誰がゲームを辞めるの?

ロンドンはオリンピック酔い(?)から、みなしらふに戻り、普段の生活を前に、あぁ~あ、ずっと酔っていたかったという声があちことで聞こえます(笑)。さて、今回もコメントにお返事させてください。コメントありがとうございます!

すべて幻想でゲームで、この世に生まれてきたことは、経験するためということを聞きました。楽しいことばかりではなく、苦しさも、死ぬほどつらいこともいろいろ。そのために生まれてくるのだと。でも一方で、もう本当の自分に戻りましょう、とか、自分と向き合って、もう辛いゲームは止めましょう、本当に自分とつながって楽になりましょうなどということもよく聞きます。<省略> 経験することが目的ならば、もうそういう経験は止めましょうといっているような感じのことに違和感を感じることがあります。<省略>やっぱり経験するためと言ったって、しんどいことは悪とみなしてしまうのかとか。ゲームであるなら、楽な方がいいから、それを選択するといいですよということですか?

とても鋭い観点です。このような疑問を持たれることは、素晴らしい!と思います。

で、ここには、とても微妙に入り込んだ誤解があります。このコメントの方が誤解しているということではなく、目覚めに関して、発信する側がときどき真偽をごっちゃにしている感があります。または「真の私」の定義が違うのかもしれません。いずれにせよ、当然受け取る側も誤解するでしょう。

とりあえず、まず誤解とは、「私は生まれてきた」という誤解です。真実は、「私は生まれてきたと思っている夢をみている」です。

言葉の限界がありますが、できるだけわかりやすく説明してみたいと思います。

「本当の私」とか「真の私」といった言葉がすでに混乱を招くなぁと思いつつ、他の言葉がないので私も使ってしまっていますが、「真の私」と言うとき、「個としての私」をさしているんではないんですね。

「真の私」とは、無限に開かれた状態です。人でも何かでもありません。英語では、Open Intelligence(開かれた知性)、Pure Awareness(純粋な気づいた意識)などと書かれたりもします。

そして、その無限に開かれた状態の中に、様々な現象が現れてくるわけです。そして、その無限に開かれた状態は、刻々と形を変え、動き、現れ、消えていく現象(人間ゲームとか)を観察しているんですね。そして、その観察しているほうが、真の私(あなた)です。

で、「ゲームをやっている私」は、現象のほうの私ですから、夢の中の私です。つまり、ゲームをやっている私は存在していないんです。

例えば、夜寝ているときに見る夢の中の自分は、実際に存在しているでしょうか? 朝、目覚めたとき、夢の中の自分はどこに行ったのでしょう? 夢の中にいた人たちや場所はどこへ行ったのでしょうか? そしてもし、毎朝目覚めるのではなく、長期間ずっと目覚めなかったら、あなたは夢の中の自分は現実に存在していると思ってしまうかもしれませんね。また、夢の中で体験したことを、実体験だと思ってしまうかもしれません。

それとまったく同じことなんです。目覚めたとき、あっ、はじめからゲームなんてしていなかった、今まで何一つ起きていなかったのだ、私は存在していなかった、というか誰も何も存在していないのだ・・・と気づくんですね。

奇跡の学習コースでも「この世には誰もいない(No one is out there )」と繰り返し言っていますね。(始め聞いたときは、意味がさっぱりわかりませんでした)

なので、「もうゲームからおりて」というとき、「誰が、降りるの?」というのが、私の最初に浮かんでくる質問です。で、それが個としての誰か、例えば、溝口あゆかがもうゲームからおりて、ただ愛であることに気づく・・・ということを意味しているのなら、そこが大きな誤解なんです。

真のメッセージは、「“ゲームをおりましょう”ではなく、“真のあなたは、そもそもゲームなどしていないことに気づきましょう”」なんです。

私も、人間レベル(夢の話)と覚醒の話を一緒の記事の中で書いたりしてしまうので、皆さんを混乱させてしまうのにだいぶ加担しているなぁと反省していますが、苦しんでいる方、悩んでいる方へ「自分を見つめると楽になりますよ」というメッセージは、完全に人間レベルのメッセージです。つまり、楽しい夢を見るためのメッセージです。(これからも続けます!)

