癒しはアートだ?!

ちょっとお知らせさせてください。毎年、5月と11月に日本でセミナーを開催するパターンで来ていましたが、今年は、こちらでどうしても受けたいコースがいくつも11月に集中してしまいました。ですので、スピリチュアル心理学の基礎講座を受けた方には、1年近くもお待たせして大変申し訳ありませんが、中級や上級講座など、来年の1月末から3月末にかけて開催いたします。また、どなたかご質問頂いていましたが、もちろん男性のご参加大歓迎です!近いうちに来年のセミナーのご案内とカウンセリングコース、そしてウェビナーに関してご報告をさせて頂きたいと思っております!

さて、今回もコメントにお返事させて頂きます。コメントありがとうございます!

わたしは、即興舞踊家です。<省略>(躍りやうたを)沢山の人々と共有したいし、そうなっているビジョンもはっきりあるのに、ビジョンとはかけ離れた現実にへこんで、何故どうしてと、それこそ犠牲者意識になってしまうのです。<省略>今年始め、古代ギリシャか何処か昔で、沢山の人々の前でうたを歌っている時、喉の真ん中に矢を射られ即死した過去のトラウマの記憶が蘇り、肉体を離れた魂が、人々の混乱と悲しみとショックを目の当たりにして、強烈な罪悪感を抱えたのだと思います。また、沢山の人々の前で歌うような立場に成れば、また人々を苦しめると言うまた強烈な思い込みがあるのでしょう。こういう罪悪感は、とても私の現実に反映していると思うし、乗り越える方法が有るのであれば、是非お教え願えればと思います。

かつて現代アートの世界で仕事をしていた身として、即興舞踊大好きです♪ 

過去生の癒しは、マトリックス・リインプリンティングが最適なセラピーだと思います。過去生でのトラウマが大きな恐れとなり、それが無意識のレベルで現在の人生に影響を及ぼしていることはよくあることですね。

ただ、ちょっとクリアにしたいのは、「肉体を離れた魂が、人々の混乱と悲しみとショックを目の当たりにして、強烈な罪悪感を抱えたのだと思います。」という部分ですが、現在の自分の推測なのか、記憶が蘇ったときに、体を離れた自分(魂)が実際にそう思ったのかです。

これによって、見ていくものはだいぶ違っていくんですね。セッションでは、原因をきちんと見つけていくために細かいことをけっこうお聞きします。そうでないとお互いに時間の無駄になってしまうからです。

というのも、こういったような舞台上で殺されたというような体験ですと、どちらかというと、人前に立つ恐怖が激しい、舞台に立つと体がこわばる、恐怖心でいっぱいになるといったような形で出ることのほうが、ケースとしては多いです。潜在意識は、沢山の人の前はダメで、十人の人の前ならOK、といった細かい区別はしないものなんです。

またもし、体を離れた自分(魂)がそう思ったのであったとしても、できればやはり当時の魂にアクセスし、正確にはどう思い、どう感じたかを聞き出すことが一番最適です。(マトリックス・リインプリンティングでできます。)

いずれにせよ、感情はエネルギーですから、「罪悪感を乗り越える」というより、「罪悪感という名前のエネルギーをシフトする」と考えてみたらいかがでしょうか? 「罪悪感を乗り越える」という思い自体が、肩に力が入るかもしれません。

ということで、当時の罪悪感を思い出し、体のどこで感じるか探り、それをエネルギーとして感じ、体の感じるままに即興で踊りに表現し、とことん表現してしまいます。こんなふうでもかなり感情を解放できます。セラピーもある意味アートですので、創造性を発揮してみると癒しがさらに楽しくなるかと思います。

また、体は、ショックや感情の解放の仕方をよく知っていますので、踊りと解放は、良い組み合わせかもしれませんね。踊りが得意でない方も、自分の部屋で適当にやってみてはいかがでしょうか?誰も見ていないし。(ちなみにファイブ・リズムダンスとかオーセンティック・ムーブメントなどは、これ系のものです。)

他には、人が集まらない、思うように広がっていかないという場合、現在の自分の思考も探ってみても損はないと思います。

例えば、「私のやっていることは、メジャーなことではない」、「世間で流行っていることなんて薄っぺらい」、「こういうことに興味を持つ人は少ない」「私は少し人と違う」などなどといったような、自分を社会の少数派と見るような思いがあるかもしれません。

