字幕はほどほどに

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さて、前回文末に一言、“あなたはぜんぜん大丈夫です”と書いたところ、“ぜんぜん役に立たない!、深呼吸することもできなければ、何が助けになるんだろう?”というお声を頂きました。他にも、「治らない病気で痛いとか不快な思いをしてる、家も食べ物もない状態にいる、というような時に“自分は宇宙とつながっているから大丈夫”とはなかなか思えないのでは」というお声や、「自然の美しさや外界を感じることができない時、深呼吸も難しいような状態の時から、そういう余裕のある状態に移行するためにできること、(頭の理解ではなく、)は何かあるのかなと感じました。」というようなコメントも頂きました。

前回にとりあげた方は、「私は無能だ」という思いに苦しみ、そのために今の状況を作ってしまっているということがポイントだと思い、 “あなたは無能じゃないですよ。ぜんぜん大丈夫です。”という意味で書いたんですね。ちなみに、実際のカウンセリングでは、あのようなお話は一切しません。お話の場ではないので。ただ、カウンセリングの場では話せないけど、ブログで書けることもあります。ので、ぴんと来ないだろうと思いつつも、真実はとりあえず書きたくなっちゃうんですね~♪

ただ、深呼吸もできないというのは、私は信じないんです。また、心に余裕のある人だけが、自然を感じられるというのも信じませんし、スピリチュアルはある程度心が安定している人のためのものというのも、信じないんです。

例えば、呼吸より簡単なことってどんなことがあるのでしょう?努力して呼吸している人はいないはずです。ちょっと深めに呼吸をすれば良いんです。コメントを書くほうが、深呼吸をするよりずっとエネルギーを使うと思います。ちなみに深呼吸は、思考でがんじがらめになっている緊張をほぐしてくれます。

また、思考に深くはまってしまうと(苦しいと)、周囲も目に入らなくなり、自然などとても感じている気分にはなれなくなるというのは、よくあることです。だとしても、朝陽を感じようなかと思えば、できるんです。例え一秒後にはまたどっと苦しくなっても、心にとって大切な一瞬になります。

目覚めのメッセージは、どなたかも書いてくださいましたが、頭で理解している限り、不可解だったり、ぴんと来なかったりするでしょう。なので、多くの人にとって自分と無関係に感じられるのも不思議ではないと思います。

さて、思考は、どうしても状況を“判断”してしまいます。それ以外のことができないんです。

なので例えば、「年金が払えない→良くない(判断)」。これ以外に何か見方ってあるの?事実は、事実じゃないですか。事実に目をつぶるわけにはいきません!スピリチュアルなんてフワフワしたことを言っている場合じゃないんです!という反応になっても、まったくおかしくないです。

また、状況を判断するということにあまりに慣れすぎているので、私たちは覚者も同じように、状況を判断していると思ってしまいがちです。しかし覚者といわれる人々は、状況を判断して、“こんなに悲惨だけど、でも大丈夫♪”と思っているのではなく、状況を判断せず、あるがままの状態だけが見えるから、大丈夫だと“知って”いるんです。つまり、思考が介入していないんです。

例えば、「年金を払うお金がない」という状況をテレビで見ているとします。そのテレビは無声テレビですが、字幕が出ます。字幕には「私は無能だから、年金さえ払えない」「すべては私が無能だからだいけない」「家族に迷惑をかけるなんて最低だ」「こんな状況変えなければいけない」「でもどうしたら良いかぜんぜん分からない」「この年で仕事経験もない私に未来があるのか」などと出ています。

他にも次々にネガティブな思いが書かれている字幕が映り、しかも、その字幕は画面全体に大きく映し出され、それを24時間読み続けています。ものすごく苦しくなりませんか? しかも、この字幕は、自分が歩いていくところどこでもついてきます。どうにかしなくてはと思うほど、字幕の数は増え、焦りが増え、さらに字幕が増え・・・それを一つ残らず読み、ほんとか~?とか突っ込みもせず、すべてその通りだとうなづき、苦しくなる・・・というサイクルに陥ります。