話を戻すと、アセンションも壮大な夢で、無限にあるように見える宇宙さえも夢です。でも、仏教に「空即是色、色即是空」とあるように、空としての開かれた意識は、同時にこれらの現象(色)でもあるんですね。

無限で開かれた意識(覚醒した意識、開かれた知性、空など)と現象は、コインの裏表のように分けることができません。

ですから、決して現象を否定しません。それどころか、その驚異に感嘆し、すべてを受け入れ、すべてを愛しています。辛いことも、恐れも、喜びも、愛も。すべてのゲームを受け入れ、愛しています。

現象の中では、ゲームは永遠に繰り広げられます。でも、もし自分は個であるという幻想を抱いているあなたが、ゲームをしているという幻想(輪廻)から抜け出したかったら、あなたは、ゲームをしている存在ではなく、ゲームを観察している意識のほうだったのだ、ということに目覚めましょう、というのが古今東西の多くの覚者のメッセージですね。

「個としての私」がゲームを降りるのだ!と頑張ってたどり着く先は、「私は人間ゲームをおりた」という夢です。ここが多くの人がごっちゃにしているところでもあり、分かりにくいところでもあるでしょう。

もしかすると、今回の記事は、なるほど~!という人と、もっと混乱した~という人の二つにぱっかり分かれるかもしれません。が、こんな狭いスペースでは書き切れません。いずれにせよ、こうやって疑問を持ちながら真実にたどり着いていくんですね♪

さて、お知らせです!

☆スピリチュアル心理学基礎講座 in ロンドン

 内容:こちらをクリックしてください→☆
 日程:2012年10月27日(土)、28日(日)(10時~4時半)
 場所:Caterham(ゾーン6 私の自宅)
 費用:150ポンド(二日間)
 申し込み:info_ayukahealingspace@yahoo.co.jp まで
 「ロンドン・スピリチュアル心理学講座申し込み」と題し、お送りください。

☆日本でのスピリチュアル心理学、基礎、中級、上級講座は、来年2月と3月に開催予定です。詳細は、追ってメール&ブログでお知らせいたします。また、目覚めのセミナーも開催しますので、ご都合がつく方はぜひいらしてください!

誰がゲームを辞めるの?」への25件のフィードバック

  1. あゆかさん、こんにちは。
    初めてコメントさせていただきます。

    最近、覚醒したという方々が、覚醒に導く個人セッションやワークショップをされていらっしゃいますが、覚醒には共鳴が必要と書かれています。
    覚者と言われている方に触れれば触れるほど、覚醒への道は加速するのでしょうか?
    教えていただけたら嬉しいです。

    • コメントありがとうございます!

      共鳴が必要かと言われると、絶対必要ということはないと思います。ただ、覚者の方から学ぶことは、大きな助けにはなると思います。私自身も、たくさんの覚者の方に直接会い、学んでいることは、とても役に立っています。

      • あゆかさん、こんにちは。
        早速のお返事をありがとうございます。
        これからも、あゆかさんや他の覚者の方からたくさん学ばせていただきたいと思います。
        そして、目覚めて生きたいです。
        どうぞよろしくお願いします。

        あっ、あゆかさんがご紹介くださっている「マネーゲーム」の本を読んで、ありのままの自分を愛することがどれだけ大切なことなのかが、腹に落ちました。
        知識だけで、何をしても、なかなか自分の中に落とせなかったので、嬉しかったです。
        ほんとうにありがとうございます。

  2. こんばんわ
    わかりやすいお話でした。
    わたしはいつもゲームの中にいました
    この足の指だからこの人生はろくなもんじゃない
    というゲームです
    私はダメだ というゲームです
    いろんな出来事を どうしたら 私はダメだ に持っていくかのゲーム
    今を生きることが怖くて 過去や未来を生きるゲーム
    真の私は ゲームの中にいるのではなく
    ゲームを見ている側にいる・・・
    というお話は すごく良くわかるのですが
    そうか それじゃ ゲームを見る側に回れば 楽に生きられるんだなと計算 ゲームを始める私がいます。
    現象を否定しない・・
    辛くても受け入れ愛することができるようになりたいです

    • いつもありがとうございます!

