降参は一番の抗ストレス剤

東京地方は、昨日は強風がすごかったですね~。3階の私の部屋の窓から、何かがバタバタと音を立てて横切りました。どこからか飛んできた洋服(?)だろうか。

さて、覚者と言われる人々(ちなみに欧米では、覚醒体験をしただけでは、覚者とは呼ばれません。目覚めた意識に常にいて、自我にまったく同一化しない人を覚者と呼んでいます。)は、“あるがままを受け入れる”、“出来事に抗わない”、“降参しましょう”ということをよく言います。

覚醒体験をした後も、目覚めた意識にいつもいるわけではない私、早い話、自我意識の私には、それがやはりとても難しく感じられました。なので、すべてをまったく中立に、あるがままに捉えらることができていたあのときのあの覚醒状態に留まっていたい!と思ってしまったものです。しかし、それ自体が勘違いだということも分かっていたので、まぁ、地道に行きましょう・・というところで落ち着いていました。

ところが最近、それが、あぁ~と体感として深く腑に落ちたことがあったのです。それは、東京のセミナーの前日、インフルエンザが治ったとはいえ、エネルギーをかなり取られ、また耳の奥がまだまだ痛むという状態のときです。こんな調子で大勢の方々の前でちゃんと講座ができるだろうか、楽しみにしている人も多いのに・・・など、ストレスを増やす思考と不安の感情に陥っていたのです。

私の思考は、なんとかエネルギーをアップさせよう、耳の奥の痛みを取ろうということに必死になっていました。セルフヒーリングをしたり、青汁飲んだり、ホメオパシーのレメディを服用したり、いろいろしましたが、少し良くなった気はするものの、まだまだ痛みはあります。

私は普段、“私は(存在することから)引退しました瞑想”をよくやっているのですが、そのときは、セミナーをきちんとやり遂げるという思いにすっかり呑み込まれ、そのことを忘れていました。しかし、はっと思い出し、早速、徹底的に降参してみたのです。

自分のエネルギーの低さに、耳の奥の痛みに、セミナーをやり遂げたいという思いに、そして、最後に自分が存在すること自体に100%徹底的に降参し、あきらめたのです。

つまり、体が勝手に動くままに動き、思考がでてきたら、字幕のように眺め、私が考えている、私が動いているという思いを完全に放棄したのです。主体ゼロ状態にしたんですね。

ちなみに、このへんは上級講座で詳しくやりますが、私たちは、いつも次にどんな思いが出てくるのか、まったく知りません。思考が出てくる前に出てこないようにしようとか絶対にできないんです。これは、思考の観察をいつもしている人は、よく分かるはずです。どんなに自分で考えているつもりでも、すべての思考の0.1秒前、その思いが出てくることは、私たちは知らないんです。

これは、思考のしくみの説明をしているのではなく、私たちが毎日体験していることを話しているんです。どうせ勝手に出てくる思考ですから、出てくる思いに抗わず、ただただ気づいている状態で、すべて現れ出るものをただ追っかけていくということをしていたのです。

そうしていると、一つ一つの動きを鮮明に認識することができ、ご飯を食べたり、洗濯物をたたんだり、日常の出来事は起き続けますが、まるで現象のダンスを踊っているかのように、ストレスフリーになっていきます。

その晩、まだ耳の奥も痛みはそのままで、しかも、朝方4時にマンションの上の人がなにやら大きな音をたて続けていたため、4時以降寝ることができなかったにもかかわらず、上の住人への怒りも湧かず、安定した気持ちで無事セミナーを終えることができました。

そして、いかに自分が普段、些細なことにでも嫌だと思ったり、状況を変えようとしているのかが、つくづく分かったのです。朝方起こされるかもしれないんだから、12時じゃなくて、11時には寝るべきだったとか、そういう思考が一切湧いてこないんです。

このとき、降参するというのは、頭ですることではなく、真に起きていることを追っかけていくことなのだということが、よ~く分かりました。真に起きていることとは、沸いて来る思い、感情、体の動き、外の音、他者の振る舞い、いろいろです。

これらをただじっくり追いかけていく、または、ただ気づいているといっても同じでしょう。

これを自我の観点から読んで、頭で実行しようとすると、ものすごく無理があるでしょう。でも、「私たちは、いつも次にどんな思いが出てくるのか、まったく知らない」という意味が本当に分かれば、それは頭の無理やりな降参から、現象とのダンスへと変わります。

