私からあなたへ:人間関係の悩み

三寒四温とはよく言ったもので、暖かい日に後に寒い日が続いたりしますね♪

さて、今回はコメントにお返事いたします。コメントありがとうございます!

私は子どものころの体験が影響しているのですが、たくさんの人と接するのが苦手で、たくさんの人の中に入るとどういうふうにいればいいかわからず緊張してしまいます。<省略>あゆかさんのブログを読んで「人に好かれなくてはいけない」というのは本当だろうかと思い始めました。たくさんの人にいい印象を与え、たくさんの人に好意を持ってもらえ、誕生日のサプライズパーティなんかを開いてもらえるのが絶対いいと思っていて、人にあまり好意を持たれない自分は駄目だと思っていました。(←※あゆか注:正しくは、自分をダメだと思っているから、人にあまり好意を持たれないというふうに目に映っている。ご本人がいくら事実だと言い張っても、これ自体が投影なんです。)

「人に好かれないとダメ」も「自分は人に好かれない」も自分の思い込みです。たくさんの人の中に入ると、今まではどんなにがんばろうと思ってもだめだったので、もう絶対だめなんだと思っていたんですが、最近それも思い込みで、いつか違う展開がひらけるかもしれないし(←自分が自分をポジティブに見ない限り、新しい展開は期待できないんです)新しく出会う人たちの中には、別の見方で私を見る人がいるかもしれないと思い始めました。これに気づいたのですが、これから発展してどんなふうに楽になったらいいかわかりません。

一つは、「たくさん」が何人を指しているのかが分かりませんが、「たくさんの人の中でどういうふうにしていれば良いか分からず緊張してしまう」のは、まぁ普通かなということです。それでも、誰か話せそうな人を見つけて楽しめたり、または、少人数のグループでは楽しめていれば、とくに問題はないですよね?

ですが、もし、「とにかく多くの人に好かれなければ」と思っていたとしたら、無謀な(笑)な試みだったので、「別の見方で自分を見てくれる人がいるかもしれない」という地に足が着いた思いに変化したのは、とても良いと思います。

無謀なと書いたのは、たくさんの人に良い印象を与えようとすることは、不特定多数の他者の判断に身を委ねるということですね。なので、様々な好みを持つ不特定多数の他者が好む人になろうとすることで、自分をどんどん失っていき、自分がなくなっていくので、ますますどう振舞ってよいか分からなくなる・・・という悪循環になるからです。

この方がおっしゃっているように、子供の頃の経験で「自分は人に好かれない」という思い込みが出来上がってしまうと、人が自分をどう思うかが幸せの鍵を握っていると思ってしまいます。人に好かれれば幸せ、人に好かれないと惨め・・・というような。

しかし、一番癒したい部分は、「人に好かれたい、受け入れられたい、認められたい」といった心の飢えなんです。親の十分な愛情が感じられなかった、または虐待を受けていたといったことがあると、このような心の飢えがとても大きくなります。

また、親から愛情を十分受けられなかったりすると、「私にはどこかまずいところがある」「私はダメだ」といったような思いも出来上がります。そうすると当然、「まずい自分を良い自分に変えなければ」という思いを抱きます。

そこで、「自分を変えてみんなに好かれる人になるプロジェクト」が始まるわけです。つまり、無謀なプロジェクトの始まりです。でも、み~んなこの罠に陥ります。

しかし、心の飢えを本当に埋めることができるのは、自己愛だけなんですね。私がよくお薦めするバイロン・ケイティは、「私を愛するのは、私の仕事」と言っています。他者から好かれて安心しようとしても(←私を愛するのはあなたの仕事)、前に書いた理由で悪循環に陥るのが落ちです。

なので例えば、「別の見方で自分を見てくれる人がいるかもしれない」と思えたのですから、それを自分がしてみるのはいかがでしょうか? 今まで自分は自分をどう見ていたのでしょう? それとは違う見方をしてみるんですね。新しいもっとポジティブな目で自分を見てみるということです。

もし、新しいポジティブな目で自分を見ることができなければ、いくら頭で「きっと、別の見方で自分を見てくれる人がいるかもしれない」と思っても、実感がまったく伴わないでしょう。ただ、ありがちなのは、小さい頃の経験のせいで自分をネガティブに見るくせが深くついているため、なかなか新しい目で自分を見られないことです。

そのときは、どうしても感情レベルのワークが必要になりますが、これがまたブログでは書けないんです。(セラピーになるので) 私は、マトリックス・リインプリンティングなどを使いますが、ご自分にあったセラピーを見つけてみると良いでしょう。

で、こんなふうにワークを続け、自己愛が増えていくと、「私は好かれているか?」「私の振る舞いは大丈夫か?」「私はうまく受け答えしているか?」など、私~、私~という「私中心」の意識から、「あなたは、何に興味があるの?」「あなたは、どうして今日ここに来たの?」「あなたは、どんなことが好き?」といった「あなた中心」の意識に変わったとき、人間関係は本当に楽しいものになっていくんですね。

今の段階では、「人が自分をどう見るか」という意識しかないように感じられますが、「私が人をどう見るか」に変化すると世界が180度変わります。めちゃくちゃ楽で、人間関係をリラックスして、心から楽しめます。

しかし、「私中心」の意識だと、人と付き合っているときに、相手の顔色などをものすごく伺っているつもりでも、結局は自分のことばかり考えている(自分のふるまい、服装はOKか?、言葉使いは? 私は好かれているか?などなど)ので、実は相手のことをまったく見ていません。また、「私は好かれていないかもしれない」という思いをおもいっきり投影するため、相手の言動をネガティブに解釈しがちです