      >そうか それじゃ ゲームを見る側に回れば 楽に生きられるんだなと計算 ゲームを始める私がいます。

      上手にエゴの手口を捉えていらっしゃいますね!素晴らしいです。けっこう多くの人が陥る罠ですが、思考の観察がとても上手な証拠ですね。

      >現象を否定しない・・
      辛くても受け入れ愛することができるようになりたいです

      ぼんちゃんさんが、それを目指すといまいち難しいかもしれませんが、真の私は、いつもすでにその状態なんです。なので、目指すは、どうしたらそれに気づけるか?かなと思います。で、答えは、“今ここ”にあります。

      今後もぜひブログをお読み続けてくださいね!

      • >ぼんちゃんさんが、それを目指すといまいち難しいかもしれませんが、真の私は、いつもすでにその状態なんです。

        「真の私はいつもその状態」

        ひぃぃ~

        そんな私にはついぞ会ったことはありません(汗)

        やっぱり私は覚醒していないんだと改めて思いました・・・

        どうしたら気づけるか?!ヒントすら浮かびません。

        セミナーも助けになるんでしょうね。。。

        ぼんちゃんさん、あゆかさん
        書き込み&回答ありがとうございます。

  3. あゆかさんはじめまして。初めてコメントします!

    あゆかさんのブログで,心が楽になったり,自分の見つめ方のコツを教えて頂いて感謝しています!

    今回の記事で,ふと疑問が湧いてきました。ぼんちゃんさんの書き込みでなるほど~と思ったのですが。
    では,なぜ ゲームの中なのに・・ 心がわくわくすることをしましょうとか 今を大切にということを勧めている事柄があるのでしょうか。人に親切にとか。。(良い感情や行いを否定しているのではありません)
    すべてがゲームですよね。犯罪を起こす行いも。 奉仕する行いも。

    ゲームの中で,自分の闇をみつめましょうとか・・認めて受け入れても。。でも実はゲーム。
    それこそ人から依存されている自分というゲームを見つめましょう。そして,気づいて変化していくことができても。
    それは、またゲームの中ですよね・・・そういう一連の考えや行いは,覚醒することと,どのような繋がりがあるのでしょうか?

    でも・・そうやって見つめていくうちに,ゲームなんだって気づくためのステップというふうに考えるのでしょうか?何が関係があるのかな?と疑問に思いました。
    上手く表現できないのですが・・

    • こんにちは♪♪
      わたしも、セラピーなどで自分を見つめる事と覚醒と、関係があるのかどうか?・・気になってます!!

      絶望が極まって覚醒されているマスターも多いみたいなので(というか、そっちの方が多い?!)かならずしも自分を見つめる事が必要という訳では無いみたいですが、もしかして少しは関係あるのかなぁ・・?と言う気がしています。

      覚醒するには、意識を「今、ここ」に置いておくことが大事で、未来や過去の事に気をとられているのは違うみたいなので、癒されない思いがあり、モヤモヤと過去に気を取られていると・・・覚醒する方向とは違う方に行きそうですよね・・?

      ただ、ゲーム云々というのは、「あえて例えていうなら構造がゲームに近い」ということみたいですよ!
      それもゲームといっても、トランプとか麻雀とかではなくって「何年も発売日を心待ちにして、何日も徹夜で並んでやっと手に入れた超名作RPG」みたいな、最高に奥深くやりがいのある(×何兆倍以上、も凄い)、モニターを見ながらするゲームです。

      普段わたしたちはゲームの中の登場人物の勇者Aに成りきっていて、その目線でものを見ているので、モンスターは本当に怖いし、ダンジョンで迷えば本当に苦しんで困っているし、仲間が離れていってしまえば本当に辛く悲しい・・けれど、ゲームの外のモニターの前に座っているプレイヤーの目線に移ってしまえば、どんな困難もただ楽しく、美しく、挑戦し甲斐があり、また感動・・というような・・。

