不完全を許せば、世界が広がる

来年のスピリチュアル心理学基礎講座の日程のみセミナー欄にアップいたしました。他の講座、申し込みフォームなどは来週にアップいたします。

今回もコメントにお返事いたします!下記のコメントです。ありがとうございます!

私は英語に対し、「身につけられっこないもの」という感覚をもってしまっています。今まで長年英語に触れてはきましたが、どうしても「不自由なく聞き取ったりしゃべったりできるようになれる」とは思えないのです。英語には常に恐怖が一緒にっくっついています。私の中に英語をブロックしてしまう何かがあるのかな、とも感じています。英語に対し、あゆかさんはどのように努力されたのか、どんな風に向かい合ってきたのか、機会がありましたら是非教えていただけませんか。

私はイギリスにもう15年も住んでいますので、さすがに英語は慣れてきました。しかし、住み始めた当初は、苦労の連続でしたので、日本に住みながら英語を身につけるている人、身につけようとしている人は、それだけですごいなぁと感心してしまいます。

さて一番の問題は、「身につけられっこないもの」、「どうしても、不自由なく聞き取ったりしゃべったりできるようになれるとは思えない」というところにあるでしょう。

このように思っていたら、どんなに英語と向かい合っても、また誰かの体験談を聞いても、英語を自由に聞き取ったり、話したりできるようになることは、かなり難しいだろうなぁと思います。

ということで、まずはどうして身につけられないものと思っているのか?ということを探ってみると良いでしょう。

英語は、○○○○○○だから身につけられない、または私は、○○○○○○だから英語を身につけられない、

○○○○○○にどんな言葉が入るのでしょうか?また、英語にくっついている恐怖の中に、どんな思い込みが隠れているのかを見つけたいなと思います。(←たぶん、これが一番鍵)

この方が、英語を自由に聞いて話せないのは、本当に100%思いこみだけなんです。保証します!ということで、私がどうやって英語を習得したかではなく、コメントの方とはまったく違う思い込みですが、どんな思い込みを私が持っていたかという体験談を書かせて頂きますね。

イギリスに住み始めてから、テレビを字幕モードにし、知らない単語や言い回しを毎日書き取るという方法で私の英語力はぐんと伸び(←お薦め)ました。しかし、それでも私は自分の英語力に自信があまりなく、イギリス人だけの集まりに行くといつも縮こまっていました。

それは、そのときはあまり気がついていませんでしたが、「きれいな英語を話さないとイギリス人は嫌がる、相手にしてくれない」という思い込みがあったからです。なので、“あの先生ドイツ語訛りがひどくて分かりにくいわ”とか、“イタリア語の訛りがひどすぎて、何を言っているか分からない”といったようなイギリス人の言葉に敏感に反応していました。

今振り返れば、めちゃくちゃな英語を話していても、イギリス人と仲良くやっている人もたくさんいるのを目撃していたにもかかわらず、その思い込みのせいで「あの人たちは、仲良くなれる特別な何かがあるのだ」と思っていたのです。

また、「何度も聞き返すと嫌がれる」という思い込みもあったので、一回で相手が何を言っているかぜんぶ理解しなければ・・と思ってしまっていました。そのため、相手がで言っていることが途中で分からなくなると、頭がパニックになり、ダメだ~とあきらめてしまい、会話が途切れて、きまずい・・・ということもよくありました。

そんな状態にもかかわらず、セラピーの勉強はどうしてもしたかったので、いろいろなコースを受け、英語も勉強し続けていました。長い話をすっ飛ばし、アルコール依存症の団体でヒーリングのボランティアをしたことをきっかけに、カウンセリングも勉強したほうが良いと思いあたり、あるカウンセリングのカレッジへの面接を申し込んだのです。

面接で、私は一番の懸念事である自分の英語力の不安を面接官の女性に話しました。人の心の悩みを英語で聞いて、即答するなんて難しそう・・・と思い込んでいたからです。

で、私は、“私のあきらかに訛りの強い下手な英語”に対してなにかアドバイスをくれると思っていたのですが、彼女の口から出た言葉は、“あなたは、完璧な英語を話せないといけないと思っていない?”だったのです。へっ?と思い、そこで振り返ってみると、びっくりしたことに “ネイティブのように話せないといけない”と思い込んでいたことが分かったのです。(できるわけがない!)

