かぐや姫的世界観

わ~い!ウソのように毎日良いお天気になりましたね。カール・ドーソン氏のマトリックス・リインプリンティング(MR)のアテンドはとても楽しかったです!精神科医のお医者様や脳外科のお医者様も参加してくださり、日本のメンタルケアの未来に明るい兆しを感じました。MRに関しては、書きたいことはたくさんありますが、次のコースの前にまた書かせてください!

さて、カウンセリングやMRのようなセラピーで潜在意識の深い思いを探っていると、小さい頃に虐待を受けていたわけでもないのに、“ここ(この世、地球)にはいたくない”、“なんで生まれてきたのだ”、“私はここにいない”といった声にしばしば出会います。

というか、あまりに多いので、今回はこれをテーマに取り上げることにしました。

さて、そういった言葉の後に、“この世は薄汚い”、“この世は怖い”、“この世はうそ臭い、みんなウソっぽい”などなどといった言葉がたいてい出てきます。それだけなら、小さい頃の経験からそんな思いが生まれたのかもとも思えますが、その後に“お家へ帰りたい”とか“来たところへ戻りたい”という言葉が続くのです。

そして、お家ってどこ?と聞くと、愛と光の世界、真実の世界などといったお返事が返ってきます。ここで強調したいことは、ご本人が意識上でそういっているのではありません。潜在意識を深く探っていて、最後のほうに出てくる思いです。ご本人も、そんなふうに思っていたのかとびっくりなさることも多いです。ただ、出てくれば、ものすごく思い当たりますが。

で、そんな場合、小さい頃の出来事などをいろいろ癒しても、最終的にこの思いにいつもぶちあたり、本当の意味ですっきり!というところになかなかたどり着けません。また、お話を伺っていると漠然と小さい頃から自分は周囲と合わないと感じていたり、なんだかいつも生き辛い、または深く生きている気がしないといった感覚も共通しているようです。

さて、このような「かぐや姫的世界観」は、私たちのなかでおそらくもっとも多い見方だと思います。この世は、汚いことや苦しみがたくさんあり、そんなものがまったくない天上の桃源郷のような場所がどこかにあるはず、または、あったらいいなという思いです。

私も子供の頃に強く桃源郷に惹かれましたが、大人になったとき、それは“そんなものないんだよな”という冷めたあきらめに変わりました。また、何を隠そう、私自身“神様から離れて遠くに来てしまった”とさめざめと泣くインナーチャイルドを癒したりしたものです。(それもそんなに昔のことではない)

ただ、私がそのときまったく分かっていなかったことは、それは自我の視点から見た世界観だったということでした。自我は、年中判断をしていますね。これは良い、これは悪い、これは綺麗、これは汚い・・・といったように。

こうやって二極的な判断している限り、桃源郷にはたどり着けないことをまったく知らなかったのです。ですので、桃源郷への憧れが、ますます自分を二極の世界に閉じ込め、苦しくなることにも気がついていませんでした。

いわゆるスピリチュアルな教えは、愛とか光、宇宙とのつながりなどなど美しい言葉が多いですね。そのため、桃源郷志向が強い人は、ますますそんな次元に戻りたいと憧れを持ってしまいます。

エゴベースで不安や恐れが多いこの世ではなく、不安を捨てて愛だけになって、真の自分になろう、本来の場所へ戻ろうというような思い抱くというか。

間違っているわけではありませんが、もし、不安VS愛という二極の見方で、不安や恐れを悪いことと、持っていてはいけない感情だと思ってしまうと、どんなに愛に向かって励んでも二極の世界に留まってしまいます。

それじゃぁほんとうの自分、ほんとうの家へはどうやったら戻れるの?と聞かれたら、二つの道があるかもしれません。一つは、チルチル、ミチルの青い鳥が教えてくれるように、「ここが本当の家なのだ」と気がつくことです。または、奇跡の学習コースが教えてくれるように「私は一度も暖かなベッド(本当の家)を離れたことはない」と知ることです。

つまり、神様のもとに帰りたい、光の世界に戻りたいと嘆いているけれど、実は一度も離れたことがないし、今も神の懐(以外のところは存在しないし)のなかに包まれていると知ることです。