目覚めるには、自我を滅したり(自我はもともとないので、ないものをそもそも消滅できない)、執着を手放したりしなければいけないと思っている人もいるかもしれません。しかし、現象のダンスとなったとき、勝手にコントロール欲や執着は落ちていくなぁと感じました。

覚者から見て、自分がコントロールできないことにしがみつき、苦しみを生んでいる人に“あきらめなさい、降参しなさい”と言いたくなるのは、本当に分かります。ただ、それを聞く側が、思考で捉えてしまうので、“できない、難しい”と感じるのもよく分かります。

両方の気持ちがリアルに分かる、中途半端な位置にいるなぁと思いつつ、これはこれで面白いです。ただ、もともと“私は無力だ”という思いを持っている人が、“じゃぁ、私がやる(前回の記事に書きましたが)という思いになって、自分主体になっても、無駄じゃないか”と解釈してしまったら、まったく違うことなんです。

“私は無力だ”という思いは、思考に深くはまり、分離の感覚から生まれてくるものです。一方、真に降参している状態は、思考から完全にフリーになっている状態です。

難しいのは、自我のレベルで必要なこと(“私には力がある”など、インナーパワーを確立すること)が、目覚めのレベルで一見正反対のことを言っているように見えてしまうことですね。

目覚めに直接つながることはありませんが、分離感が薄くなるという意味で、“私には力がある”という思いへシフトすることは、大いに役立つと思います。それに、単純に生きやすいですね。

話がどんどんそれていきそうなので、とりあえず、こういう話を読んでくださる皆さんがいることに感謝、感謝です♪

明日から三日間、上級では、今日のテーマを中心にたくさんエクササイズをやります♪

※去年上級講座を受けてくださった皆さん、新しいテキストをお送りします。(来月以降、少々お待ちください)

降参は一番の抗ストレス剤」への13件のフィードバック

  1. あゆかさん、こんにちは。

    私も普段、体調が万全でなければあそこに行けない、とか、あれはやれないかも・・とか、巧く行かなかったら・・とか、迷惑をかけてしまうかも・・とか、いろいろ物語にとらわれてしまいます。

    ですが、そういうものを全部手放して、白旗をあげて、ただ目の前にある”自分がこれをやりたい”、”やれたらいい”と思う事に、淡々と、でも思い切って取り組んでいけたらいいだけなんだなと、ふと思えました。

    「いい結果にしなければ・・(焦り)」と思うコントロール心に別れを告げ、ただばりばりと、もしくは着々と、淡々と、やることを進めていけば良いんだ、と思える事は痛快だし、楽ですね。

    ろころで「私は引退しました瞑想」はセミナーなどで教えていただけるのでしょうか?
    ぜひやりかたを知りたいです!

  2. さっき問い合わせページである質問をしたのですが、今回の記事の中にその答えのヒントがある気がします!!・・・あまりにベストタイミングでびっくりしました。ありがとうございます~!!

    私は「私がやる」と言ってしまったら、結果をちゃんとださなきゃいけないと思って、必要以上に責任を感じてしまうと思い、その感じる思いを前もって恐れていました。それに、やると宣言したことじゃなくても、自分がやりたい事、やろうとした事、やっている事はそれなりの結果が出せないと許せなくなっていました。そんな状態ですから、何も結果が出せず、どうして一部の事だけじゃなく、すべてがダメなんだ~!!と、鬱憤大爆発でした!(笑)