面接官の女性は完ぺき主義の人のために良い本があると、本の題名を書いた紙を渡してくれ、私はその紙を見つめながら、これは明らかに英語の問題ではなく、自分の思い込みの問題なのだとはっきり認識できたのです。

その日以来、英語力を伸ばす努力を思い込みをはずす作業に切り替えました。あれから十年以上経ちますが、一切英語の勉強していません。間違った文法や自分ででっちあげた英語を話しているなぁと気づきながら、リラックスして話しをしています。

自分が知らずうちに掲げていた高い基準(ネイティブのように話す、文法を絶対間違えないなどなど)を手放したら、とたんに世界が広がりました。自分の基準が自分を小さな箱に押し込めていたことがよ~く分かったのです。英語はツールでしかないのに、私は思いっきりツールに振り回されていたんですね。

今でも、100%間違った英語しか話せません。相手が言ったことを間違って聞き取っていることもあります。しかし、コースで教えるときは、相手が日本人であれ、何人であれ、いつも「一番伝えたいこと(ハート)」を中心にお話をします。

また、普段イギリス人とたわいもない会話をするときも、同じ人間だね~とリラックスして話をするようにしました。そうすると、それまでは「英語を上手に話さなければ」という思いで頭がいっぱいだっため、見えなかったことが見えてきたのです。つまり、相手も同じ人間で、私の英語力よりも、自分がどう思われているかを気にしている人や自分と気が合う部分があるかなどに気を取られている人のほうが圧倒的に多いということです。

ということで、他人は、あなたが思っているほどあなたのことを気にしていません。みんな自分のことで頭がいっぱいです(笑)。自分の頭の中だけで“~~さんにこんな風に思われているかも”など、いろいろなことが起き、そして怖くなっているだけです。(一人芝居)

目標や理想の姿を掲げて、それを目指すことも楽しくやっている分には、大いに役に立つでしょう。でももし、いつの間にかそのために今の自分を否定したり、自信がなくなってしまったり、恐れがでてしまったときは、あれっ?自分の箱に入っているかも?と振り返ってみても良いかもしれません。

自分が無意識(か意識的か)に作り上げた基準や理想は、自分が勝手にでっちあげたものだということを覚えておくと良いでしょう。到達してもしなくてもどっちでもいいんです。肩の力を抜いて楽しみましょう!

不完全を許せば、世界が広がる」への26件のフィードバック

  1. いま子育て真っ最中です。
    先月出産したばかりです。
    記事を読んでいて、何だかホッとできました。
    なんとか泣きやませなきゃ、周りと比べてあやすのが下手。
    ちゃんとお世話ができないと、人に預けることができない。
    私よりずっと年下のお母さんたちの方がしっかりしていて、自分はマタニティブルーにどっぷりで恥ずかしい。
    実家に頼れないから、なんとか頑張らないと。
    周りの友達や知り合いのひとにいっぱい声かけしてもらってるのに、ダメな私。
    いっぱいいっぱいグルグルして、泣いてばかりです。

    普段から自分へのダメ出しがとっても多かったので、余計つらい思いをしていました。
    セミナーなど出て、勉強したつもりでも、まだまだ思いこみがぬけない・・・ってまた自分をいじめてますね。
    いま、この記事を読めてよかったです。
    隣で子供が相当泣いてますが、ちょっとだけ息抜きできました。

    • コメントをありがとうございます!

      記事が少しお役に立ったようで大変嬉しく思います。赤ちゃんにとっては、リラックスしているお母さんが何よりかと思いますので、「抜けているお母さん万歳!」(実際は、きっと抜けていないと思いますが)、「マタニティーブルーの私をよしよしキャンペーン♪」をぜひ展開してくださいね。

    • 先月ご出産とのこと、おめでとうございます!
      今は多分、子育てで実際に心身共に「一番しんどい時期」だと思いますよ~。
      ホルモンが激変する時期なので、「泣いてばかり」というのは自然なこと。私自身も本当に死ぬかと思うほど辛い日々でした。赤ちゃんは可愛いけど、やっぱり実家に頼らず、基本1人で新生児を育児するのは、実際、人間という生物にはかなり不自然であり、相当に大変なことだよな・・・・と、改めて思います(子どもは小学生になりましたが、今でもハッキリと当時の大変さを覚えています)。

