先週末は三日間の上級講座が終わりました。ご参加いただいた皆さんありがとうございます!
スピリチュアル心理学の上級ということで、マインドのステージ、ハートのステージを詳しくみた上で、「真我(真の私)」についてもがっつり行いました。
スピリチュアルに傾倒していた人によっては、自分が信じ、求めていたことが崩壊するような気持ちになったり、混乱してしまった方もいらっしゃったかもしれません。また、人によっては、スピリチュアルな世界を放浪し、やっと謎が解けたと感じた方もいらっしゃったかもしれません。
また、私は目覚めたいわけじゃない!という方もいらっしゃったかもしれませんね。でも、エクササイズ自体は、思い込みを外すセラピーとしても十分使える役立つものだったのでは・・と思っております。
そして!講座でもアナウンスしたのですが、スピリチュアル心理学の名前を変更することにしました!
新しい名前は、「インテグレイテッド心理学(Integrated Psychology)」です。
というのも、スピリチュアルという名前から多くの方が、オーラ、前世、霊能者、といったものをイメージするようで、“あゆかさんは、見えるんですか”などと度々聞かれたりするからです。また、私は心理カウンセリングとセラピーを融合させているだけなのですが、スピリチュアルカウンセリング(って、なんだかよく分からないのですが、リーディングとかチャネリングなどだと思います)をしていると思っている方もけっこういらっしゃいます。
そこで、ロンドンのカウンセリングコースの正式名称が、インテグレイテッド・カウンセリング・ディプロマコースなので、そこから名前を取ることにしました。インテグレイテッドとは、融合とか統合といった意味で、「目覚め(非二元)と心理学の融合」という意味でもぴったりだと思っています。
それに、聞いた人がすぐにイメージが湧かないというのも、誤解されないという点で逆に良いかなと思いました。ですが、本当の名前は、「現場主義心理学」です。
現場(実際の人生)で役に立つ心のしくみしかやらないという意味です。しかし、人によっては目覚め(非二元)というと、なんだか遠い話に感じ、ぜんぜん現場じゃないように感じるかもしれません。“悟るなんて大それたことじゃなくて、私はただ私らしく生きたい”みたいな。
それは、もちろんまったく問題ありません。ただ、覚者は、思考とはなにか?感情とはなにか?人はなぜ苦しむのか?を、心理学のような知識ではなく、「真理」という立ち居地から実際によく見えているんですね。ですので、彼らのメッセージは、人間(自我)の思考、感情を理解したり、苦しみのメカニズムを理解するのに大変役立つんです。
なによりも、現場(セッション)で大いに役立っています。フロイトやユングなどなどよりもずっ~と実際に役に立っています。
ということで、スピリチュアル心理学改め、「インテグレイテッド心理学(Integrated Psychology)」、本名「現場主義心理学」をこれからも自分があきるまでこれからも続けていきます!
さて、何人かの方から「私は引退しました瞑想」のやり方を教えて欲しいというコメントを頂きました。私は、いろいろな本やセミナーを受けた上で、自分流のものを勝手に作るのが大好きです。
自分勝手に作ったセルフヒーリング、セルフセラピー、セルフ瞑想がいろいろあります。その場の勢い(クリエイティブとも言う)で作っているものも多く、再現不可能だったりもします。
ただ、例えばセラピーの場合、トラウマやパニック障害、依存症といったことも扱ったりしますので、知識とやり方の両面をきちんと学ぶ必要があると私は思っています。もちろん、創造性や直感は大切にしたほうが良いと思いますが、適当にやるというわけにはいかないでしょう。
また、いわゆるスピリチュアルな世界にも、メソッドと呼ばれるものも多く、そのメソッドを使えば、超意識になれるとか、変容意識に入れるとか、または高次の次元につながるとか、いろいろありますね。ヒーリングとか、違う意識に入るということが目的であるのなら、こういったメソッドを学ぶのも良いでしょう。
しかし、目覚めといったテーマの場合、私は逆にあまりメソッドやステップに囚われないほうが良いと思っています。というか、逆にそれらは邪魔になるかもとさえ感じます。このへんを混乱している人は多いかもしれません。悟るためには、今の自分でダメでなにかしないといけないと思っているというか。
しかし、上級講座に出席してくださった方々は、体験して頂けたと思いますが、真の私(真我)は呼吸よりももっと近く、すでにいつもここにあり、なので、知ること自体は非常にシンプルで、誰でも5分ぐらいの誘導で感じることが出来ます。(真我ってなに?という方は、※の記事をご参考にしてみてください。)