      ですので、たかがゲームだから、無益で、意味が無くて、何やっても無駄、どんな行いをしようと同じ・・ということではなく、、チャレンジし甲斐のある本当に楽しいゲームだからこそ、わたしたちはチャレンジしているのじゃないか、と思っています。

  4.  目の前全部を気付いている私、「私そのものの意識」はいるし、「ある」。ありますよね。
     
     外側を観察するとき、全ては幻で夢だった、というのはすごくうなづけるし、役に立つ考えだと
     思うのですが、自分を深め、自分を愛して生きていくときは「ある」と、思うようにしています。
     こんな自分もいたし、あんな自分もいた。この先、どんな自分と出会えるかな。発見できるかな。
     魂は無限でも、この一生は有限だと思います。有限の中で、いかに自分にとってのある、を
     みつけて、ある、を生み出し、みんなとシェアできるかな。そういうふうに考えると、回りがどんなに
     まぼろしでも、夢であっても、空しくならないです。

     
     

    • とってもバランスが取れた良い考え方ですね。例えば、ガイアなどは、自分自身が幻であることをはっきり知りつつ、同時に、その幻の重要性もよく分かっているんだと思います。このありえないほどの壮大な夢を深く体験したいですね。

      • 夢(夜見る夢)だって、自分が作り出した現実だ、といってしまえば現実だから、私はあえて、この世は夢だよ、とは、あんまりいいたくないな、と思うときはあります。どっちでもおんなじなんでしょうけれど。現実だ、夢だ、って。呼び名が違っても。 

        あと、「この世は全部幻」という思想や体験が、ある日突然「襲ってくる・降ってくる」以外の人たち、襲ってくるわけではないけれど、そういう思想や体験にあこがれるっていうのは、どういうことなんだろうなって思うんです。
        みんながみんな、目指したりあこがれる道ではないと思うから。最終ゴールでもないように思うから。

        どこか、何かに絶望してるっていうことじゃないんだろうか、ものすごい不安を抱えてるんじゃないんだろうかって思うんです。

        ものすごく人生を疑い、絶望している人に対して「この世は幻想だよ」っていうことは、ありえないくらいの慰めであり救いになるのではないか、と思うのだけれど、
        自分のやりたいことを思うようにやり、自分の生み出したいものを生み出し、深い感動や充実をたくさんの人にシェアしながら生きている人にとって、「この世は幻想」という思想が、果たして死ぬまでに必要とされるだろうか、って。

  5. はじめまして。朝比奈@ハート君ブログ作者 です。
    素晴らしいブログですね。
    これからも読ませていただきます。
    「この世はゲームで、自分が好きなようにプレイできる。だから楽しめばいい」という考えは素敵だけれど、真実はゲームすらしていないのだ。”ワタシ”なんて生まれてもいないのだから…ということでしょうか。
    とても深いですね。
    しかし体験抜きに真の理解は得られないでしょうね。この”超リアルなワタシ”がある限り。

  6. あゆかさん、こんにちは。
    今回のブログは、すーっとはいってきました。
    今日になって、私は過去も過去世も、色々な人生を生き、様々な感情を経験してきたんだなと・・・人生の深遠さを感じています。
    辛いことが、足かせになって、本当に今生でも辛かったのですが、時々、純粋な気持ち(平和とか、愛とか)を感じるのも増えてきました。まだ少し、自分の苦しいパターンをぐるぐる回っていることもあるのですが。
    そして、もっとクリアに「自分は、愛だった」と目覚めた時・・・きっと、どうせ見るなら楽しい幻想を見ようと思っています。そう思って、今から楽しい幻想のシナリオを思い描いています。このことと、苦しいパターンのぐるぐるを卒業できた時、本当に「目覚めて生きる」になるのかなと思っています。どうでしょうか?

  7. あゆかさんこんにちは。
    ロンドン講座の場所はいつ頃確定する予定か教えて頂けますか?