なので、相手を見ておらず、しかも相手に自分の思いをまるまる投影しながら、「相手は自分をどう思っているか?」と悩むのは、かなりエネルギーの無駄なんです。だから、疲れるし、苦しいし、解決できず、ぐるぐるしてしまうんですね。

ということで、そのエネルギーを自分を愛する方向へ使うほうがよっぽど意味があるでしょう。

自分をたくさん愛している人は、自然体で、心に余裕があって、無理がなく、自分をやたら防御することもなく、落ち着いていて、楽チンです。気を使う必要もなく、自分らしくいられるので、そういう人には自然と人が寄ってきますね。

でも、自分が自分を認めていれば、何人の人に好かれているかどうかといった思いが出てこないんです。それよりも、みんなが私のことを好きかどうかはどうでもいいから、みんながそれぞれ幸せにやっているといいなぁと思えるものなんですね♪

30日は、日本滞在最後の「あゆかの部屋」です。ご参加いただける皆さん、お会いできるのを楽しみにしております!

 

私からあなたへ:人間関係の悩み」への4件のフィードバック

  1. コメントをしたねこまーろーです。
    最近たまっていた気持ちをそのまま書いてみましたが、取り上げていただくのがわかって、
    わくわくどきどきしながら待っていました。
    ありがとうございます。

    本当にあゆかさんがおっしゃるとおりで、人に好かれようとするのは無謀な試みです。
    どこかへ行っても人がどう思うかのみが気になる。そしてどっと疲れる。
    そして、自分のことしか見ていない。そうなんですよね。

    思春期に「暗い」とか「まじめ」とかさんざん言われたので、もう刷り込まれていて、それでもだいぶん楽にはなりましたが、人に会うと「また言われちゃうんじゃないか」と思ってしまうサイクルに入っているんですね。
    私にとって集団に入るのは、「人にまじめだと決めつけられる場」なんですね。(←もちろん自分が思ってるからですよね)
    じっくりと付き合うのは苦手ではないので、職場などではいつも最後には何とかなるのですが、新しい場所に行くのがすごく億劫になります。それですごく疲れます。

    コメントすごくうれしかったのですが、またいつもの思い込み癖で、「あ~、私の思い込みが外れていたのか」とか「あ~、私は親に十分に愛を注がれていなかったのか」とか「自分を愛している人は、人がたくさん寄ってくるのか~、できない自分はダメなんだな」とか思っちゃいます。

    とりあえず最近は、「別に人に好かれなくても、また緊張してもがちがちになってもそれでも大好きだよ」とか「何も持ってなくても何かができなくてもそれでも大好きだよ」と自分で自分に言ってあげるとほっとして楽になるのですが、こんな感じで進めていけばいいのかな。

    「私が人をどう見るか」に変わったらどんなに楽なんだろう。そういう日がいつかくるといいな。

  2. あゆかさん、こんにちは。

    今年に入ってから、ずっと心に引っかかっていたものはこれだったのか、と読んでいてビンゴしました。
    自分も両親不仲+共働き家庭で育ち、病弱な弟に両親の視線を奪われたと思っていた時代を過ごしてきました。
    甘えとわがままの違いがわからず、かつては恋人や友人との人間関係が上手く行かなかったとき、私は何が原因か全くわからずただただ謝って取り繕うしかなかったのですが、
    それが「私中心」の意識による行為だったんだとようやく腑に落ちました。

    もっと快適な人間関係を作って行きたいので、今日からは「あなた中心目線」を増やせるように自己愛を意識して生きたいと思います。

    ステキな記事をありがとうございます。

  3. あゆかさん、みなさん こんばんわ。
    今日のブログとても納得しました。もう少し教えて頂きたいのですが、私は相手にしてあげたいと思う気持ちが強いです。で、相手が「もう少し早く行きたい」と行ったとします。すると、私は「相手は早く行きたい」→「私は、そうと思っていないけど、相手に合わせない私はいけない。」となり、相手に「どうして?早く行きたいの?」とか怖くて聞けないのです。と言うのも、両親からは否定の返事しか聞いた事がないので、「YES」を安心して待つ事が出来ないのです。そして「相手の意見を聞いてあげられない自分がダメなんだ」と自分が許せなくなり、そう思わせる相手が怖くて「嫌だー!!」と怒るというパターンを繰り返しています。

    これも最終的には自己愛や安心感を自分に許す事で違う現実を呼び出す事ができるのでしょうか?
    どうも、相手が求めている以上の事を自分勝手に解釈してやってあげたり、相手が求めている以下の事しか提供できなくて、ちょうど良い塩梅で関わる関係が今までの両親の関係から信じられないというかモデルがないので想像が出来ないのです。
    どちらかが無理しどちらかがやってもらうばかりの関係しか築けないのです。

    アドバイスあれば宜しくお願いします。

  4. あゆかさん、こんにちは。
    私もずっと、他人の視線に支配されてきたなと腑に落ちてきました。「集団に受け入れられないといけない。愛されないといけない。認められないといけない。失敗してはいけない。」こんな思いに緊張して、他人に受け入れられないかどうかの不安が苦しかったです。でも、今日になって、ふと「人に期待しないって楽じゃない?実績に捉われないで、やりたいことやるって楽じゃないか?受け入れられようとしない自分て楽なんじゃないか」って急に、肩の荷が下りたようです。そしたら、今度は、「好きな相手に、愛されようとしないで、相手を愛するって、どんな感覚だろう?」まだ経験したことないの分らないのですが、どんなだろうと興味を持ちました。あっぱり、こういう感覚が楽に生きることなのかな〜と思うこのごろです。きっと、こうやって皆楽に生きるようになるものでしょうか。色々とお世話になり、ありがとうございます。

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