この思考自体はなにも悪くありませんが、こういった思考があると、無意識にメジャーなほうへ行くことを避けてしまいがちです。例えば、イベントの告知の仕方、場所選びなど、分かる人にしか分からない書き方になっていたり、知る人ぞ知るような場所だったり・・・などなど。(コメントの方がそのようにしているということでは、まったくありません。)

私も貧乏ートコーディネーター時代は、貧乏アーティストが一緒になって、「世間に理解されない私たち」みたいなところで強い絆をつくっていたりもしていました。でも、やはり無意識に「理解されない少数派の私」を振る舞い、そう行動するため、意識上の思いとは裏腹にまったく認めてもらえませんでした。

また、アーティストやスピリチュアル系の人にそれなりに見かけるのは、自分の作品(または自分の波動)さえ良ければ、うまくいくと信じるあまり、いわゆる集客活動やマーケティング(地に足をつける行動)などをあまりしていないケースです。

さて、自分が望む現実を作っていくために、このように過去を癒したり、自分の思いを見つめたり、感情を解放したりすることは、私自身の経験からもとても有効ですし、また自分を成長させてくれたなと実感しています。

一方でもう一つ問題は、望む状態に到達していない今の自分の状態を、ネガティブに見てしまうことだと思います。この場合は、「私を理解してくれない世間」の犠牲者みたいな風に自分を見てしまうことですね。

今現在をネガティブに感じながら、ポジティブな結果を目指すのは、何度も書いていますが、エネルギーとして重たいので難しいです。

一つは「犠牲者意識の私」を受け入れてあげ、名前をつけてあげても良いかもしれません。例えば“すねたくん”とか。そして、すねたくんの言い分、感じていることを充分に聞いてあげながら、私の場合はEFTを同時にやっていきます。が、とりあえず、すねたくんと仲良くなることを目指してみると良いでしょう。それだけでも、すねたくんがかなり和らぎます。

また、「神から授かった歌は、広がるはず、広がるべき」、または「自分の作品は世の中の人がもっと知るべき」などなど、といった期待の気持ち(または、ビジョン)が大きいのに、それが現実化しないときに犠牲者意識が出てくるでしょう。

期待やビジョンがポジティブなもの(または神聖に感じるもの)であるほど、私たちはビジョンに大きな価値を置いてしまいます。そして、現実が間違っていて、ビジョンが正しいと思い始めてしまいますね。「自分の作品が、多くの人に認められていない」という現実に対して戦ってしまうんです。ただ、戦っているのは、自分の心の中だけで、現実は初めから勝利しています。

あきらめましょうとか、ビジョンを捨てましょうなどと言っているのではないですよ。現実と戦うのをやめてみると、そもそも犠牲者意識が出てこないということです。良い意味で現実に降伏し、リラックスしてみると、「期待通りになっていない状況」のなかに人生の優しさが見えてくるかもしれません。

エゴは結果にしがみつき、愛は今を受け入れます。何かを求めることは、もちろん良いことです。どんどん求めてください!しかし、それが苦しみや緊張に変わってきたら、「今」に立ち返ってみると良いでしょう♪

 ●本日のまとめ●

1)潜在意識は、状況を細かく区別しない
2)思考を見つめてみる
3)集客、マーケティングは?
4)犠牲者意識に名前をつけ、対話をする
5)現実に降参する

癒しはアートだ?!」への9件のフィードバック

  1. 癒しはアートだ なんて 素敵ですね
    何かで 自分を表現できるお仕事をしている人に憧れます。私も 自分を表現する形を持ちたいです。

    「現実が間違っていて ビジョンが正しい」

    気がつくとこうなっています。
    現実を受け入れたくない時です。
    カッコ悪かったり 今で言うなら 肉体的に衰えつつある
    この現実に 戦いが容赦なく繰り広げられています。

    良い意味で現実に降伏し、リラックスしてみると、「期待通りになっていない状況」のなかに人生の優しさが見えてくるかもしれません

    いま 視力の落ちたこの身に 「期待通りになっていない状況」を否応なしに感じます。もがいて あがいて まだ降伏できませんが この期待通りでない現実を許したときに優しさと出会えるのですね。嫌わずに 逆らわずにいることの大切さを とりあえず頭で知ることができました。

    追伸 あゆかさんに教えてもらった怒りの出し方をやってみました。今日は仕事であまりにも威圧的に物を言われ 怒り爆発で その人がいなくなってから その人の座っていたところでいるつもりになって 蹴飛ばしたり 首を絞めたり 殴ったりしたら すごくすっきりしました。これいいですね。いつまでも 考えなくていいのは とても楽です。教えていただいてありがとうございました。

    • ぼんちゃんさん♪

      いつもお読みいただきありがとうございます!

