がっつり目覚めトーク

太陽が拝める日本の冬は素晴らしい!けれども、エアコンではなく、セントラルヒーティングが恋しい~~~! 乾燥しすぎないし、喉がやられないし。メーカーさ~ん、日本にもガス(風力、水力、地熱でも)セントラルヒーティングを!

さて、何をいまさらですが、皆さんもご存知のように私の本職はセラピスト&カウンセラーです。しかし、長い話をうんと短くして、苦しみの根本を癒すということを追求していくなかで、最終的に「目覚め」に辿りつきました。

なぜ、このようなことを書いているかというと、セラピストが目覚めについて書いているためか、「目覚め」を自分を楽にするツールとして捉えてしまう方が、それなりにいらっしゃるな~と最近感じたからなんです。

“目覚めれば、こういうこともなくなるのでしょか?、こういうことも平気になるのでしょうか?”といったようなご質問をけっこう頂きます。楽になりたくて、悟りを求めること自体は、ぜんぜん問題ありません。ただ、自分が楽になるための“ツール”だと捉えてしまうと、まったく目覚め(悟り)の意味を誤解してしまうでしょう。

ということで、目覚めに興味がない人も多いだろうし・・・というエゴトークを払拭し、今回は、がっつり「目覚めトーク」で行きま~す。

さて、どんな誤解かというと、 “自分が目覚める”という誤解です。というのも目覚めとは、「個としての私はいない」ということを知ることだからです。個としての私がいなくなるから、私のストーリーが消え、それによって真の平和が訪れるんですね。私がいなくなったのに、どうして私の人間関係とか私の人生というストーリーがまだ存続するのでしょうか?

プチ覚醒体験しているとき、「目覚め」のコーナーにも書きましたが、体もはっきり(真の)自分のものではないと分かりました。ましてや私の仕事というものもなく、私の人生もなく、すべて大きなエネルギーの渦としか感じられませんでした。

また、体が自分と関係なければ、一見自分が持っているかのように思える、「私の思い」、「私の感情」も、もちろん(真の)自分とは関係がないのだと分かります。思い、感情、体は誰のものでもないんです。

また、分離感覚がなくなるという意味も、正確に言えば、私と隣にいる鈴木花子さんとが無償の愛でつながって、分離を感じなくなるということではないんですね。

私がいなくなり、真我のみになるから、分離がなくなるんです。思考と感情と体を自分だと思っているのが自我です。そして、自我は、他の思考と感情と体を見て、あっ、他の人がいると思っているのです。

そして、自我はものを分離してみるため、椅子とか、テーブルとか、建物とか、町とか、太陽や月、いろいろなものが独立して存在していると思います。そして、自分の周りに存在する多くのものを見て、これらは誰が作ったのだろう?と考えます。そして、“きっとこれらを創造した神様がいるに違いない”と考え、ここに神が登場します。

ここで、「私と世界、そして神様」という構図が自我によって生み出されるんですね。私もかつてはそんなふうに捉えていました。“多くの人は、私と世界としか考えないけど、私はスピリチュアルな教えを信じているから、私と世界だけではなく、創造主がいることも分かっているのだ。真の私は魂であって、光の存在として、創造主の下へ戻っていくのだ”みたいにイメージしていました。

現象という観点からすれば、決して間違った理解ではなく、魂のゲームという壮大な夢は確実にあるわけです。ただ、目覚めの観点からすると、まだ“私”がいるんです。で、プチ体験をしたとき、魂の成長ということも、幻想なんだ、ゲームなんだということがはっきり分かったのです。“私の前世”とか、“私の魂の成長”とか、“私の~~”と思っている限り、それはまだ夢の中なんだと分かったのです。

とはいえ、目覚めVS夢ということでもありません。思考は、すぐこういった構図を描きがちです。真実は、まさに空即是色、色即是空なんです。目覚めの意識(空=真我)は、現象(色=夢)でもあり、存在しているものは真我のみで、すべては真我から生み出され、真我しかいないんです。真我しかいないと書くと、この世に一人という意味でとってしまう方もいらっしゃいます。自我は、どうしても「固体」としての存在しかイメージできないんですね。

奇跡のコースでは、“この世には誰もいない (no one is out there )”と教えていますが、個としての誰かは、存在しないということです。

なので、もちろんこの世で一人という意味ではなく、真我とはあまねく存在であり、存在のすべてです。観察する存在であり、同時に観察される存在でもあります。ただ、観察するといっても、真我は、あれだ、これだと分離してものを捉え、観察しているのではないんです。主体であり、同時に客体なんです。個別にものごとを捉えるには、主体と客体が分離していないとできないですね。

わかりにくくなってきたかもしれません・・・。

いずれにせよ、お伝えしたいことは、固としての自分が悟るというような話ではないということです。そしてまた、私たちは常に真我の状態だということです。ですから、どうやったら目覚めるか?という問いよりも、どうして目覚めていることに気づけないのか?のほうが、より正確な問いになるかなと思います。

