることなく、形を変え、永遠に続いていきます。

なにが言いたいのかというと、こういった大震災のような出来事、そして生き残った人々の人生も、それがどんな形であれ、大いなる生命(真我)の懐に抱かれているということです。

こんなことを書くと、“それはあなたが体験していないから言えることだ”と思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、私にとっては、これは教えや信じることではなく、現実なんです。見えているままを話しているだけなんですね。

しかし、頭で理解しているだけですと、何かが起きると「スピなんてふわふわしたこと言っていられない!」と吹っ飛んでしまったり、または、“どうせ大いなる生命に抱かれているんだから、やってもやらなくても一緒でしょ”といった、超ドライな思いになってしまうかもしれません。

何度も書いていますが、スピリチュアルなメッセージや悟りの教えは、頭で理解するのではなく、実践して体感していくものだと思うのです。例えば、私は非二元(悟り)系の本を読むときは、書いてある文章を自分が体感として理解できるかどうか、いちいち立ち止まりながら読むので、一日に3~5行ぐらいしか進まないことは普通です。

そして、メッセージや教えが体感として分からない場合は、なぜなのか?、そこで考えます。この考えは、体感をまったく無視して、ただ頭だけで理解しようとする考えと違い、真実へ導く考えになります。

ある意味、非二元(悟り)を頭で理解しようとするのは、化学の実験を本でやり方だけ読んで、実験をせずに、頭の中だけで結論を出そうとしているようなものかもしれません。でも、実験をし、うまくいかなければ、なぜだろう?と立ち止まって考える、この考えは、先に進む考えですね。

こうやって、真の私たちは、大いなる生命の懐にいつも抱かれている、というか、真の私たちは、その生命そのものである、ということが、単に耳に優しい言葉ではなく、実感をともなうものとなり、そして、それが自分の現実となったとき、どんな状況でも、それは決して自分からなくなることはないでしょう。

愛のない真実というのは、あり得なく、そういう意味で“どうせ・・・”とか、“~~なら意味がないじゃないか”とか、愛のないドライな世界が見えてきたら、それは、何かがおかしい、どこかでずれてしまったと思ってまず間違いないでしょう。

特に、スピリチュアル系の本を読んでいると、「思いが現実を作る」ということがよく書かれています。私も書いていますし、それはその通りです。

ところが、これを中途半端に理解してしまい、自分の思いを年中監視している方々にたまにお会いします。“こんな思いを持つと、こうなってしまうかも・・・”とか、または“こんなことが起きたのは、こんな思いを持っていたからだ・・・”など、自分の思考ばかりに意識がいってしまっているんですね。これは、知らないうちに「思考中心主義」に陥ってしまい、大いなる生命との分離感を高めてしまいます。

「思いが現実を作る」のなら、ネガティブな思いをポジティブな思いに変えようと誰でも思うでしょう。で、ここまでOKです。ところが、思考の罠に陥るのはこの後です。ポジティブな現実が作れる「正しい思い」を持たなければ・・・となってしまうのです。そのために、いちいち自分の思考や動機をチェックすることになってしまうわけです。“人を助けたいという思いは、エゴなのだろうか?”とか。

ですが、ここで忘れてならないのは、スピリチュアルな教えの中心は、「愛」(ハート)だということです。そうやって忙しく思考が働いているとき、じゃぁ、ハートはどうなの?というところが一番大切ですね。

ある人が、バイロン・ケイティに“ありのままですべては完璧だったら、なぜ戦地や震災地へ支援に行く必要があるのか?”と聞かれたとき、彼女は、“なぜなら、それが愛がすることだから”と答えました。

思考は、意味や目的、動機をとても気にします。が、ハートには、それれがまったく必要がありません。ハートは、語らないのに雄弁、人生を信頼することを知っていて、愛と知恵、そしてパワーの宝庫です。考えるなという意味では、もちろんありません。ハートをベースに、思考を上手に使えば、鬼に金棒です。

自分の抱いている思いが、ハートとマッチしていれば、それは思考でいちいちチェックする必要もなく、体の深いところから、それで大丈夫、これが行く道と「分かっている」状態になります。この状態のとき、実現しないものなどないんですね。