    • こんにちは!お問い合わせありがとうございます。ロンドンで開催したことがないため、まったく集まる人数が予想できず、人数次第で・・・と思っておりました。が、場所がいつまでも決まらないのは申し訳ないので、Caterham(ゾーン6、自宅)に決定しました!ただ、かなり少人数になりますので、お早めに申し込まれたほうが良いかもしれません。

  8. はじめまして! 始めてコメントします。
    あゆかさんのメッセージはとてもわかりやすく、いろいろな配慮もあり、いつもハートがあたたかくなります。
    でもいつも引っかかる思いがあるんです。
    たとえば何かの事件や不慮の事故にあった被害者の方たちはどうなんだろう?って思いです。
    スピリチュアル系の本をいろいろ読んでも、具体的には触れていません。もちろん誤解を招く可能性も、
    あるしデリケートな問題だからだとは思いますが。   この世は幻想。。。 ゲーム。。。
    観察する側へシフト。。。  そうなんだろうなって思いと被害者の方たちは受け入れられないだろうな
    って思いと。。そういう風に考える私は潜在的に引っかかるモノが何かあるんだろうなとか。。。
    あゆかさんならどういうメッセージになるんだろう?って。。。。
    とてもデリケートな問題で伝えにくいとは思いますが,機会があったら聞かせて下さい。

    • 素敵なお言葉を頂き、私のハートも温まりました!ありがとうございます。

      たとえば何かの事件や不慮の事故にあった被害者の方たちはどうなんだろう?って思いです。

      私の本職は、カウンセラー&セラピストなので、例えば被害に遭った心の傷を癒すといったことのほうが、普段の仕事です。来週から始まるロンドンのカウンセリングコースも、スピリチュアルなコースではなく、カウンセリングやセラピーの理論やスキルをお教えしています。(ただ、かなりスピ的な要素は入っていますが。)

      目覚めの話やスピリチュアルな教えは、頭で理解するものではありませんし、また、「真実は、すべて夢なんだよ」と伝えただけでは、ただの情報で、相手の心に響きません。

      なので、例えば今までご紹介しているようなEFTやマトリックス・リインプリンティングなどといったセラピーを使って、心の傷を癒すことが一番大切かと思います。そして、もし、その方が目覚めやスピリチュアルなことにご興味があれば、そのお話もしますが、なければ、そういったお話はしません。

      大切なことは、その方がまた自分や他者を愛し、信頼できるようになっているかどうかだけかなと思います。

      • あゆかさん こんばんは! 返信ありがとうございます。
        「・・・・・頭で理解するものではありませんし・・・・」 この言葉にドキンときました。
        スピ系の本が好きなので情報として受け取っていたのかもしれません。
        確かに、心の傷を癒すことが大切ですよね。
        「大切なことは、自分や他者を愛し、信頼できるようになっているかどうかだけ・・・」
        なぜかこの言葉でウルウルしてしまいました。
        ありがとうございました。

  9. こんにちは。
    今回の記事は、あゆかさんが
    「もしかすると、今回の記事は、なるほど~!という人と、もっと混乱した~という人の二つにぱっかり分かれるかもしれません。」と書いていらっしゃいますが、私はその「混乱した」ほうのようです。
     というか、「混乱」できるまでもいっていない、という感じでしょうか。「人間ゲーム」の本(「ザ・マネーゲームから脱出する方法」}も読んだのですが、同様な感じでした。
     「魂を磨いていく」ためにこの世にいるのであるなら、「人間ゲーム」であるということをわかる必要はないように思いますが、この世の現象に翻弄されてしまわないように、自分で現象は変えられるんだよという助け船のために、できれば分かるといいことなのでしょうか。
     「人間ゲーム」の本のアマゾンのレビューもとても評価が高いものが多いのに、これほど自分はわからない、というのがとても不思議でありました。、

  10. あゆかさん、こんにちは!