このとき、意識を一旦字幕から、自分の呼吸に移し、深く息を吸ってみると、わずか数秒ですが、字幕を見ない瞬間が生まれます。また、意識を字幕から朝陽に向け、顔に暖かさを感じてみると、これも数秒かもしれませんが、字幕を見ない瞬間が生まれます。このとき、意識を100%朝陽に向けないと、朝陽に字幕がついてきてしまうでしょう。で、これが心にとってはとても大切な空間なんです。交感神経が活発になっていた状態から、副交感神経にちょっと移行できるきっかけが生まれます。

意識を自分の思考からほかのものへ移すということは、どんな人でも必ずできます。ビクトール・エミール・フランクル博士は、ナチスの強制収容所のなかで仲間が毎日死んでいく中、自分は絶対生き残り、精神科医として仕事をすると信じ続けていました。彼は「彼らが私のすべての自由を奪おうとも、私の心の自由を奪うことはできない」というような言葉を残しています。

テレビに映るものが何であれ、そこに字幕をつけるのは自分しかできず、また、どこに意識を持っていくか選ぶことも自分しかできないんです。もちろん、セラピーでは、なぜネガティブな字幕しかつかないんだろう?という原因は探っていきます。それでも、最終的にその人がどの思いを持ち、どこに意識を持っていくかまで他者が介入することは不可能なんです。

逆に言えば、すべての人が力を持っているということです。

コメントの出だしにいきなり、“救いにならない、まったく役に立たない!”と書くということは、なんで助けにならないことを書くのだ!といったような欲求不満の現れかなと思います。で、そのエネルギーは、けっこう生命力を持ったエネルギーです。このエネルギーを自分の力にできるといいなと思います。

さて、目覚めの観点からすると、あらゆるすべての事象がスピリチュアルです。目覚めの意識から生まれていないものなど一つもないんですね。

ですから、使える制度を探すとか、誰かに助けを求めるとか、具体的な行動も含めてすべてある意味スピリチュアルなんです。(セラピストの仕事ではありませんが) 良い情報をくれる友人が、そのときのあなたにとってのエンジェルであり、はっとする言葉をかけてくれたお店のおばさんが、そのときのあなたのマスターであり、震災時などに“助けよう”と一斉に人々が働く動きが無償の愛なんです。それらが見えることがスピリチュアルだと私は思っています。

ちなみに、テレビに字幕が一切映らなかったら、映像はどんなふうに見えるでしょうか?字幕だけでなく、年金とかお金とか、私とか、私がいる、私が見ているという概念すらなかったら?そこに見える風景はどんなものでしょう? 私がプチ覚醒体験したとき、洋服に小さな蛾がとまっているのが目に止まりましたが、そのとき蛾とか虫といった概念がなく、それはただそこにいて完璧でした。自然と笑みが浮かび、愛しさが沸いてきました。

またもし、テレビに出てくる字幕を読んでも、それは画面に現れては、消えていくものだからと真剣に読まなかったら、苦しみは生まれるでしょうか? もちろん、これを苦しみの真っ只中にいる人に今実践しろ言っているのではありません。覚者が苦しまない理由を書いて見たいと思ったんです。

それでは明日は、スピリチュアル心理学基礎講座です!参加者の皆さんにお会いするのを楽しみにしています♪

 

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字幕はほどほどに」への18件のフィードバック

  1. 心の中に安らぎがあったとしても、
    不安でいっぱいのコメントを見るとゆらぎ
    この質問にあゆかさんならどう答えるんだろう?
    と思いながら過ごす時間が、
    私にとって、とても大事です。

    こうして、ほっとできる空間にゆりもどされ、
    あたたかい手でそっと撫でられて
    心が落ち着く瞬間を何度も味わう旅に
    自分の中で、自分を大事にする練習をしてるんだ
    そうできるようになりたいんだな、
    と思います。

    そして矛盾するようですが、
    安らぎだけが、本当の平和だけが尊いとも
    思わなくなりました。
    不安と安心をいったりきたりする
    その揺れ全体を愛し、丁寧に味わって生きていたいなあと。

    コメントを書かれる皆さん、ブログをかきつづけてくれるあゆかさん、いつもありがとう。

    • こんにちは!