それが見えなくなっている理由は、自我を真の自分だと勘違いしていまっているからですね。自我を解体すると、思考、感情、体です。そして、それらのすべては現れては消えていく実体のないものです。

で、このように現れては消えていく実体のないものが、不変不滅の真我を捉えることは不可能なんですね。つまり、自我の状態で愛や光の世界を知り、そこに永遠に留まるということはできないんです。なのに現実を否定し、その世界を求めてしまうと、さらに深い自我の夢のなかに入り込んでしまい、地に足がつかなくなり、ときには現実生活に支障をきたすこともあるかもしれません。

なので、自分はすでにほんとうの家にいることを知るには、現れては消えていくものに気をとられず、それらすべてに気がついている、常に不変でそこにある意識(真我)に寄り添っていくことです。

欧米で大人気の覚者ムージーは、自我とは、雨の日に車のワイパー(←思考や感情のこと)を見ながら運転しているような状態だ、ちゃんと道(真我)に集中し、運転を続けようと話をしていました。

また、もう一つは、逆に事象(思考、感情、体の感覚)をとことん見つめ、そこにあるものをきちんと見ていくことです。あらゆるネガティブな感情は、最終的に恐れに行き着きます。そして、その恐れは、自我が自分は分離していると勘違いしている(インテグレイテッド心理学でやりましたね)ことから生まれるわけですね。

なので、恐れを悪者にするのではなく、恐れがあることを許し、受け入れることで、最終的に愛しかなかったんだと気がつくことです。このとき、自我が汚い、薄っぺらい、偽物、うそ臭いなどとレッテルを貼っていたものも愛から生まれていることを知るでしょう。

空即是色、色即是空というように、空(真我)に寄り添うことからも、そして色(現象)をきちんと見つめていくことからも、結局真実にたどり着けるのだと思います。

もちろん、それらを実践することは、こんなふうにブログで数行にまとめられるほど簡単ではありません。しかし、今の自分、今の状況、そしてこの世を否定して、愛や光が見えることはまずありません。それよりも、自分がダメだ、汚い、醜いとレッテルを貼るもの(または、自分自身)の下にある恐れを見つめ、それを愛で抱きしめてみませんか?

そのとき、自分がなぜここに来たかったのかが見えてくるかもしれません♪

かぐや姫的世界観」への6件のフィードバック

  1. あゆかさん、こんにちは!
    いつも大切な記事をありがとうございます。
    (更新されるのがとても楽しみなんです♪)

    今回の最後に「自分がなぜここに来たかったのかが見えてくるかもしれません♪」
    と書かれていますが、
    ここに来たかった内容は、一人一人違うのでしょうか?

    また、思考や感情のない真我の状態で
    〜したい、という目的を持つのは「何」の部分なのでしょうか?
    分離の感覚も思考も感情もない世界で、なぜ、〜しに(この世界へ)行きたい、
    という目的が個々に生まれるのか不思議に思いました。

    そして、真我というものには思考や感情もないのならば、そこには「愛」もないのじゃないか?と不思議に思います。
    真我の世界でいう「愛」とは、分離感がない世界での「調和」とは、何なんだろう…?どんなエネルギーなんだろう…と思います。

    とりとめもない書き方ですみません。

    先月、あゆかの部屋へ参加させていただいてから、たいせつなことが解りそうな思い出せそうな感じが続いていて、
    あゆかさんにお聞きしたいことがたくさんあります(笑

    • コメントをありがとうございます!更新を楽しみにしてくださっているとのこと、とても嬉しく思います。

      >ここに来たかった内容は、一人一人違うのでしょうか?

      人生の目的(魂の目的)という意味で書いたんではないんです。が、これをブログで書くのは難しすぎるので諦めます。真我に関しては、多くの方が同じようなご質問をされますが、過去の記事にも少し答えが書いてあるんですよ。とりあえず、愛は感情ではなく、状態です。

      分離がない世界という別世界があるわけでもないんです。ここはすでに分離のない世界なんですが、分離をしていると思ってしまっているだけなんです。ブログでも取り上げていきますが、ご都合がつくようでしたら、インテグレイテッド心理学講座の上級に
      もぜひいらしてください!

