依存されないでつき合うには?

お知らせです!雑誌「スター・ピープル」(ナチュラル・スピリット社)の今月号で、覚醒系の大先輩(?)の阿部敏郎さんと私の対談が掲載されています。阿部さんが、ご本人のブログで「覚醒の輪」と題して、記事について書いてくださいました。(阿部さんは、めっちゃ自然体の方でした。)また、森川シゲナリさんという、やはり目覚めを体験なさった方の記事もあるそうです。(私の手にはまだ雑誌は届いていないのですが)これからどんどん目覚めの輪が広がっていくのだろうと思うと、とても嬉しく、楽しみです。

さて、今回もコメントにお返事させて頂きます。下記のコメントです。ありがとうございます!多少省略させていただきました。

わたしも最近、友人・知人関係の事で悩んでいます。単純に、相手が苦しそうだったり困っていそうな時など、何かしてあげたいと思い手助けをすると、相手がわたしに執着したり依存してきてしまいます。やりたくないことや出来ない事はそのつど断っても、一度”わたしを助けてくれる人”と見込まれると、何かある度にあてにされてしまい、断ると「わたしはこんなに可哀相なのに酷い・・」という様な対応をされて、これは相手の問題なんだ、と思いつつも罪悪感をかき立てられる事もしばしばです。

わたしはハートから・・というか、あまり考えずに、困っている人がいると何となく手が出てしまう方だったのですが、あゆかさんが本に書かれていたような”受け入れオーラ”がでていたのかもしれません。<省略>ハートから相手につながっても、自分が辛くならない(相手に頼られたり、あてにしたりしてこられない)付き合い方って、どうすればいいのでしょうか?

まず、手助けをしてあげた人が、精神的に自立していないと「苦しそうだったり、困っていたり」しているときに、手助けをすれば、その後ほぼ依存してくるでしょう。

もし、手助けをした相手が、精神的に充分に自立した人であれば、「今回は、本当に助かった!ありがとう。必ずお返しさせてね」といったような反応が来るでしょう。つまり、依存してくることはないです。

ここで言う精神的に自立しているとは、「自分がちゃんとある」という意味です。自分がちゃんとあるとは、「私は大丈夫」、「私はやれる」といった思いがあり、自分を信頼していて、自己愛がきちんとある状態です。

で、精神的に自立していれば、境界線という言葉を知らなくても、他者ときちんと健康的な境界線が引けます。依存せずに、いつ助け時か、いつ頼み時かが自然と分かります。

ですので、ハッピーな人間関係への一歩は、“どうして、「自分がない人」が私の周りに多いのか?”になりますね。ご存知のように、類は友を呼びますから、自分の中にこれらの人と呼応する部分があるはずなんです。

まず、「相手が苦しそうだったり困っていそう」に見えたとき、自分の中に「大変だ!この人苦しんでいる、困っている!どうにかしてあげないと・・・」(ちょっと大袈裟に書いていますが)というような思いがあるかどうか探ってみると良いでしょう。

そして、このコメントの方に限れば、「困っている人がいると何となく手が出てしまう」が、鍵を握っているかなと思います。だいぶハートに従えるようになったのだと思いますが、おそらく、まだそういった傾向の思いが心の中に残っているのかもしれません。

なんとくしてしまう行動は、変化の鍵を握っていることがけっこうあります。なぜなら、それぐらい無意識になっている大きな自分のパターンがそこにあったりするからです。

ですので、何となく手が出てしまう瞬間の感情と思いを探ると、そこからどうして自分が「助ける→依存される」パターンにはまってしまうかが見えてくるでしょう。

ということで、

1)依存される人と同じ傾向や思いが自分の中にある
2)なんとなく助けの手を出してしまう

 ことが分かりました。このあと、どう探っていくと良いでしょうか?まず、相手の言葉に「わたしはこんなに可哀想」とあるように、自分の中に「困っている人」=「可哀想な人」と見ているかどうかよく心の深いところを探ってみると良いでしょう。

で、ご本人と会話できないので、推測でこのまま進めていきます。そうだとしたら次に、「可哀想な人」という思いをよく探ってみてください。この思いを相手に持つとき、相手は力がある人でしょうか?それとも力がない人に見えているでしょうか?おそらく、力を失っている人に見えているはずです。