      心からエールを送ります。今すぐにでも出来るなら側に行って、代わりに赤ちゃんを抱っこして、少しママンさんを休ませてあげたいです。それほどに、精神&肉体重労働ですから。
      自分責めモード全開になるのも、心身疲労ホルモン激変マックスの時期特有かもしれません。
      そんな自分に集中しすぎ方が良いかもしれません。
      1ヶ月後、2ヵ月後、3ヶ月後、4ヶ月後、と、じわじわ~~~じわじわ~~~と楽になりますから。1年後は全く違いますし、2年、3年経つに従い、ミラクルに世界が展開します。
      この苦労が、次に赤ちゃんを育てるママたちに共感する、大きな力になりますし・・・あともうちょっと!
      子育てこそ、体験しなければ分からないことの連続。
      全てが想定を超えた体験、体験、体験、体験、そして体験の連続だったと思います。
      振返れば全て輝く、素晴らしい宝でしかありません。
      1人で抱えず、特に旦那様に力を貸してもらえますように。

      • きらこさん♪

        ご自分の体験から来るとても心温かいアドバイスをありがとうございます!

        >基本1人で新生児を育児するのは、実際、人間という生物にはかなり不自然であり、相当に大変なことだよな・・・・と、改めて思います

        ほんとうにそうだなと思います。

        もっと社会がコミュニティーベースになってくると良いかもしれませんね。

    • >隣で子供が相当泣いてますが、ちょっとだけ息抜きできました。

      この一文にジーンとしてしまいました。ステキなママですね。
      私は子育てしたことがないから大変さは実感できませんが、ママンさんがホッとできる時間が増えることをお祈りします。

      あゆかさん、今回の記事も大変参考になりました。
      私は読み書きや聞き取りはなんとか、、、ですが流暢に話せないです。
      この場合も不完全を許す、ということなんですね~
      やっぱりまだまだ、何かを許すということの何かが、偏ってる気もします。
      何においてもそういう見方を一度してみる、というのもいいですね
      流暢ではない英語を堂々と話たいと思います(笑)

      • あゆかさん、きらこさん、mimizuqさん

        あたたかい言葉に、体がぽかぽかしてきました。
        ありがとうございます。

        煮詰まってるときは、虐待や育児放棄のニュースがとっても身近に感じられます。
        (実際するかは別として、気持ちがわからないでもないといったトコロです。)

        休日にダンナさんに見てもらって息抜きに近所のカフェで少しだけお茶をしたりして、ちょっぴり落ち着きました。

        つい自分に厳しくなっていますが、自分よしよしキャンペーンやったり、今はいっぱいいっぱいですが、この体験が自分の世界を広げ、宝物になる日を楽しみに精一杯過ごしていきます。

        いっぱいいっぱいだけど、そんな自分でも大丈夫、そんな自分を許してあげたい。
        失敗もいっぱいする、素敵なママでありたい。

        こんな?私でも素敵なママって言ってもらえるって、うれしいです。

        本当にしんどいですが、子供を産んでから、周りの優しさに触れることが多くなっています。
        それは、きらこさんの言うとおり、たとえば子育てを体験して、共感して、分かち合う温かい気持ちがあるからですね。

        子育てだけじゃなく、仕事や家族との関係を経験して、優しくなれるんですね。

        完璧じゃないけど、「ママです」って看板をしっかり掲げちゃいますね。
        ありがとうございます。

        このブログがあって、コメントできて、ヨカッタです。

  2. あゆかさん参考になります!ありがとうございます!
    私も間違えちゃいけない、つっかえたら聞いてる相手に迷惑だ、相手に嫌な顔をされるし、もともと話し下手だから、と思ってました。
    さらに、「自分の顔が気に入らない」という思いまで出てきました。顔にコンプレックスがあり、会話のときに顔をまじまじと見られたくなかったのです。笑っちゃうかもしれませんが、真剣にそう思っていたことが今わかりました。

    >自分が知らずうちに掲げていた高い基準(ネイティブのように話す、文法を絶対間違えないなどなど)を手放したら・・・

    どうやって手放したのか、もうちょっと詳しく教えていただけませんか。

    • コメントをありがとうございます!