      • あゆかさん、ありがとうございました。

        そうですよね…言葉で説明するのは簡単ではないだろうと思いつつも
        ぐるぐると思考が回ってしまうのを解きほぐすヒントがほしくて、ついつい質問したがりになってしまいます。

        まず、「愛は感情ではなく、状態です。」ということ、
        よく味わってみます。

        インテグレイテッド心理学上級講座にとても興味があります。
        (今の私は生活が、開催されればすぐにでも参加します!と言える状況ではないのですが、頑張ればきっといつか参加できるハズ、です)

        あゆかさんのブログをよーくよ〜く読み返して、メモってみたいと思います。
        ありがとうございました!

  2. >空即是色、色即是空というように、空(真我)に寄り添うことからも、そして色(現象)をきちんと見つめていくことからも、結局真実にたどり着けるのだと思います。

    => ここ何ヶ月か、本当の自分(真我)に気づくとは、自分は実は存在しないと気づくことなら、そもそも存在しない自分を楽にするためにワークしたり、現象世界の幸せを求めたりしている自分っていったい何をやっているのだろう?との思いが大きくなっていました。でもこれを読んで、あぁ、やっぱり地に足を着けて日々暮らして行こう…! と思いました。

    ありがとうございます!

  3. あゆかさん、こんにちは。
    今回の内容は、少し難しくてまだ理解が足りていませんが、もしかしたら「その時」が訪れた時に読むとなにか新しい発見があるのかも、と感じています。

    今、セルフラブを初めて、本当に昔の自分からは考えられないくらい、これまでの執着や視点が変わり心が軽くなった感じがしています。
    それと同時に、人の悩みの境界線を意識して越えないでいようとすると、逆に人の悩みや愚痴や言いたいこと(ネガティブなこと)を聞くのが不愉快な気分になることが多くなりました。
    また、そう言う人を避けたくなったり、話題がそのようになってくると「相手の気持ちをくんで話す」よりも、スパッと切る感じで「ある種冷めた現実」を返事として返したりしてしまう自分になっています。

    冷めた返事は、時には納得し感謝されることもありますが、同情してほしいと思っている相手からは不服な表情をされてしまいます。

    私は、他人(の人生・考え・選択など)に興味がわかなくなってしまったと最近思うのです。

    けれど、ブログを読んで ”それよりも、自分がダメだ、汚い、醜いとレッテルを貼るもの(または、自分自身)の下にある恐れを見つめ”る という言葉にはっとさせられました。

    私は、「人に関心を寄せないでいること」の下にあるものに、もっと耳を傾けてみます。
    きっと、このもやもやした気分に何かのメッセージがあるんだ、と思います。

    大切な気づきをありがとうございます。

  4. あゆかさん、こんにちは。

    今回の記事、載せていただいて本当にありがとうございます!

    >“この世は薄汚い”、“この世は怖い”、“この世はうそ臭い、みんなウソっぽい”
    >“お家へ帰りたい”とか“来たところへ戻りたい”という言葉が続くのです。

    こちらの文章を見て、ハッとしました。
    私と同じことを思っている人がいるなんて…。
    この思いにとらわれすぎると現実世界を生ききれない気がするので、押しやっていたのですが、
    記事を読ませていただき、ほんわか気持ちが暖かくなり、とても癒されました。

    お家へ帰りたいという気持ちを持つ人はものすごく数少ないと思っていたし、こういった話は
    人には話せなく寂しい思いがしていたけれど、あゆかさんをはじめ数多くの方が深いところで
    感じているというお話にも感慨深いものがありました。

    あゆかさんの経験談もとても参考になり、繰り返し読ませていただいています。
    病気であの世に行った数少ない体験も一緒に癒されていく気がします。
    体験したことで、分離感が生まれていたのかもしれません。

    でも、おそらく行ったことがない方たちでもこんな風に感じるなんて、私にも癒せる気が
    してきました!

    素敵な内容の記事をありがとうございました。

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