      >不安と安心をいったりきたりする
      その揺れ全体を愛し、丁寧に味わって生きていたいなあと。

      もうほんと~にその通りです!がしっと握手を強く交わしたい気分になりました。とっても嬉しいコメントをありがとうございます。

      • さばさんのコメントとあゆかさんの返信でスピリチュアルへの理解が深まりました。

        ありがとうございます(。-_-。)

    • さばさん
      今の私ともぴったりマッチするコメントでした。
      私も恐れと安心が毎日揺れ動いています。
      恐れや自分を否定する感覚が現れても、それも感じて、受け入れていけるように、自分を見つめています。
      きっと、気がついたら幸せだったんだと思うのでしょう。
      コメントありがとうございます。

  2. あゆかさん、いつもありがとうございます。

    今回の内容に自然の話が少し出てきますよね。
    私は何でもない自然が大好きで、雑草が風に揺れているのや、
    陽の光に照らされているのを見つめるだけで凝り固まった気持ちがほぐれます。
    それでも昔から淋しぐらい思うのは、人は植物や風や、そういった自然のものたちと
    切り離された存在であると感じてしまうことです。
    あゆかさんは、覚った人は分離の感覚がなくなるというような事をおっしゃっていましたが、
    それは人対人に限らず植物や大地や宇宙に対しても自分とひとつだと感じられるのでしょうか?
    もしそうなら、私にとってはとても幸せなことなのです。

    現実的な質問が多い中で、とらえどころのない質問すみません。
    いつかちらっと書いてくださると嬉しいです。

    • こんばんは!

      はい、もちろん、人と人だけでなく、すべてです。物質、非物質含めて、ほんとうにすべてです。太陽の暖かいぬくもりも、雑草も、鳥のさえずりも、ぜんぶひとつで、ぜんぶ自分なんです。

      これからもぜひブログをお読み続けてくださいね。

      • 鳥も太陽も雑草も空も自分なんですか?え~よくわからないですが・・・・最近 いろんなものに感動しています。いつも見慣れていると思っていたものに。空に 鳥に 雲に 空に 頬をなでる風に 猫に 水に 新鮮な気もちや感動が起こります。そんなときは 心がすごく平安です。

      • こんばんは!
        ありがとうございます。

        私は自然現象の厳しさも含めたうえで、
        日々、自然に助けられて生きてきたように感じています。
        ただ逆に、私は自然に何も恩返しが出来ていないな…とか、
        自然と比べて私はなんてちっぽけで役に立たない存在なんだろうと
        心苦しく思うことも多々あって。

        あゆかさんのブログを拝見するうちに、それも分離の感覚のひとつで
        もしも私と自然の万物の間にも境目はないのだとしたら
        私の世界の見方を大きく変えることが出来るんじゃないか…と考えていたんです。

        あゆかさんが「ぜんぶひとつで、ぜんぶ自分なんです。」と、こたえてくださった事、
        私にもいつか自分でそうはっきりとわかる日がきますように…と嬉しい励ましになりました!
        ありがとうございました。

        (三月のあゆかの部屋に参加させていただくのを、今からとても楽しみにしています)

  3. こんにちはあゆかさん。
    初めてコメントをさせて頂きます。

    わたしはあゆかさんのブログや本に出会ってだいぶ楽になったひとりです。

    わたしは暴力と不和の機能不全家庭で育ったためか、 4・5才の頃から生きる価値も愛される資格もないと思いこみ、大好きな人と幸せな未来を歩むことも10才に満たない頃から諦めていました。