    去年、あゆかさんの半日セミナーで覚醒のお話を伺ってから、私もとっても覚醒に興味を持っています!
    (特に、「身体がもの凄く軽くなって、普段のエネルギーがどれだけ重いものか分かった」というお話が印象的でした。)

    ところで初歩的な質問なのですが、なぜ覚者の方々は「はんとうのあなたはゲームをしていなかった、という事に気付きましょう」と、他の人々にも覚醒をうながすような発言や活動をされていらっしゃるのですか?
    また、覚醒を目指している方々は何故皆さん目指されているのでしょうか?

    これは私の予想なのですが、皆が覚醒を目指した方が良い理由の一つは「覚醒=いっさいの怖れが無くなること」なので、覚者が地球上に増えていくと、世の中が徐々に幸せになっていくから、と考えてもいいですか?

    人間のネガティブな思いや言動の全ては、つきつめていくと『サバイバルの恐れ(「私が死ぬこと」と「私の価値が無くなること」)』に行き着くということを以前あゆかさんのブログから学びました。
    覚醒し、分離感がなくなれば「私の価値が無くなる」ということも、また「そもそも生まれていなかった」ということが実感として分かれば「私が死ぬ」ということも、ありえないということが分かる・・ということは、覚醒すると、自動的に人間の全てのネガティブの根本になっている「サバイバルの恐れ」が無くなってしまうということですよね?

    たったひとりでも、行動や発言、ちょっとした振る舞いなどの根本に怖れが全くない人がいれば、恐れに取り憑かれた人々のどこか正気な部分に触れ、そこから幸せ、とか可能性、などが広がっていくような・・そんなイメージが浮かんできました。

    まったく見当違いかもしれませんが、いつか機会がある時に教えていただければ嬉しいです。

  11. はじめまして、こんにちは。
    あゆか先生の本を読んで、考え方が変わってきて楽になってきました。
    今まで、「~だから、~しよう」と、どうやって今とは違う状況になるかということに力を注いで頑張ってきました。でも「思い込み」に気付いてみると、本当に楽になりますね。
    今でも集団の中での自分の立ち位置に悩んでいるのですが、今まで「なんとかして社交的にならなくては」とか思っていたのに、「社交的でないといけない」というのは単なる自分の思い込みだと思えるようになりました。しかし、まだまだ気になって悩んでしまいますけど。

    「ザマネーゲーム」の本も偶然にも最近読みました。
    なぜ読むことになったかと言うと、大きな買い物をするに当たり、ローンを始めることになって、お金について考え始めたのですが、お金と言うのは流れなので、きりがないなと思っていたところにこの本に出会ったのです。この本は衝撃でしたが、あゆか先生の本のようには、まだ心に入ってこず、信じられない部分もあります。

    「この世はすべて幻想」というのはびっくりですが、自分がゲームをしかけていると言われたら思い当たることがあります。それに、いろいろな現象も実は自分が…と思うと楽になる部分もあります。
    しかし、一方で、信じていいのかなと思う部分もあります。
    スピリチュアルにまだ少し偏見があるのかもしれません。

    私は河合隼雄さんの本が大好きで、大きな悩みも河合さんの言葉ですーっと楽になったことがあるのですが、今の私の解釈では、マネーゲームなどの思想とかけ離れているような気がします。
    多分、まだ全然理解が足りないのですが、もし、共通点を見つけられればすーっと入ってきそうな気がします。(これは完全に思想ですね)
    つらつらと書いてしまいましたが、これからもここを読んでリラックスさせていただきます。

  12. 私もまったくわからなくなった方の一人です。

    さまざまな今生での出来事を,経験したくてここに来たというなら何となくわかります。
    辛くても,それが自分(?)の希望だったと理解して,耐えるというか経験していくという意味で。

    だからどうして自分だけこんな目にって思うこといっぱいあっても,別の視点(経験しにやって来た)から見るように自分を持って行くっていう。

    でもなんか,よくわからなくなりました。今回の記事では,理解できる人と?な人と…。

    知識を体験に落とせている人とよくわからない人と…。

    最近本当に多く感じるいじめで自ら死を選ばざるを得ないと思ってしまう人達がいるけれど,そういう悲しさや悔しさもゲームなのだろうか。

    その人達の苦しさは,その人達にしかわからないと思うので,それを否定するとか,怒る,家族が周りが悲しむからしてはいけない,その人達が弱い,っていうのは少し違う感じします。