なので、思考をチェックしているよりも、ハートを感じ、ハートは呼応している?とチェックしたほうが、よっぽどパワフルでしょう。

ということで、「ハートはあなたの中のパワーステーション、夢の創造者、そして迷子になったときの道案内」です。

胸に手を当てて、胸の奥を感じながら、そこでしばらく休んでみましょう。ゆっくり、静かに呼吸をしながら、イメージでその感覚を広げていきます。そして、その感覚が切れるところを追っていってみてください。

自分の体の外を出て、周囲、そして無限の彼方までつながっていることを実感するでしょう。そのままハートにじっと留まると、思考(自我)が静まり、大いなる生命がそこにあることに気がつくでしょう。

どうしてそれをするの?と聞かれたとき、“やりたいから”とだけ答えるシンプルさで軽やかに行きたいですね♪

★本年度の「インテグレイテッド・カウンセリング・ディプロマコース」(通称、ロンドンカウンセリングコース)の案内を更新しました!詳しくはまたお知らせします。

 

ハートはあなたのパワーステーション」への12件のフィードバック

  1. あゆかさん、こんにちは。ロンドンコース5期生のよっしーです。
    今日も素晴らしい記事を書いてくださってありがとうございます。
    コース後に自分を癒してきて、だいぶハートの声に耳を傾けられるようになりました。
    やりたいことを罪悪感や不安もなく、ただやれるようになってきています。
    そうは言いながらも、思考にしばられがちなので、あらためてハートをベースにする大切さをかみしめました。気づきをいただき、ありがとうございます。

    思考に意識が行ってしまい、そこにフォーカスし、エネルギーを停滞させてしまう(思考はエネルギーで何もしなければ流れます)のは、思考中心主義になりますが、思考を観察している立場を意識し、ノージャッジで思考を流すままにしておくという意味での観察者は、思考中心主義ではなく、ハートベースへの近道だということを区別したほうがいいなと思いました。
    ボクの認識間違いだったらまたご教授ください。

    そして、ロンドンカウンセリングコースの募集時期ですね。
    ボクはこのコースがきっかけでカウンセラーを目指しました。そして、自分を癒していく道をスタートさせました。このコースで学んだこと、そして出会った仲間、コース後に受けたカウンセリングと自己ワークは、ボクの人生を言葉では言い尽くせないほど変えてくれました。
    いくら感謝してもしきれないほどの思いがあります。
    もし、ロンドンカウンセリングコースに興味がある方がこのコメントを見たなら、とにかくオススメです。
    ボクは100くらいセミナー行きましたが、このコース以外のすべてを足しても適わないくらい圧倒的に素晴らしいものでした。

    • よっし~、コメントありがとうございます!お褒めの言葉を頂き、ものすごく気恥ずかしいですが、それだけ私が大切だと思っていることに共感してくれているのだなぁとても嬉しく思います。

      「思考に意識が行ってしまい、~~~~~~思考中心主義ではなく、ハートベースへの近道だということを区別したほうがいいなと思いました。」

      その通りです。良いフォローをありがとうございます!観察と監視の違いを上手に分かりやすく説明してくれていると思います。よっし~のサイトにある投影のビデオも上手に面白く説明していると思いました。

      今後とも、コースの内容を広めていってください!

  2. あゆかさん、こんにちは。

    私は今、茨城県に住んでいます。
    もともと大切な人が茨城に住んでいて、
    私もあの地震の翌年に茨城へと移り住みました。
    福島や宮城と比べると被害は小さかった県ですが
    それでも、あの日から様々なことが変わったよう感じられる時があります。

    震災から二年がたち、
    一年目よりも深く取材をしたドキュメント番組がいくつか放送されて、
    特に「0311,知られざる心の闘い」という、PTSDに焦点をあてた報道番組を見た時に
    「マトリックスリインプリンティングをしてあげることができたら…」と強く思いました。

    なので、今回のブログで、あゆかさんが被災地を訪問して、
    11月からEFTを使ったメンタルケアプロジェクトが現地でスタートすると知って
    泣きそうなぐらい嬉しいです。
    ありがとうございます!