そして、もし、真我を神と呼んだとしたら、私たちはみな常に神なんです。

ここまで読んで、混乱してしまった人のほうが多いかもしれません。しかし、言葉にするから、なんか複雑に聞こえてしまうだけで、真実はいたってシンプルです。真我の意識は、いつも毎日私たちがよく知っている感覚です。あまりに身近なために、見過ごしているんです。どんぴしゃな例えではありませんが、めがねを頭に乗せて、めがねを探しているようなものです。

ですので、愛で満たされた感覚とかすべてと一体化した感覚、恍惚の喜び・・・みたいなものを探していると、たぶん思いっきり見過ごしてしまうでしょう。

とりあえず、私は思考ではなく、私は感情でもなく、私は体でもなかったら、誰がそれらを持っているのでしょうか? ちょっと自分の中を探ってみませんか?思考と感情と体を持っているなにか個体が見つかるでしょうか?

そして、そうやって探しまわっているときにも常にあって、また呼吸よりももっと身近にある感覚、努力ゼロで自然にそこにあるものはなんでしょう?考える、感じる、動くといったことをする以前にすでにあるものは何でしょう?

それは、「私はある」という意識ですね。これが真我なんです。この「私はある」という意識を一日に何度も静かに感じてみるのも良いかもしれません。自我のドラマからあっという間に「いまここ」に連れ戻してくれるでしょう♪

ということで、今回は目覚めトークで突っ走りましたが、セラピーも大好き!ということで、“私のストーリー”、“私の苦しみ”を癒すお手伝いも、今後も続けていきたいと思っていま~す♪

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がっつり目覚めトーク」への12件のフィードバック

  1. 目覚めトーク、ありがとうございます!
    私は長い時間をかけて最近ようやく、
    自分の中のいろいろな物事が癒されてきたなーなと感じていて
    そうなって初めて、あゆかさんのおっしゃっている「目覚め」の感覚に気持ちが向くようになりました。
    以前なら、癒えることと目覚めそのものはまた別な話で、目覚めれば=癒えるではないなら
    目覚めを知ろうとすることは余裕のある人のお遊びみたいに感じたかもしれません。
    それが今はなぜか、「目覚め」の感覚が気になるのです。
    目覚めた人が素晴らしい人と思う訳でもなく、目覚めが私の最終目的という訳でもなく、
    ただ、その感覚に少しづつ近づくことに私の生きることへの様々な問いの答えがある様な気がするんです。

    ただ…あゆかさんは目覚めに恐れを抱いたことはありませんでしたか?
    私はちょっぴり恐い気持ちもあるんです。
    目覚めの感覚を知る?思い出す?…その後、この世を生きる自分の感覚の全てが
    前とは違ってしまうんじゃないかという不安があります。
    もし私がそんなに変わってしまったとしたらパートナーはそんな私を受け入れてくれるだろうか?
    なーんてことまで心配してしまいます(笑
    あゆかさんは目覚めの感覚を感じたことによって、この世を生きるうえで、
    かえって苦しみになったような部分はありませんでしたか?
    目覚めを感じたいならこんな質問はネガティブな方向の質問かもしれませんが、
    あゆかさんの場合どうだったか聞かせていただけると嬉しいです。

    • コメントありがとうございます。

      読んでいてなんだかとても嬉しくなりました。気負いなく、でも正直な思いが伝わってくる感じがしました。

      >あゆかさんは目覚めの感覚を感じたことによって、この世を生きるうえで、
      かえって苦しみになったような部分はありませんでしたか?

      かえって苦しいということは、まったくないです。自我の状態で普通にネガティブになったりしますが、それでも、本当の自分は影響されていないと知っているので、とても楽です。

      それに、真に目覚めれば、私はいないので、受け入れられるかどうかも関係なくなりますね。

  2. あゆかさん、こんにちわ。
    今回このように真我について、詳しく説明して下さってありがとうございます。
    二~三年ほど前に、マハラジの本「私はある」を手にしまして。私が探していたのはこれだと思いました。ですが、まだ、あゆかさんのように「真我」を知るには至っていません。
    あゆかさんは、真我を体験されたのですが、確か現在も何か瞑想のようなことをなさっているのではなかったでしょうか。もし、できましたら、どのような理由で瞑想を続けていらっしゃるのか教えて頂けませんか?
    私も以前は瞑想したり、他にほんとにいろいろやったのですが、その本に出会ってからは「探すから見つからないのだ」と思い、いろいろとやっていたことも、それらの本を読むことも、気が向かなくなってしまいました。ただ、私の知る範囲では、あゆかさんだけ真我に触れておられて、また、その体験をこうしてオープンにお話し下さってたのでここだけはずっと拝見しています。

    • ユウさん、コメントをありがとうございます!