      >どうやって手放したのか、もうちょっと詳しく教えていただけませんか。

      私の場合、セラピー(フォーカシングやEFTなど)を使うので、文章で説明するのがちょっと難しいです。ただ、拙書「まずは思い込みをはずしましょう」にあるエクササイズや「運命の人に出会う~」の文庫本のネガティブな感情を解放するエクササイズなどで、だいぶ解放しました。ご自分にあったものを選んでみてください。

  3. あゆかさん、こんにちは。
    この記事のお陰で自分の問題のポイントが一つわかりました。私は「○○は~あるべき思考」にどっぷり浸かっているようです。
    誰でも失敗はあるし少々のことは寛容にと思いながらも、例えば政治家や企業、影響力の強い責任ある立場や人に何度も繰り返されると「確認をしっかりするべき」「謝罪や訂正をするべき」ボタンに反応。
    「他人が失敗すると批判するのに自分のことは常に有耶無耶にして甘い」→「だから信用出来ない。あの人は嫌い」と子供の頃からずっと嫌悪感が凄いです。「より己を律するべき」という意識がとにかく強いんです。
    なので自分でもよくわかってはいるんですが、ここしばらくは怒り過ぎで体調が滅茶苦茶です。
    (この数日の政治のごたごた、あゆかさんはご存じではないかもしれませんが、酷い有様です。この20数年間は年々政治家のレベルが劣化してると思ってましたが、40歳近い私にとっては今がまさに過去最悪と言いたくなる状態です。どこもかしこも矛盾だらけ自分のことだらけで国民は置き去りです。)
    頭に血が上りすぎて全く関係ない普段は何とも思わない様な日常の些細なことにも過敏に反応してしまいます。感情的にも肉体的にもまさに「嵐の中」状態です。
    この怒りのエネルギーもっと他のことに有効活用出来れば良いのにと思うんですが…上手くワーク出来ずにいます。発熱、痛みや重苦しさその他色々点在してますが喉から胸がもやもやで押し潰されそうな感じで一番辛いです。そんな私を同時に見てる自分は確かに存在してるんですが…
    いい加減自分で自分が馬鹿馬鹿しくなってくるんですが、なかなかすっきりしません。一つにはこれから先どうなると言う不安もあるんだと思います。私は基本的に自分も含めて人の死や死後のことには囚われないタイプなんですがや心身の痛みには過敏です。死に方やその時の状況がどうなのか、が気になったり怖いんだと思います。

    ところでちょっとした疑問なんですが「今は私という立ち位置で見ている」夢から目覚めた後「全く違う立場から見ている」夢を見たり、そのまま夢を見続けないことは可能なんでしょうか(或いはaと言うゲームを途中でやめてbと言うゲームを新しく始める)。その場合「今まで見ていた夢の記憶」はあるんでしょうか。あゆかさんは何故あゆかさんの続きの夢を見ることを選んだのでしょうか。何か理由ってありますか。

    愚痴みたいなことを長々と書いてしまってすみません。

  4. こんにちは!
    いつも更新を楽しみにしています^^
    セミナーについてですが、平日の開催の予定はありますか?
    土日は子どもがいて行けないので。。。

    お忙しいところ恐れ入りますが、よろしくお願いします!

  5. あゆかさん、こんにちは。
    私は今、アジアのある国に住んでいて、いわゆる現地語という言葉は流暢です。
    ですが、仕事で、英語を使うことが多く、あまり上手くないのでストレスを感じることがしょっちゅうです。もっと勉強すればいい、と思うのですが、よく考えると、ブレーキをかける思い込みがあるようです。

    というのは、まわりの英語が上手な日本人は、皆さん裕福な家庭に育って、英語圏に留学している人が多く、私みたいに、精神的にも物質的にも恵まれない家庭に育った者は、英語が上手になれない、と思っているようなんです。加えて、私の周りの英語が上手な日本人は、教育がない人やお金に恵まれない人を、見下しているように見えます。だから、私はそんな風になりたくない、というか。。。

    ところで、パートナーがほしくて、ずっとスピリチュアルガイドにお願いしてきました。友人に紹介してもらったりして、いろいろ努力したんですが、うまくいかず、先日、ネットでヨーロッパ人男性と知り合いました。これまで、西洋人とおつきあいしたことがありません。

    ちょっとバカみたいなんですが、彼と話すとなると、英語しか選べないので、それが苦痛です。
    彼は英語圏の人ではありませんが、英語が流暢です。
    この間、初めて会って、食事をしたとき、英語で話しながら、食べなければならないので、すごく緊張しました。しかも彼は、話すのが異様に速いのです。(今から思えば、彼も緊張していたのかもしれません。)

    お別れする間際に「どう?ボクのことを少しは好き?」と聞かれたとき、思わず、「緊張しているのでよくわかりません。英語が下手なので、緊張するんです。英語の面接試験を受けているように感じました」と言ってしまいました。彼は、「え、君は英語が上手だよ」といいながら、びっくりしたような、悲しそうな顔をしていました。