    毎日を苦しみながら生きて精神的な病にかかり不安定で暗い現実しか見えておらず、それでもなんとか脱出しようと思考で考えて解決しようとし、心を完全に無視していました。
    でもあゆかさんのブログを何度も読み、思考からハートベースに持って行くことや、自分のからだのなかにはいっていく方法を知り実行してみたら、 もう死ぬ限り解放されないと思っていた苦しみがとても楽になりびっくりしたのを覚えています。

    なのでブログにあった何方かのご意見の「スピリチュアルはある程度心が安定した人のもの」はわたしも違うかな、と感じました(とっても個人的な意見なのは重々承知ですが)。

    それよりもあゆかさんのブログに出会う前に読んでいた、心を無視してプラス思考を植え付ける自己啓発本の方が苦しかったなぁ、と。

    実は明日のセミナーを申し込ませて頂いております♪
    お会いできることやセミナーを楽しみにしております☆

  4. 前回、あゆかさんの「思考中心からハート中心に移行してみましょう」という言葉を「なるほど」と読ませていただきました。そして、「年金が払えない、スキルがない、社会人経験がない、仕事がない」という状況の方のお考えも「うんうん」と、うなずきながら読ませていただきました。

    こういう状況では深呼吸することもできない、助けにならないという考えに対して、あゆかさんの「深呼吸もできないというのは、私は信じないんです。また、心に余裕のある人だけが、自然を感じられるというのも信じませんし、スピリチュアルはある程度心が安定している人のためのものというのも、信じないんです。」という言葉を読んで、ハッとしました。

    「年金が払えない、スキルがない、社会人経験がない、仕事がない」というような状況を深呼吸して、魔法のように「年金払える、スキルがある、社会人経験がある、仕事がある」という状況に瞬間的に変えてしまうことを求めていたから、私も昔、「深呼吸しても状況が変わってない」となり、苦しかったのかもしれないと思いました。

    「年金が払えない、スキルがない、社会人経験がない、仕事がないという状況を変えたいという」に対する答えには、今回の「使える制度を探すとか、誰かに助けを求めるとか、具体的な行動も含めてすべてある意味スピリチュアルなんです。」がピンときやすいと個人的に感じました。

    前回の「思考中心からハート中心に移行してみましょう。あなたは大丈夫です。」という言葉は、「自分の無能さは自覚しています。全部自分の責任です。本当に自分の今までの生き方のせいで今が在るのはわかっていますが、どう気持ちをもったらいいのか分かりません。」というお悩みに対してのものだとすると、すんなり入ってきます。

    フォーカスする部分によって捉え方も様々ですし、すごくためになりました。あらためて、状況=自分というストーリーを持っていないか、自分も確認してみようと思いました。もし自分が今の状況に納得していないなら、とにかく出来ること(あゆかさんのおっしゃる「使える制度を探すとか、誰かに助けを求めるとか」具体的な行動)をしながら、同時に深呼吸していってみよう、と思います。ストンと腑に落ちるって気持ちがいいです。あゆかさんの言葉と皆様の勇気ある正直な感想に救われています、ありがとうございます。

  5. いつもブログ拝読してます。今回のエントリーも大変参考になりました。つまらないことですが、ピーター・フランクルじゃないですよね。「夜と霧」の著者ならビクトール・エミール・フランクルでしょうか。

  6. あゆかさん~おはようございます^^文書はほんと難しいですね~伝えたいことが、パラドックスに伝わることを~経験しています^^:あゆかさんの情を手放し~愛そのもののメッセージ感謝しています。まあ~情を出していたら~とっくに今のあゆかさんはいませんね(笑)セミナーもお伺いしたいのですが~なんせ世捨て人~最果ての地ですから・・・・肉体の在る内~お会いしたいです。あゆかさんの活躍楽しみにしています。