      初めて読む方に誤解のないように(笑)付け足させてくださいね。怒りを解放し、落ち着いたところで、自分のどのボタンを押されたため、こんなに腹が立ったのだろう?というのも探ってみることをお薦めします。ある意味、ここが一番肝心。

      でも、いつまでも頭の中で相手に対して苦々しい思いを抱き続けているより、すっきり解放してしまったほうが、お互いに良いですね♪

      • あゆかさん ありがとうございました。
        私 これだけで完結していました。
        怒りすらも感じることが難しかったので。
        小さいころ 私が怒ると親姉妹は 私のことを器の小さい人間的に駄目なやつ とか お~~怖い怖い と 茶化すか 一番こたえたのが「あ~~あ つまんない やめたやめた」と 去っていってしまったことがあって 
        私が怒ると 私は嫌われる 家族に相手にされなくなる という思いがありました。また 私が怒ると相手をひどく傷つけてしまう というのもあり 怒るということが怖かったのです。
         なので 怒りを感じたことで満足していました。
         でも大事なのは なぜ怒りが起こったかなんですね。よく考えてみます。ありがとうございました。
         

        • ぼんちゃんさん♪

          なるほど、そうなんですね~。それでは、しばらく「怒り」を感じ、表現することを楽しんで(笑)ください!

  2. あゆかさん、コメントにお答え頂き有難うございます。
    日々、出来事も、ドラマチックに展開し、更に、今ここの現実の、恵み、生きてるだけで丸儲けの現実に焦点が集まって来て、満たされて来ると、自分を惨めにするような想念、裁きの想念に巻き込まれて苦しい自分が、気がついたら余り見受けられ無く成りました。
    その心のリラックスから、色々探って見てみるとイイですね。
    確かにあゆかさんがおっしゃるように、マイナーアングラのレッテルや、一般的な集客、マーケティングなどの弱点は、自覚していますし、やるべきことです。
    ただ、不思議な事に、あゆかさんにコメントして、正しく、マトリックスリプリンティング的ビジョンが出て来て、現在の私が、満たされる方向に舵を取れたからか、暗殺時に、混乱パニックな聴衆が、即死して天に登る私の光に包まれ、喜びと癒しの表情になっているビジョンに変わったのです。
    あゆかさんの素晴らしい意思と他者に対する慈愛の成せる技でしょうか。
    心理カウンセリング的に判断すると、また、違う見解が出て来るのでしょうが、大きな大きな宇宙の意図があり、全託オッケーで、
    ワクワク喜んでありがたがって、やりたいことだけやっていれば、ビジョンは何時の間にか整います。本当にこのご縁に感謝感激です。有難うございます‼

    • さのまきこさん

      過去生のビジョンが変わったとは、素晴らしいですね! 私はなにもしておりませんので、ご自分のなかの愛で変化なさったのだと思います。大変僭越ですが、おっしゃるように、ハートいっぱいに今後もご活躍くださいませ!

      • 有難うございます‼
        あゆかさんの存在と繋がった事が、
        あゆかさんの愛と繋がった事ですから、何もなさらなくても、私の内面性に作用したのは確実です。
        まず、誰がゲームを降りるの?
        の内容で、本当に 思い出した〜
        と言うところから、スピードが加速し始めましたから。
        ありがたや〜 感謝です。

  3. 遅くなりましたが、コメントを取り上げて頂きありがとうございました。
    内は外の反映の本当の意味は自分の視点が変われば、状況が変わっても変わらなくても、自分の視点で外を見るから愛でいられるということだったんですね。m(__)m