    それから、毎日、彼はメールをくれますが、英語なので、やりとりしているとき、やはり仕事気分になり、返信する前に、スペルや文法を念入りにチェックしてしまいます。セクシャルな表現を書かれても、私は脳みそが完全に左脳モードなので、盛り上がれません。

    週末にまたデートすることになり、ああ、また英語なんだあ、と思うと気が重いです。
    せっかく私に関心を持ってくれる男性が現れたのだから、がんばろうという気持ちもあるのですが。でも、外国人でも、日本語が少しでも話せる人だったらよかったのに、と考えてしまいます。

    スピリチュアルガイドには、あれほど「日本人男性」とお願いしたのに、なんでこうなるんだろう、とちょっぴり怨みつつ、でもスピリチュアルガイドには、「いいかげん、私があわせる男性に文句をつけるのはやめなさい。好きになるように努力しなさい。」と怒られているような気もします。

    • デートで英語の流暢さが気になる方もいらっしゃるんですね。
      わたしは仕事上では気になっていましたがプライベートでは全然気になりませんでした。
      やっぱり人それぞれなんだなあって思います。流暢の定義もひとそれぞれなんだろうなあ・・・きっと彼が言うように十分流暢なんじゃ。。。とか思いました。
      ネイティブも平気で文法間違ったりするし。
      あゆかさんの記事と皆さんのコメントで本当にみなそれぞれ違っていて、でもそれも幻想で、というのは面白いですね。

      というかあゆかさん、この世は幻想なのにスピリチュアルガイドがいてそのスピリチュアルガイドが彼氏を送って来るっていうのがよくわからないんですけど??
      ちょっと矛盾を感じてしまいました。

      結局は今あふれているスピリチュアル本をはじめとする精神世界を標ぼうしている人が推進するのは分離の世界でいかに幸せになるか、というテーマに集約されるんでしょうか。
      私が思うにこれこそが堂々巡りの坩堝なんですけど、そこから脱するテーマを掲げている人は少ないような気がしました。

      • こんにちは!コメントありがとうございます!

        >この世は幻想なのにスピリチュアルガイドがいてそのスピリチュアルガイドが彼氏を送って来るっていうのがよくわからないんですけど??

        幻想であるのは、この世だけではありません。森羅万象、移り変わるものすべてです。つまり、スピリチュアルガイドも宇宙もすべて幻想です。でも、空即是色、色即是空、というように、これは幻想、これは真実と分けて考えることもできないですね。

        >結局は今あふれているスピリチュアル本をはじめとする精神世界を標ぼうしている人が推進するのは分離の世界でいかに幸せになるか、というテーマに集約されるんでしょうか。

        いいえ、違うと思いますよ。分離の世界(人間ゲーム)のなかでいかに成長していくか、幸せになるかを教えるスピリチュアル系(引き寄せの法則など)と、「個である私」は、幻想であって、個である私がいなくなったとき、一体誰が幸せを求めるの?それよりも、個である自分から目覚めて、目覚め意識としての真の私という真実を見出しましょう、という目覚め(悟り)系の教えがあると思います。どちらがより正しいとかではなく、これも空即是色、色即是空、どちらも大切ですね。

        • あゆかさんお返事ありがとうございます。

          引き寄せの法則系のものは非常にキャッチ―で多くの人に受け入れられやすいものですね。作家もセラピストも、目覚めとか言うよりお金ももらいやすいと思います。
          そして目覚めの意識という悟り系のもの、両方大事ということなんですね。
          ふむふむ。

          人間ゲームのほうでうまく波に乗れる人、その助けができるセラピストって悩んでいる人の数を分母にしたら分子にのるセラピストの数ってどのくらいなんだろう。

          効果がなくたって責任を取るような仕事ではないし、クライアントはお金を払って傷つけられる可能性もなきにしもあらず。そしてそれも自己責任。というか自分以外対処できないから。
          “お金があれば優秀なセラピストを探してセラピーも続けられる。セラピーを続ければ効果があるかもしれない。自分の深い思いを自分で見つけ出すのは大変と書いてある。でも自分にはお金がない。仕事をこのまま続けるには人間関係が辛い。癒されれば現実も変わるはずなのに。癒されない私はどうしたらいいの etc etc”
          ぐるぐるぐるぐる堂々巡り人のできあがり。本を読んだり、中途半端にセラピーに通った人に現れやすい症状かな。わたしもそんな感じのところがありました。そこから抜け出せたのは奇跡です。あゆかさんのおかげもある、と前に書きましたがそれは逆説的な意味でした。