    そして、今回のブログの文章、
    素敵だなぁって思いました。
    なんだか読んでいるだけで元気がわいてくる感じ…。
    (こんな稚拙な感想でちょっと恥ずかしいけれど)

    どんどん長くなってしまうのでこのあたりで終わりにしますが、
    あゆかさん、ほんとうにありがとうございます。

    • こんにちは!コメントをありがとうございます。

      >「マトリックスリインプリンティングをしてあげることができたら…」と強く思いました。

      マトリックスを知っていれば、そう思わずにいられないですよね。

      一番の難関は、医者でもない一介のセラピストが薦めるセラピーを理解してもらうことでした。が、アメリカでとても良いEFTのドキュメンタリー映画が作られ、そのおかげでだいぶ理解してもらえ、製作者に感謝、感謝です。(現在日本語字幕制作中)

      あとは、デモをして効果を目で確かめてもらうのが理想的ですね。長期戦だと思っておりますので、気追わず続けられたらと思っております。

      今後もブログをごひいきにお願いします!

  3. 私は今日、思いました。
    「悩みたくない」と。
    じゃあ、悩まなければいいと思ってやめようと思ったのですが
    悩むのをやめるのがとても怖いのです。
    悩むのを辞めたらもっと無能になって、もっと嫌なめにあう気がして、もっと他人から怒られる気がして落ち着かないのです。
    悩むのをやめて、実際は大丈夫だった人の話が聞きたいです。

    さすがにずーっと悩むのは苦しいのでそれなりに時と共に薄らぐ悩みの辞め方は、怒りや悲しみに蓋をしたり、相手を許したり、自分が悪かったからいけない。という方法であって、怒りや悲しみを受け入れて開放するという感覚がわかりません。

    「私は怒っている」「私は悲しい」までは感じるのですが、その感情を捨てる(開放する?)のが怖いのです。捨てていいのかな?みたいな。常に悩んでいないと、怖いのです。変ですよね。。。

    • ミントさん、それ、変じゃないと思います。むしろそういうことってけっこうあると思います。私にも共感する部分があります。

      「悩むのをやめる」のは難しいと思いますが、結果的に「悩まない状態になる」のはできると思います。今の私はEFTの力を借りています。

      EFTでいくつか引っかかっていた感情(特定の場面限定ですが)を解放してみたら、心配していたこと(手放したら何かまずいことが起こるんじゃないかとか)は何も起こらないとわかりました。あ、そういうこともあったね、程度でおしまいで。何というか、心が身軽になる感じですね。そして身軽になった自分に対して「あんた、身軽になってどうするつもり?そんなことじゃ困るよ~」という自分もいないという、全然別の世界に入る感じです。

      あゆかさんもおっしゃる通り、EFTは強力なツールです。最初はプラクティショナーさんの力を借りた方がいいかもしれないけれど、コツさえ飲み込めば自分でもできるようになりますよ。

      • けいさん、体験を聞かせてくださり、ありがとうございます。
        とても心強いです。自己ワークを、よし、あきらめないでやってみよう。という気持ちになりました。

        特定の場面で、引っかかる感情を掘り下げて、最終的には「無能で間抜けな自分は、価値がない=死ぬべきだ」と思っていることに気づきました。最近夢で、殺されそうになる夢ばかりみていたのは、そのせいかも(汗

        で、死ぬべきだ、という思いがないと、どうなるか?と、自分に問うのですが、
        全くイメージ(答え)が出なく、ずーっと考えていたのですが結局わからなかったので、
        バイロン・ケイティのワークを思い出し、「無能で間抜けな自分は死ぬべきだ。それは本当ですか?」と問うと、「そんなことはない」と思ったのを、きっかけに、本当は、死ぬべきだなんて思っていなくて、

        「他人からみたら、無能で間抜けな自分だけれど、自分なりに精一杯頑張っているのに、そんな自分を分かってくれる人が誰もいなくて淋しい。」と思っていることにきずきました。
        誰か、こんな自分の複雑な思いや、緊張、努力を一部始終分かってくれる人が一人でもいてくれたら・・・神様なら見ていてくれてる・・・見ている神様の心境がわかるのは私・・・ってことは、見ていてくれる神様って自分?!と思ったら、「自分で自分を抱きしめる感じ」が、初めてしました。(文章では、何ども何どもよんだことがありましたが、分からなかった。)