  7. 本当に苦しい時、苦しみから解放されたくてあゆかさんが書いていたからと深呼吸や自然を感じてみても、普通の人は、1回程度のチャレンジですぐにそれでは効果が得られないと判断してしまうのではないかと思うのです。もちろん、チャレンジすらしない人もいると思います。私もそちらのタイプです。

    ただ、あゆかさんのブログをよく読むと、字幕=思考から解放される瞬間が大切と書かれており、思考から解放された瞬間を出来るだけ多くつくり出した方が良いのではないかと思いました。思考から解放された瞬間に、はじめは本当に小さいかもしれないけど、ハートの声が聞こえるのではないかと思っています。

    そう考えると、私たちは本当に多くのことにレッテルを貼っているんだなぁと思います。覚者といわれる人々がどんなこともあるがままに見て、判断しないということが少しわかりました。思考は私たちが創り出したもので事実ではないんですね。思考にとらわれる苦しさも実感出来ました。

    「私がプチ覚醒体験したとき、洋服に小さな蛾がとまっているのが目に止まりましたが、そのとき蛾とか虫といった概念がなく、〈省略〉自然と笑みが浮かび、愛しさが沸いてきました」
    素晴らしい体験ですね。私は、まだまだ、「蛾だ。」としか思えません。

    今回は、質問者様のお蔭でいろいろ感じることが出来ました。ありがとうございました。

  8. あゆかさんの「使える制度を探すとか、誰かに助けを求めるとか、具体的な行動も含めてすべてある意味スピリチュアルなんです。」という部分を読んで、あーそうかー、そういうことか!と、はっとしました&気持ちが回復しました。
    これこそ、地に足のついたスピですね。
    今まで会ったセラピストとかヒーラーさん達は、仕事関係の相談をすると「自分でハローワークとかで探して、自力でやるしかないにきまってるでしょ!!」と、どちらかというと怒り調子で言われるだけだったので、怒らないで話を受け止めて頂いただけでも感謝なのですが、それプラス前向きになれる視点を教えていただいたこと、本当に感謝です。

    また、さばさんの
    「安らぎだけが、本当の平和だけが尊いとも思わなくなりました。
    不安と安心をいったりきたりする
    その揺れ全体を愛し、丁寧に味わって生きていたいなあと。」

    というコメントもすばらしいですね!
    不安と安心で揺れながらもそれを丁寧に味わう、って、まさに生きることですね。

    そうか、そうだよな、って、久しぶりに深呼吸ができそうな気持ちになりました。

    あゆかさん、皆様、本当にありがとうございます♡

  9. あゆかさん、いつも素敵な記事をありがとうございます。

    以前、あゆかさんがブログで

    「もっとお金を稼ぎたいけれど、
     今の職場は残業やアルバイトがNGで、余分に収入を得ることができない」

    という悩みを持った人に

    「じゃあ、違う職場を探さないとね」

    みたいな返答をされていたことがあって

    それを見て、めちゃめちゃ頭がクリアになった覚えがあります

    スピリチュアルは魔法じゃなくて、
    目の前に金銀小判がざくざくあふれてくる物じゃなくて

    いろいろ経験して人生をすごしていく中で
    その経験をなるべく楽しいと思えるための手法なんだなって

    だから、行動はしなくちゃいけないんですよね
    ただそれを、苦労だと思わないようになるというか・・・

    なんだかうまくまとめられませんが、
    ふと思ったのでコメントさせていただきました

    あゆかさん、日本をエンジョイしてくださ〜い

  10. いつもありがとうございます。
    この頃 「ねばならない」
    が出てくると 自分を責め始めるサイクルに気づけるようになりました。
    ありのままの ほんとにかっこ悪い自分を認めるには かなりの抵抗がありますが それを認められた時の何とも言えない心の平安を知りました。
    少ない 経験ですが貴重な経験なので報告したくなりました。

  11. 「字幕」のたとえ、とってもわかりやすいです!!
    ありがとうございます。

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