    その周りが気付けなかった,止めてあげられなかった,ここに逃げてって言わなかったってことがあるわけだから…。

    どんな目的,課題,克服するために生まれてきたのかはわからないけど,それは絶対だめだなんて言わないで欲しいと思うことあります。

    残された苦しみは筆舌に尽くしがたいです。
    同じように,そうするしかないと選択した方も辛いです。

  13. あゆかさん。いつもありがとうございます!
    前回のコメントで、「年上の女性に依存された」ということを書きました、キョンです。

    実は、また彼女からメールが来て「あなたが痛々しいので。。。あなたが好きな○○君は、あたなに脈がないでしょう。期待してもダメだと思います。」と、この他にも、ありえないほどに酷い言葉が、だだだーっと書かれておりました。なぜあなたにそこまで言われなくてはいけないの?
    あなたは、○○君ではないよね?あなたに言われる筋合いはない。と思ったのですが、「本当に心配なので」とのことでした、あまりにも度肝を抜かされてしまい、怒りに震える心を落ち着け、「助言のレベルを超えています。もうメールしないでください」と書きましたが、、、、。

    どこまでその○○君に裏をとったかは、知りませんが、「痛々しい」と、本人に言える神経を疑いました。

    この前のメールのやりとりで、彼女にとって、快くない事を私がウッカリ、無邪気に伝えてしまったことの「仕返し」?的な事なのかな、と思うのですが、これは、本当に、凹んでしまいました。

    恐らく「悪意」が入っているのではないかな、と思うのですが、「心配なので」とも書いています。(次のメールででしたが)善意を装った悪意、ということなのか、なんなのか、、、。
    というか、他人の、人の心に土足で踏み込んでズタズタにしていくような言葉にショックを受ける、とは、まだまだ私が「自分を信じていなかった」からだな、とは思うのですが、「善意を装った悪意」を見分ける方法みたいのがあったら教えてほしいです。ホントびっくりしました!

  14. こんにちわ^^

    今日目を閉じて、思いました。
    体がなければこの感覚もない、色も分からない、世界が分からない。
    でも目を閉じている中で、ただ意識があるんです。この意識を感覚で、または世界で感じたいカラ、分離したり、体ができたりしたのカナ。
    でもこの意識が愛とどう結びつくのだろう、本当によくここまで出来た壮大な夢だなぁとはなんとなく分かるケド、こんなすばらしい世界が生まれてるカラ愛なんだとゆうにゎ何だか府に落ちない私。。。それとも、この意識を分離して感じて愛を学びたいカラ分離したとゆう私の考え自体ちがうのでしょうか??一つの意識のままでは、このように分離状態にあって互いに何かを学び合うとか愛を分かち合うとか出来ないで、ただの一つの意識体になるのでゎ??一つの意識体が愛ならば、ただ一つの意識体の愛であることに満足しなかったとゆうコトですか??事象とはコインの裏表とありましたが、この意識が存在するコト自体がこの事象なのでしょうか??それが愛だとはどうしたら分かりますか??

  15. こんにちは。
    自分が本当はゲームを観察している側だと言うのは言葉ではうまく伝えられませんが、感覚としてわかります。
    私がわからない(思い出せない)ことは、なぜ、このゲームを始めたのか(観察しているのか)です。
    ただ、ゲームをはじめた本当の理由がわからないため、どのようにゲームを進めていけばいいかがわかりません。
    人によって言うことは色々です。
    愛を知るため、善を知るため、幸せを知るため…などなど。
    でもゲームを観察している側の自分とは、すでに完璧で完全で愛で善で幸せな存在なのではないのでしょうか?
    自分の意識が何を経験するためにこのゲームをしているのかを思い出したいのです。
    ヒントがあれば教えてください。よろしくお願いいたします。

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