ただ、私たちの多くは、普段自我にすっかり同一化しますので、これが真我だとわかっても、まだまだ個としての私の感覚が強く、真我の本質をほとんど感じられないんですね。
なので、多くの人が最初真我を感じてもらうと、「ただ、静かなだけ」「なにも感じない」「なんか無味無臭」などなどとおっしゃいます。え?こんな程度?という反応が一番多いです。イメージしていたような光と愛に満ちていて・・・みたいなことを体験する人はまずいません。
なので、真我自体にはすぐに出会えても、真我の目から世界を見る、また無限の愛、静けさ、永久の時といった真我の本質を感じるには、自我にひっこんでもらわないと感じられないでしょう。
そこで、「私は引退しました瞑想」を作ってみました。といっても、瞑想とも呼べないかもしれません。
「単に何かしようという思いをすべて止めてしまうだけ」です。瞑想しようとか、真我につながろうとか、「私がなにかする」ことを止めてしまうのです。そして、「私がいる」ことも忘れてしまいます。
そうすると、急にすべての音が耳に入ってくるでしょう。冷蔵庫の音や時計の音、誰かの話し声といった部屋の中の音から、自転車や自動車が過ぎ去る音、誰かが道を掃除している音など外の音。そして、そららすべてに気づいている意識がありますね。その意識が真の私であり、その意識に寄り添うだけです。
何かに到達しよう、なにかをしようとすると、どうしても「私」が頑張ってしまいます。しかし、皮肉にもこれが真我の意識から遠ざけてしまうんですね。なので、ものすごく地味な瞑想ですが、実は近道だったりします。
こうやって真我の立ち居地が深まってくると、次にどんな音、どんなことが起きるのか、私たちはまったく知らないことに気づきます。いつも未知との遭遇なんです。それが真に腑に落ちたら、なんとかしなければいけない、このままの自分ではまずい、といったようなストレスがどっと落ち、ストレスフリーで流れに身をまかせることができるでしょう。
それは、無力でたんに物事に流されているのではなく、無限の愛と知恵に身を委ねた真の理解に基づいた降参であって、それゆえに心に大きな平和が訪れます♪
※次回は、コメントのご相談にお返事いたしま~す!
あゆかさん。真我って、耳たぶみたいだな~と思いました。
すぐそばにあり過ぎて、その存在をすっかり忘れているけれど、
私の耳たぶは、すべてを聴いています。
本当に深いところから聴きとって、直感と言う形で私に教えてくれていると思いました。
いつも一緒にいてくれてありがとう!という気持ちになりました。
今、ごちゃごちゃになっていることがあります。
真我はとても鎮かな存在でした。
真我と神との違いがまだまだわかっていません。
私自身は、神の声を聴いたことはありませんが、「神の声が降りてくる」「神とつながって声を聴く」という人の言うところの神の声って、一体どこから来るのですか?
誰の声なのでしょうか?
そこのところ、教えていただけたらありがたいです。
理恵さん、コメントありがとうございます!たぶん、お分かりだとは思うのですが、一日しか出席できなかったので、念のため~。私たちが、真我そのものなんです。なので、私たちに何かを教えてくれる存在ではないんですよ。私と真我とか、私と神という二元の構造ではないんですね。(分かっていらっしゃったら、ごめんなさい!)
で、真我と神の違いは、3日目にホワイトボードに書いて説明したんです。今度お会いしたときにご説明するか、コースメイトから教えてもらってくださ~い♪
あゆかさんこんばんは!
新名称おめでとうございます☆
実は、「スピリチュアル心理学」という名称、スピリチュアルに興味の無い人に話すときに、すこし抵抗があったんです^^;
そして「現場主義心理学」というのは、まさにそうですね!
あゆかさんの心理学に出会えて良かったです。
>多くの人が最初真我を感じてもらうと、「ただ、静かなだけ」「なにも感じない」「なんか無味無臭」などなどとおっしゃいます。
これは私もまさしくそうです。
私も自分なりに「引退しました瞑想」のようなことを行っていますが、「何も無いじゃん!」と、つまらないような落ち着かないような感じになり、そこに留まることができません。
そして、瞑想中であっても、常に「何かしよう」としている自分が居ます。
「もっと良い瞑想をしなきゃ」とか、「何か(愛とか静けさとか)を感じよう」と頑張ったりとか。
「何もしない」ということ、降参するということが、自我にとってはどれだけ難しいのかを痛感しています。
あゆかさんの「引退しました瞑想」を伺えて良かったです。
一日の中で気付いたときに「引退しました瞑想」をして、真我の状態に馴染んで行きたいと思います。
ありがとうございました!