          そしえ目覚め、ということになれば、それはセラピストが習熟してるかは全く関係ないんですよね、、、目覚めがあるかどうかは未知数…

          セラピストそしてセラピーというものについて、改めて冷静に考える機会を与えて頂いて本当にありがとうございます!!感謝。
          万能のセラピーもセラピストもないわけで、過剰な期待を持つのはどうなのかと思いますが、一人でも多くの人に癒しが訪れるならそれはそれですばらしいと思いました。

          • 付け足しです。
            セラピストやそういう方たちが出す出版物など、本当に抜本的に役に立っているかはたまた全く逆の効果を生んでいないか、そういったことを考えられることはありますか。
            果たして自己責任だけの話でしょうか。
            あゆかさんは過去記事で
            >起きた出来事を「これは、良い出来事」、「これは悪い出来事」というように判断するのは、エゴ(思考)のお仕事です。

            や、人生に起きることを受け入れる、というようなことを書いていらっしゃいますが、コメント欄に載るのはそうじゃなくて現在が不満 or 苦しい、結果が出ないことへの焦りが断然多いですよね。

            ということは読者に伝わっているのは、セラピーで現在の状況を変えることができるかも、という淡い希望ではないのでしょうか。現象が変わるのではなく見方が変わる、ということすら伝わってない気がします。

            恋人・配偶者ができても子供がいてもいなくても、健康でも病気でも人間は不満を見つける天才のようなところがありますから、特に周囲と比べていくらでも不幸になることができます。何か一つ得ても、何かないところを探したりします。モグラたたきのように癒すことがざくざく出てきたり。

            本当にこちらに来ているみなさんに伝えたいのはセラピーにお金なんか出さなくても自分の中に自分を生かす源泉があるってことです。
            だから、セラピーにかかるお金がなくても不安にならないでほしい。自分に自信がなかろうが、自分が嫌いだろうが、自分を受け入れるって決めてみてほしいです。中途半端にではなく、徹底的に、全面的に自分を受け入れてほしいって思います。

            長々と失礼しました。これで最後になります。あゆかさんみなさん、ありがとうございました。

          • コメントありがとうございます!

            ちょっと分かりにくかったので、書いてくださっていることを誤解なしているかもしれませんが、

            >果たして自己責任だけの話でしょうか。

            いえ、そういうことではないと思いますよ。自己責任というより、自分には意思があるということかなと思います。また、今現在苦しんでいる方に、「人生に起きることを受け入れましょう」とも、絶対言わないです。それで済めば、それこそセラピーもカウンセリングも必要ないですね(笑)。

            目覚め系の教えは、今まさに苦しいんです~!という方には、あまり向いていないかもしれません。喉が渇いている人に水をあげないで、「真実とは・・・」と話しをするをみたいな感じというか。

            ただ、苦しい状態の方がどちらかというとコメント欄を利用するケースが多い気がしますが、“今、けっこう人生楽しんでいます♪、ただ、心のしくみやスピリチュアルに興味があるんですぅ~”という方もたくさん読んでくださっていますので、目覚め系の話しもこれからも書きたいなぁと思っております♪

            そして、セラピーにお金なんか出さなくても~~と書かれてしまいましたが(笑)、セラピストの立場からすると、効果が出ないセラピーやカウンセリングをそれこそお金を出して勉強することもしないんです。

        • あゆかさんの一番下のコメントに対してコメントをつけたかったのですが、「返信」ボタンが見当たりませんでしたので、こちらのつけさせていただきます。

          私は、確かに「苦しい状態」のときに、コメント蘭をよく利用しています。
          「ルンルン状態」のときは、書きません。・・・ごめんなさい。

          さらに、何か問題があって苦しんでいて、気持ちの整理をしたくても、周囲の人に話せないときに、コメント蘭をよく利用しています。周囲の人に話せない理由は、忙しそうなのに自分の悩みをきく時間をさいてもらうのが申し訳ないとか、悩みの内容が共通の知り合いの批判になっているとか、プライベートすぎて、ほかの人に話したくない、などです。
          今回のコメントの場合は、ネットで男性を探している、とほかの人に知られたくなかったからで・・・。