    昨日あゆかさんの本とブログの存在に助けられたのでここでお礼を言わせて下さい。

    私には昔から強烈に「これでOKか」「これで受け入れてもらえるか」という思いがあります。
    もちろんいつも作動するわけではないのですが 特定の人物、(憧れる人=私が持っていないものを持っていると思い込んでしまう相手)の前ではそれはもう強力に発動して、ジェットコースターに乗ったみたいになります。

    ドキドキしたりして、心臓が痛くなり、自分の見かけやしぐさ、ふるまい、どこで笑うか、どうすれば上手に相手に素敵に見えるか、を考えています。

    すこしでも「拒否された」と感じれば(メールが帰って来ないとか)それこそもう、心がからっぽになって真っ暗の底なしの穴に落とされて、息がつまり存在しているのすら苦しくなって、
    大げさではなく死にそうな感覚になります。

    そしてたいていしんどくなり関係がTHE ENDを迎えた時にジェットコースターから降りて「あ、また乗ってたんだ」と気づきます。

    私のどこが悪かったのだろう、私はやっぱり変わっているから、あの子みたいに美しかったら…
    といったことしか思い浮かばず自分のせいにして、また苦しみます。

    自尊心が低いとも言われますが何かの理由で自分のことを認められないのだと思います。
    そして俗にいう恋愛ってだいたいこんな感じだろうけれどこれは恋愛じゃなくて相手を通して自分を愛そうとしているのだ、という事もわかっています。

    昨日はまたそういう状態になっていたのであゆかさんの本を取り出してきて読んでいました。
    新刊の女の子が好きな男性からメールが来なくて落ち込んでいる理由が幼い頃の思い出にあったというところをよみ、私もやってみました。
    昔に男の子に言われたことや傷ついたことを思い出して、声をかけてあげて(フォーカシングも混ぜながら)やると、そのあと眠りにつくことができました。(自分で対処できたのが本当に嬉しかったです)

    しかしやはり自分はどこか欠陥している、誰かにOKをもらわなければという思いがあります。
    自分はダメだという思いから→努力して→世間一般のいうところの美人で器量良くて頭がいい人のように振る舞うのは、OKもらえたとしても継続が苦しく難しいし、心から愛されていると感じないし、NOといわれればやっぱりもっとくるしいです。

    でも実際そうやって振る舞っている子の方がみんなから受け入れられてかわいいと思ってもらえるし、一目置いてもらえるし、得だよなと感じています。
    分かりやすいというか。

    「自分はダメだ、変わっている、誰かに常に認められなければ」という思いは日常生活で自然と作用し、わたしをのっとってしまいます。

    どうすれば自分の価値を確固として保つことができるのでしょうか?

    自分の価値を他者の対応、反応で決めるなんてばかげているのに、いつか解放されるだろうと願います。
    癒しは、ぐるぐる長い螺旋階段を上っているようですが、下を見下ろせば大分上ってきたんだなぁという感じで進んでいくものですね。

    長々とすみませんでした(^.^)

  4. こんばんわ☆
    あゆかさんの今回の記事や前の記事も読み返したりしています☆
    自分の中に愛が無ければ愛することを知らない、自分が愛をもともと持っているカラ、誰かや何かに愛を与えられるんだなぁと分かりました。ってことは愛って与えるものとゆーか、出るものなんだと☆周りに愛を求めていた自分がいました。寂しくて愛されたくて苦しくて。でもそんな気持ちを持っている自分に1番近くにいる、愛を持っている自分が、愛を与えずにいたコトに気づきました。悩んだとき、迷ったときに自分に耳を傾けてあげて、一緒に解決していこうと、私の中に自分への優しさがあったことを知って、とても嬉しかったし、心強かったです。今はなんだかこの自分と愛のタッグの関係が、本当の意味での自信になればいいな、と思っています。何か起きたとしても、きっとこの自分の中にある愛にゆだねれば、癒してくれる、その癒しの存在もはたまた自分なんだとゆーコトに、嬉しくて嬉しくて。自分を愛するのと同じように隣人を愛せよ、とゆーような言葉も耳にしますが、こうした自分への愛と同じように、人にも向けられていけたら、どんなに良いんだろうと思いました。まだまだ感情のエネルギーに入り込んでしまったり、思考につかまってしまったりたくさんやってしまいますが、その都度、自分の中にある愛の立場に帰るコトを意識して生きていけたらいいなと思いました☆これからもたくさん勉強させてください☆いつもありがとうございますm(_ _)m

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