    降参する・・・か・・・
    実はですね、あるがままにいる気持ち良さは知っているんです。
    私の場合、考えに考えまくって頭パーンってなって、もういい!考えるのはひとまずおいといて、しばらく適当に暮らしちゃえ~まぁ考えるのは一ヶ月後でも良いよねって事をよくするんです。
    すると一ヶ月、本当に気持ち良く過ごせます。
    ちなみに本当に適当に暮らしています。ごろごろしたり、雲をながめてボーっとしたり・・・本当に幸せだな~と感じる期間です。
    それで体調が良くなったりするんですが、一ヶ月後に思うんです。・・・私何も成し遂げてないって!自分の夢に対する取り組みはもちろん、お金の事とか、何も解決してないって!!それで急に何かしなくちゃって焦ったりします。何をしたら良いのかわからない場合がほとんどですが。
    ここでさらに降参して、もっとずっと、あるがままにいるとどうなるのだろうと、あゆかさんの記事を読んで思いました。
    ただそれは不安でもあります。そういう風に過ごしながら、地に足をつけた生活をするっていうことがわからない・・・
    地に足をつけたしっかりした生活をしたいと思いつつ、何をしたら良いのかわからないけど、とりあえず出来る事はしようと思い、出来る事が部屋の掃除しか思いつかず、やたらと掃除ばかりしていた期間もありますね。その時はこれで良いのか?これで良いのか??ばっかり思っていました。
    でももしかして、すべてに降参して、あるがままにありつづけたら、本当にしたい事は出来ちゃうんじゃないかとも思います。
    だって私、今日まで人様のブログを見てもコメントとか残す人じゃなかったもの!ちょっと、その時その時の自然にでてきた欲求にしたがって生活してみるって事してたらコメント残してました。文章もほぼ何も考えずに書き込んでたので、やたら長文になってて自分でもびっくりなんですが、迷惑でしょうか??
    幸せな状態が自然な状態だから、自然体でいれば幸せな状態になる・・・のかな?・・・ああ、この考えに確信が持てればもっと楽になるのに!!・・・って考えも変??混乱してきました。
    ただ何かに気づいて、もっとずっと楽に生きれるようになる日も近いと感じます!それはあゆかさんの文章のおかげも大きいので感謝します。ありがとうございます。・・・あっ、そうならなくても別に良いわ~って気持ちも大事でしょうか?期待しすぎ良くないから。期待じゃなくてそれが当たり前って思えば良いのか・・・うーん・・・

    長文失礼しました!!

  3. あゆかさん、こんにちわ。

    こういうお話を聞けて、ほんとうにうれしいです。
    以前読んだ「覚醒の炎」という本に出てましたが「心を使わない」という表現があってとても印象に残っています。

  4. 昨日ちょうど、「すべてに白旗挙げよう」と決めたらこのメールが届いて驚きました。
    “私は(存在することから)引退しました瞑想”って具体的にどんなふうにしてるのか教えてほしいです。

  5. 今日、感じたのですが、不安で憂鬱なときに、そんな中でも、幸せをかんじ取ろうとすると、
    逆に、(失恋したときみたいな感じに)胸がヒリヒリして、幸せを感じ取ろうとする自分を拒絶しようとしている部分があることに気づきました。なぜだかわからないけれど、
    ずっと「嫌なことがあるときは、嫌なことを忘れて幸せになってはいけない」と、思って生きてきていたのかもしれません。「嫌なことがあると、嫌なことを考えていないと、もっと嫌なことがおきる」と思っているとも言えるかもしれません・・・。

    嫌なこととは、未来のこと。今は、明日仕事で、怖い先輩に質問することがあるので、それが憂鬱なのですけど。もう、そういう日が近づく度に、2日くらい前から暗い気持ちになって、無駄な日をすごしてしまう。
    しかし、楽しいことをしようとすると、胸が痛い。

    まだ、仕事初めて半年だから、辞めたくないと思う反面、怖い先輩には、1秒たりとも会いたくないと思い、いっそのこと辞めてしまいたいとも思ってしまいます。
    仕事は何をしても、1年続かないので、原因は、怖い先輩でなくて自分にあると思うのですが、
    でも、今回こそは、その先輩と本当に相性が合わないせいかもしれない。つまり、自分は悪くなくて、相手が度を超えてすぐイラつくし怒るからいけない。つまり、その人さえいなければ、私は仕事をもっとのびのびとできて、長く続けることができるのに。何て・・・思ってしまいます。

    辞めれば、開放感は満載だと思います。でも、また新しい仕事が1年も続かなかったら、本当に駄目人間な気がしてしまい、さらに自信なくしそうな気もします。

    一般的には、仕事は、すぐに辞めたらいけない。だとか、嫌な人はどこにでもいるから、いちいちそんなの気にしていたらきりがない。とかで、負けずに何年も同じ仕事を続けてる人が多いと思っています。
    なので、いちいち環境に我慢できなくて、辞めてしまう自分は、傷つきやすく、臆病で、弱虫で、反発できず、意見もいえず、言いたくもなく、怖いから言えないのか、もとから、意見とか言いたくないのかもわからず、ただ、憂鬱になり、積極的に解決することもできない。

    現実逃避かもしれませんが、気の合わない人と会社で働くのは本当に嫌だわ。気の合う人とだけで、仕事したい。気の合う人とは・・・、ありのままの私を受け入れてくれて、多少のマヌケは笑顔で許してくれて、気持ちよくフォローしあって、イラついているひとなんか、1人もいない。みんな笑顔。
    そんな職場あるのかな。