          たいてい、書いてしばらくして、読み返すだけで、かなりすっきりしますし(自己満足?)、他の方がコメントをつけてくださったり、あゆかさんがブログで問題を取り上げてくださったりすると、「ああ、私のもやもや、痛々しい気持ちは、みんな共通なのかなあ」と、孤独感からも癒されます。
          ほかの方の苦しい状態を訴えるコメントにも、うんうんそうだよねえ、と共感してみたり。

          セラピーというか、対面カウンセリングを1度だけ受けたことがあります。
          気持ちすっきり、えー、もっと早く受けたかったーと思いました。
          体の病気に例えると、長らく湿疹で悩み、こんなのたいしたことないわーと適当に売薬を塗っていても改善せず、ついに眠れなくなるほどかゆみがまして、血がでるくらいに掻いてしまったので、しかたなく病院に行って薬をもらって塗ったら、2、3日で治ってしまった、というのに似ています。
          対面カウンセリングも湿疹の治療も、料金を払いましたが、得られた効果に比べれば、ずいぶん安く感じました。

          何事も自己解決できればいいのですが、誰かに助けてもらったほうがうまくいくなら、助けてほしい・・・

          あゆかさんの「目覚め系」のお話は、文章を読むだけだと、「ううう、難しい、わからない」と思うこともあります。
          ただ、旅行に行って、自分の日常とあまりにも異なる世界に一人で身をおいたときに、まるで霧の中に、夢の中にいるようで、「これまで信じていた自分という存在はなんだったろう」と、自分が溶けてなくなっていくような感覚に陥ったことが何度かあり、それがあゆかさんの言うところの「この世はすべて幻想」なのかなー、と。

          苦しい状態でないときは、肉体に閉じ込められて、エゴに責められて、胃を痛めたり、皮膚のかゆみでいらついたり、眠れなくて頭痛がしたり、死んでしまいたいと思いつめるのも、また、いい体験なんじゃないかなー、と思える余裕があります。

          ということで、今回は比較的「ルンルン状態」のときにコメントを書かせていただきました。
          あゆかさん、毎度お世話になっており、本当にありがとうございます。
          いつか、日本に住むことになったら、ぜひセラピーにも参加したいです。

          • あゆかさんへ
            >セラピストの立場からすると、効果が出ないセラピーやカウンセリングを
            >それこそお金を出して勉強することもしないんです。

            この意味が良くわからないのですが。
            クライアントが効果の出ないセラピーやカウンセリングを受けることに学びがあるということでしょうか。
            役に立たないセラピー・カウンセリングにお金を出してまで勉強するという経験が必要だということですか?

  6.  あゆかさん、こんばんは。コメントを取り上げていただき、ありがとうございました。
    「不完全を許せば世界が広がる」ということは英語にとどまらず、生きること全般に当てはまるんだろうな、と思いました。適当でよいということではなく、ひとつひとつ心を入れて取り組みながらも、不完全や失敗もOKとしてリラックスして前に進む、これもやっぱり「自己愛」ってことですね。(そうか、英語も自己愛だったのか・・・)「まずは思い込みをはずしましょう」をもう一度読んでみたいと思います。英語に関係する思い込みはたっくさんあるように思います。そしてできない原因を大げさに重大に考えすぎる節も。あゆかさんの文の中に、「英語を自由に聞いて話せないのは、本当に100%思いこみだけ」「リラックスして」「同じ人間だね~」「一番伝えたいこと(ハート)中心で」「英語はツール」などいつも心に置いておきたい言葉がたくさんありました。どうもありがとうございました。

  7. あゆかさん
    いつもあゆかさんのブログを拝見して今までわからなかった自分の心の中を少しずつ理解し、今まで
    非常に生きづらかった部分”これでもいいんだ”と思えるようになって来ました。
    今回のお話大変参考になりました。
    私自身15年前アメリカ人の夫結婚し北米に住み、7年前に南部に引っ越してきました。
    結婚前は英語には興味がなく学生時代はどちらかといえば英語は嫌いで、でもなんとかなるさで結婚。
    それでも以前の土地ではなんとか下手な英語でもやってきたつもりでしたが、この土地に引っ越してきてまったくここの人に私のアジア人のアクセントが通じず、何か言っても”WHAT?”や”NEVER MIND”といわれ萎縮し続けていました。
    そのせいで余計に話す時緊張して声が小さくなってもごついたり、文法がおかしくなったりし、アメリカ人からしてみたら日本人の私の声は子供のように高いトーンで話すからいけないんだと思ってわざと低いトーンで話したり、理解してもらえるように無我夢中で話をしたりと、こんなことをして英語を話している時の自分は全く自分でなくなり、とても悲しくなっていました。近頃では家族以外の人と英語で話すのがいやでなるべく話さないですむようにに引き籠もりがちになっていました。
    でも、今回のあゆかさんのお話から少し違った角度から何かが見えてきた気がします。
    もしよろしかった具体的にど のように勝手にでっちあげたものを手放すにはどうしたらよいか教えていただけませんでしょうか?