あゆかさん、こんにちは。
「インテグレイテッド心理学」って、とっても良い名称ですね!
地にしっかりと足がついている感じが、あゆかさんの講座の内容ととても合っていると感じました。
この講座はまだ受講したことがないので、近いうちに是非受けてみたいと思っております。
上級では5分で真我を感じる事が出来るんですね・・凄い!
また、あゆかさんオリジナルの「私は引退しました瞑想」をシェアしていただきありがとうございました!わたしもさっそくやってみました。
しばらく何もしようとせずじっと周りを感じていると、おっしゃるとおりいろいろな音、それから色や服のすべすべした感じや冷たさなどの感触などが敏感に感じられ、不思議とリラックスするようでした。
もうしばらくすると「何かしなければ!」と強烈に焦る気持ちも湧いてきて、普段どれだけ絶え間なく「私」がとにかく何か頑張ろうとしているかもよく分かりました。
「あ、これが自我(「私」)かな・・。ほほう・・。」と落ち着いて観察している部分もありました。
あゆかさんの通りやれているのか少し不安ですが、とても気持ちがよかったので日常に取り入れていきたいと思います。
真我の立ち位置が深まって来ると、なんとかしなければというストレスがどっと落ちてストレスフリーで身を任せられるとのこと、本当にこんなふうになれたらどれだけ自由か・・!と憧れます。
こんにちは。
あゆかさんは、仕事は面白いものだと思いますか?
初めから面白いだけの仕事は、あまりないけど、楽しくすること、
面白がれることはできると聞きました。
なるほど、今世を楽しんでおられる方のおっしゃることだと、深く感じました。
私は、怠け者ではないと思います。
でも、エネルギーに敏感だったり、グランディングしにくかったり、
会社では働きにくい質のようで、仕事終わると、
ぼーっと、ネット見てたような日でも、ぐったりします。
根が真面目なので、さぼっていると、他人の目が気になって、
さぼっていても楽しめないのです。
毎日、どうも楽しくなくて、苦しくて、超ーストレスで、
甘えているようにしか聞こえないけど、
気も狂いそうです。
魂として、まだあんまり経験がなくて、「この世」、俗世間がきついだけなのか、
ただ、怖がったり、執着が過ぎるだけなのか、
思考が止まりません。
周りは、無視したり、攻撃したり、
様々な反応です。
そりゃ、ね。職場だし。 ね。
とにもかくも、私が好かれていないのだなということだけは、確かです。
自分が自分を許すこと、会社に居ても、ただ働かず、さぼったり、
辞めてニートしたり、
そこができるかどうか、だけな気もします。
現実、お金の問題もあるから、辞めたくても、辞めるわけにもというところもあるけれど…。
意識上、気付いていることと、
内実は、ずいぶん違って、それが、謎の苦しみになっているんだなーなんて思います。
どうしたら、覚悟がつくのかな…。
今のところ、私にとっては、働くことは、苦しみであり、
我慢なのです…。
セッションか自己ワークでしょうか…?
あゆかさん、こんにちは。
あゆかさんのがっつり目覚めトーク、毎回、楽しく拝読しております。
私は、できるだけ、思い出すたびに自分の呼吸を観察するようにしています。
今回、教えて頂いた「私は引退しました瞑想」、ネーミングがそのものズバリで、いいですね!
阿部敏郎さんの「ストップ瞑想」もよく似ていますが、彼は「この30秒の瞑想を一日6回やれば、異性からも同性からもモテだすよ~♪」と言い切ってました(笑)
kuma さんへ
以前、あゆかさんがほぼ毎日一回、バイロン・ケイティ、エックハルト・トール、ガンガジの言葉に目を通すと記されていたので、私もエックハルト・トールやあゆかさんの言葉に目を通しています。
時々、あゆかさんのブログも最初(2005年~)から、読み直しています。
とてもラクになりました。(あゆかさん、ありがとうございます!)
今、読んでいる2008年8月21日の「フィルムを取り替えよう」、参考になるかもしれません。
http://plaza.rakuten.co.jp/ayukadairy/diary/200808210000/
他にもたくさん、ヒントになる記事がありますよ。よろしければ~☆
ピンバック: 「インテグレイテッド心理学」に名称変更! 変わらずそこにあるのは愛!! | 下田屋寛子 オフィシャルサイト