  6. 続き。前回の記事に関連して、
    そんな職場ないから、自営業つまり、自分で仕事すればいいのだが(物作りが好きなので)
    嫌な人を乗り越えられなかった自分が、自営業をやっても上手くいくはずがない。
    と思っている自分もいる。と、書き込みながら気づきました。

  7. あゆかさん、こんにちは☆
    質問をさせて下さい!
    私も自分でできる範囲でマトリックス・リインプリンティングのような事を試みています。私はある出来事がトラウマになっているというより、幼い時から実家を出るまでの日々の大部分がトラウマのようになってしまっています。その場合、その長い期間を全体的に書きかえるイメージでよろしいのでしょうか??
    最近は過去の捉え方も自分次第で変えられるのだなと感じてきて、とても嬉しく思います!あゆかさんのブログのお陰です、いつもありがとうございます!

    • こんばんは!

      勢いよく質問をしてくださったのですが、こういったご質問にお返事するのは不可能なんです。ただ、長い期間を全体的に書き換えるというのは違いますよ~、ということだけお伝えしておきますね。

      でも、おっしゃるように過去の捉え方は、まったく変わりますし、どんな過去があっても癒していけば、自分らしく楽しく暮らせるように必ずなります♪

      • お返事ありがとうございます☆
        そうなんですね、とんちんかんな質問をしてしまったようですみませんでした(^^;)
        自分らしく楽しく…そんな暮らし、とても憧れます、涙が出る位。ぜひセミナーなどであゆかさんのお話をお伺いしたいです。その為にも早く病気を治すぞ~なんて、焦って空回りばかりしてますが(汗)
        お忙しい中、ありがとうございました(^^)!

  8. あゆかさんの仰っている、
    >耳の奥も痛みはそのままで、しかも、朝方4時にマンションの上の人がなにやら大きな音をたて続けていたため、4時以降寝ることができなかったにもかかわらず、上の住人への怒りも湧かず、、、 の部分を読んで(「これが出来たら、日常生活のストレスから真に開放されるんだな~」)と思い、私もその境地をかい間見ることができたらいいなぁ、としみじみ感じました。人それぞれ、そこに至るまでのステップやタイミングはあるのでしょうが、これからもあゆかさんが体験をシェアして下さることで、そして自分なりに”ただ気付いている状態”に入ることをやってみることで、「無理やりではない降参」が、腑に落ちる瞬間が訪れることを願っています。あ、それから、私も“私は(存在することから)引退しました瞑想”について、もっとお聞きしたいです!

  9. あゆかさん、こんにちは。
    こちらを読ませてもらって今まで当たり前だと思っていたことが、実はいろいろな
    見方ができることなんだということがわかってきました。

    私は子どものころの体験が影響しているのですが
    たくさんの人と接するのが苦手で、たくさんの人の中に入るとどういうふうにいればいいか
    わからず緊張してしまいます。
    ほんとうはこわくてたまらないのですが、はたから
    見るとすごく堂々として見えたり、ぶっきらぼうでこわいとかふてぶてしいとか
    そんな感じらしいです。
    今まで「私はこんな自分を変えなくてはいけない」といろいろ
    本を読んできましたが、あゆかさんのブログを読んで
    「人に好かれなくてはいけない」というのは本当だろうかと
    思い始めました。
    たくさんの人にいい印象を与え、たくさんの人に好意を
    持ってもらえ、誕生日のサプライズパーティなんかを
    開いてもらえるのが絶対いいと思っていて、人に
    あまり好意を持たれない自分は駄目だと思っていました。

    「人に好かれないとダメ」も「自分は人に好かれない」
    も自分の思い込みです。
    たくさんの人の中に入ると、今まではどんなにがんばろうと
    思ってもだめだったので、もう絶対だめなんだと思っていたんですが、
    最近それも思い込みで、いつか違う展開がひらけるかもしれないし、
    新しく出会う人たちの中には、別の見方で私を見る人がいるかもしれない
    と思い始めました。
    これに気づいたのですが、これから発展してどんなふうに
    楽になったらいいかわかりません。

    ほんとうはセミナーなどにも行きたいのですが、遠方の
    上、小さな子どもがいるので難しいです。
    家でもできる方法などがあるでしょうか。

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