  8. あゆかさんへ
    >セラピストの立場からすると、効果が出ないセラピーやカウンセリングを
    >それこそお金を出して勉強することもしないんです。

    この意味が良くわからないのですが。
    クライアントが効果の出ないセラピーやカウンセリングを受けることに学びがあるということでしょうか。
    役に立たないセラピー・カウンセリングにお金を出してまで勉強するという経験が必要だということですか?

    コメントをありがとうございます!

    さて、たぶん、読み間違えていらっしゃるのかなぁと思いますが、「効果が出ないセラピーをわざわざお金を出して学ぶことはしない」と書いたんですよ。

    • お返事ありがとうございます。質問にあげた文章が、どの文章(主語)に対してかかる言葉なのか分かりにくかったので質問しました。

      >セラピストの立場からすると
      「効果が出ないセラピーをわざわざお金を出して学ぶことはしない」

      これも、セラピストから見た「誰が(どんな状態の人が)」学ぶことはしないと言う事なのか、それともセラピスト自身が、ということなのか分からないです。
      mimizuqさんのコメント内容は私も最近感じることなので、それに対するあゆかさんのコメントももっと理解したくて質問した次第です。

      • なるほど~。「セラピストがしない」という意味です。つまり、私(溝口あゆか)は、効果が出ないセラピーの勉強はしません、ということでした。分かりにくかったかもしれませんね。

        • 度重なるお返事ありがとうございます。やっと理解できてすっきりしました。(^^;)
          いつも参考になるブログをありがとうございます。

          • 上記は777です。名前未記入で送信してしまいました。失礼しました。

  9. こんにちは。初めてコメントを残します。というのも、この英語に関する記事にあったように、あゆかさんが過去に思い込んでいた英語に対して&ネイティブスピーカーにたいするちょっとした思い込みを、私もいままで(この記事を読むまで)持っていたからです。今オーストラリアに住んでいますが、英語をうまくはなさなければいけないとか、自分の英語がネイティブ並みなら自分の理想の仕事につけるのになー。などとおもったり、またローカルの人たちと会話するとき変に緊張してさらにいつも以上にしゃべれなくなっている自分がいたり。でも傍らで、お国訛りの入った英語を恥じらいも無く楽しんで話している外国の方々を見て、なにがこの方と私は違うのだろうとおもったりもしました。私は縁あってイギリスから数十年前に移住してきたという、あるおじいさんと友人になり、彼は、誰も君が100%の英語を話すなんて期待してないよ、ほらこうやって僕と英語で話せてるじゃないかい?と言ってくれるのですが、いままでは、彼が寛大だから私のめちゃくちゃイングリッシュを聞いてくれるんだな、とか、期待はされてないけどある程度は話せないとなー。などとおもってました。この記事をよんで、私の思い込みが先だってるのかもしれないと気づけました。いつも話す前にあたまで文法や言い回しを考えたり確認して話してましたし、うまく話せなかった時は、あーやっぱまだまだダメだーなどと少しヘコんだりもしてました。完璧にできないくせに完璧であろうとする。それはなんでかなー、そしてきちんとした英語がはなせないと恥ずかしいという思いはどこからくるのかなーとこの記事をよんで考えてみました。小さい時から私は完璧主義者だねと言われてきたのを思い出しました。テストでいい点をとってもいやいやまだまだなどとおもったり、ほめられたいくせにほめられると、いえいえそんなとない、などと言ったり。親は教育主義者ではなかったですし、ほめてもくれたのですが、なぜかそのような子供でした。また、きちんと英語を話せないとはずかしいという思いは、おそらく変な見栄ですがその見栄の根本には、自分を受け入れられてもらえなかったらどうしようという恐れを抱いているのかもともおもいました。あゆかさんの言う通り、外観や文化、言語は違くても、基本的にみんなおなじ人間なんだなと思えました。人種や言語は違っても理解し合えたり、仲良くできたり、思い合えたりするというのはありがたいことで、みな基本は人間というのを意味しているのかもなーなどとおもえました。ありがとうございました。

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