      私はいわゆる瞑想というのはしておりませんが、Direct Inquiry(直に問う、直に探る)というのをしております。今回の記事の最後に書いたのもその一つです。

      >ただ、私の知る範囲では、あゆかさんだけ真我に触れておられて、

      目覚めのコーナーに、リンク欄があるのですが、日本でもたくさん真我を経験していらっしゃる方がおられますので、いろいろ探してみてくださいね。

      • あゆかさん、返信をありがとうございます。
        もうひとつ伺いたいのですが、眠っている時間というのは、どのように解釈していらっしゃいますか?
        人は「死ぬ」と思っているのが幻想(自我)ならば、眠っている間も自我があるために夢をみるのでしょうか、また、夢を見てない時間というのは?

        真我を体験してる方々を探してみます。
        ありがとうございました。

  3. あゆかさんこんばんは。
    今ガイアの教え読んでいます。

    そもそも生きているときに目覚めって必要なのでしょうか?
    目覚めの経験をすれば両方の感覚がわかると思いますけれど、死んだら常に目覚めの意識でいられる
    ということですよね。
    あえて地球に生まれたのは目覚めの意識がわからないまま人生を経験してみるということなのかとも
    思ったので、俗的に生きてもいいのでは?とも思いました。

    • もへこさん♪

      >今ガイアの教え読んでいます。

      ありがとうございます!!

      >そもそも生きているときに目覚めって必要なのでしょうか?

      必要というよりも、単に真実は何かという話です。地球は平らじゃなくて丸いんだよ、というレベルの話です。俗的VS目覚めということではないんです。

      >死んだら常に目覚めの意識でいられるということですよね。

      う~ん、そういうお話は聞いたことがないです。仏陀もそうは言っていませんし、現在の多くの覚醒したマスターもそういう話はしていません。私の体験からしても、違うなぁと思いますが。

      とりあえず、ガイアの教えが役に立ちますように!

  4. あゆかさん、初めまして。
    毎週ブログの更新を楽しみにしています。

    私はこちらのブログなどを参考にしながら、感情と付き合いながら生活をしていまして、最近はハートで生きる段階に来ている、という自覚があります。

    ところで一つ気になっていることがあります。
    こういう分野を大切にしている方って、あゆかさん含めて自身がセラピストであったり、自営業の方が多いですよね。

    私は今、OLをしています。
    スピリチュアルなことを通して自分が変わった、という自覚がありますので目覚めにも興味がありますし、人として生きる上で大切な取り組みだな、とも思っているんですね。
    こういう場にくれば、志を共にする方々と交わることが出来、とても心強く思う一方、普段の会社員生活をする上では段々と話や感覚が周りと噛み合わなくなってきている自分がいて、何だか悲しくもあるのです。

    なので、いわゆる世間的に見た「普通の生活」(私がここで指しているのは、会社員であったり主婦であったり…です)と、スピリチュアルや目覚めやら、は両立しうるものなのかな?と気になるのです。
    自分だけがはみ出しちゃったのではないか、とさえ思うこともあるので…

  5. いつもメッセージをありがとうございます。

    「目覚め」ブームみたいになちゃってますね。
    それだけ、目覚めの感覚を体験されている方が増えているということなんでしょうね。

    目覚めを体験したら、それ以降の人生がガラッと変わってしまえばわかりやすいのでしょうけど、
    そういうものでもないみたいだし・・・。

    エゴが完全消滅したら、ゲームオーバー。
    それを本当に望んでいる人はどれくらいいるのかな~なんて思ったりして?

    「ある」という感覚に戻ることは大切と思います。
    と同時に、エゴのゲームを楽しむことも大切にしたいと思います。

  6. こんにちは。
    目覚めとは話題がそれますが、最近バイロンケイティのワークを行っていて、本当に自分の思考がはがれていくんだと思いました。この思いを持っているから辛いんだと、自分は選べるというのは、すごい事実でした!
    さて、そうやって思考がはがれていくと、色んな過去の記憶の出て来て、感情もあふれ返ってきています。最近、恋愛で悩んでいたのですが、相手の彼への気持ちも、見方もどんどこ変わっていて、時に怒りを感じ、時に寂しくなり・・・を思春期の子供みたいにすごしています。
    そこで本題ですが、ふと「この寂しい気持ち。毎日がつまらない感じ、彼が一緒じゃないと面白くない感じがある」そして「彼の方からもっと、私に歩み寄り心を開かせて欲しい」みたいな感覚に気がつきました。これは多分、好きな相手に依存していることと思うのですが、こういう感覚も、自分の自覚しない思考が潜在意識に潜んでいることなのでしょうか?アドバイスをいただけると嬉しいです。お願いします。

    • コメントをありがとうございます!

      ご質問は、まさにスピリチュアル心理学基礎講座でやる、「スペシャル・リレーションシップ」が答えなんです。いつかご都合がつきましたら、ぜひ受講してみてくださいね。

  7. ピンバック: 私は引退しました&インテグレイテッド心理学 | Care of the Soul “魂のケア”

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