        今日は仕事が休みで、いつもより少し穏やかにすごせました。
        いままでは、明日の仕事の不安で動けなくなっていました。
        画集をみたり、掃除をしたりしました。お気に入りの絵を飾って、少なくともこれを見ているときは、すべての心配事を忘れてもいいということにしました。

        けいさん、ありがとうございました。

        • ミントさん
          すてきなシェアをありがとうございます!
          読んでいたら胸の中に暖かい感覚が広がって、涙があふれてきました。
          愛を分けてもらった感じです。
          ああ、自分にもこんな温かな感覚があったんだな~と思ったらまた泣けてきました。
          私の方こそありがとうございます。

  4. あゆかさん、こんにちは。

    私は「思考に気づいていること」を始めてから、実はずっと、思考を「監視」していたことに、最近になって気付きました。
    淡々と思考に気付いて離れて見ている、のではなく(観察している側に意識を向ける、のではなく)
    湧いてきた思考そのものを観察し、分析してしまっていました。
    だからどうしても、思考がストーリーに膨らんで行ってしまって…。

    1年くらいそんな感じで、さすがに「何か間違ってるんじゃ?」と感じ、改めて「思考を観察する方法」を説いている本や文章を読んだら、
    意識を向けるベクトルが逆だったようだ、ということに気付きました…。

    「観察」と「監視」の違い、とても重要ですね!

    そして…
    津波や原発で被災され、住むところを失った方のために、東京にも仮設住宅があるそうなのですが、
    その仮設住宅で、40代の方の孤独死が非常に多い、というお話を、先日伺いました。
    故郷を離れ、知り合いも無い大都会で繋がりを失い、将来の不安に押し潰され…絶望し、生きる気力を失ってしまわれる方が多いと。

    被災者の方々の精神的なケアの必要性を、本当に強く感じます。

    何もできない自分が情けないですが、
    EFTが広まってくれたらと願います。

    あゆかさん、ありがとうございます。

  5. あゆかさん、

    いつもとても参考になり、心に届くメッセージをありがとうございます。

    今日は、最近疑問に思っていることがあり、そのことでコメントを残させてください。

    数ヶ月前に子どもが誕生し、現在は育児の真っ最中で自分の時間のほとんどが赤ちゃんのお世話に費やされ、私の意識も常に子どもに向いています。

    今までは自分の思考を観察(時には監視…)し、身体の声を感じたりすることができていたように思うのですが、育児が始まってからというもの、それがなかなが出来ずにいます。

    常に子どものことが自分の意識にあるのです。
    自分の身体を感じたくても今までのように集中できず、「そのうち子どもが泣きだすんじゃないか?」などというふうに、自分だけのために自分の感覚に意識を向けることが難しい状態です。

    これも「母は子どもに常に目を向けるべき」だったり、「子どもの要求に応えなきゃ」などという思考の思い込みのせいなのでしょうか?

    それと同時に、私が子どもに上手に対応してあげなければ、私が幼いころに経験したように子どもが将来癒したいと思うような悲しい感情などなにか子どもにとってマイナスな状況を作り出してしまうのではないかという漠然とした不安もあります。

    母親というアイデンティティと、ありのままの自分(「私」でも誰でもない、いまここにある自分)とがうまくやれていない感があるのですが、自分の中の愛や自分の身体にもっと集中したいです。

  6. こんばんは。
    ハートの声について質問です。例えば、疑い用の無いルンルンした気持ち、胸がドキドキしたり、感動して涙があふれそうになったりはハートの声だなと、よく分ります。これにしたがって色々と試しに行動もしています。ですが、自分は彼を愛しているのかとか、フォーカシングのような喉のイガイガや苦しい感じに焦点を当てて、声をきこうとしても、あっているのかどうか分らないのです。彼に対する自分の気持ちについても、時と気分によって変わってしまったり。これはきっと思考にふりまわされているのだと思うのですが。ハートの声って、極端な疑いようのないものはクリアに伝わるのですが、そうでない日常的なものはどうやって聴けるようになるのでしょうか?

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