そして今度は、自分が困ったときに自分をどう見ているでしょうか? やはり、困っている可哀想な人でしょうか? 自分を可哀想だと見ているときや自己憐憫に陥っているとき、私たちはたいてい、「自分は無力だ」と見なしているはずです。

無力な自分は、困ったときにすぐに助けてもらわないと困りますね。また、誰かが困っているのを見ると、自分の中の「無力な私」を刺激し、すぐに何かしてあげなくては!と感じたりします。で、手助けしてあげないと、「無力でかわいそうな人を助けなかった」という罪悪感が出てくるわけです。

困っている人を見ると、とにかく手助けしたくなる性格の人もいますので、全員が同じということではありません。ただ、本当に人助けが好きであれば、それは自分のエネルギーになるので、人間関係で悩まないでしょう。

話を戻して、一方で自分がしっかりある人は、困った状態になったとき、自分を可哀想な人と見ることは、ほとんどないでしょう。それが精神的な問題であれ、物理的、経済的な問題であれ、すぐに誰かに頼るという発想はなく、「自分は今何をしたら良いか?」というほうに意識がすぐに向いていくはずです。

その上で、こういう助けを借りる必要があるなと思えば、助けを求めるかもしれません。しかし、それは、「この可哀想な私を助けて~~」という求め方ではなく、「~~が必要です。なので、~~してもらえますか?それは可能ですか?」といような、何をして欲しいかが明白な頼み方になるかと思います。また、相手が断れるスペースをもった依頼になるでしょう。

そして、無意識の深いところで、「自分は大丈夫」だと思っているので、事件や出来事にあわてふためいたり、落ち込んだり、パニックになっても、比較的すぐに自分を取り戻すことができますね。

なので、困っている人、苦しんでいる人を見ても、「その人本当は大丈夫だから」と深いところで分かっているので、「可哀想!すぐになにかしてあげなきゃ」という思いがあまり出てきません。この“あなたは大丈夫、本当に困ったら声かけてね。そのときは考えるから。”のようなオーラ(態度)は、依存したい人のレーダーにひっかかりません。なので、そもそも友達にならないでしょう。

(もちろん、道で倒れているとか、自然災害に遭ったとか、緊急な場合はまったく別の話です。)

さて、文章からの推測なので、間違っている可能性も高いですが、コメントの方は、自分を中心にもってくる過程にいらっしゃるように思えます。自分のハートに反することは、きちんと断る、ノーと言えるようになり、自分を取り戻してきたけど、まだ相手を「可哀想」という目で見ているのかもしれません。つまり、自分の中にどこか頼りない私がいる、または、自分を信頼しきれていない感覚などがあるのかもしれません。

また、自分がない状態から自分を確立していく過程で、友達が変わったりすることは、どうしても起きるでしょう。場合によっては、家族であっても疎遠になることもあるかもしれません。しかし、自分が彼らのおかげで何を学べたかが、しっかり認識できれば、彼らに対して感謝の気持ちしか沸いてこないでしょう。

苦手だった人、嫌いだった人、憎んでいた人に感謝の気持ちが持てるようになったとき、癒しは終わり、人生を以前とはまるで違うように生きていけますね。

☆今週のガイアの言葉☆

人生で繰り返すパターンは、完了していないレッスンか、または、あなたがもうすでに学んだレッスンであっても、まだあなたの一部として残っているものです。(P78)

依存されないでつき合うには?」への14件のフィードバック

  1. あゆかさん、今回もすてきな記事をありがとうございます。説明がわかりやすい上に読んでいて癒される思いです。

    自分を無力だと思っている「私」と、自分には力があると思っている「私」の言動がどれだけ違うかの例を具体的に出してくださったのでとても腑に落ちました。で、どういう自分を目標にすればいいのか(=どんな自分になりたいかという具体的なイメージ)がはっきり見えて、何だか力が湧いてきました!

    >苦手だった人、嫌いだった人、憎んでいた人に感謝の気持ちが持てるようになったとき、癒しは終わり、人生を以前とはまるで違うように生きていけますね。

    この感覚になったことは一度もありません。今回の人生でそこまで到達できるのかなぁ・・・?
    経験したことはよかったと思えるのですが、経験を与えてくれた?相手に感謝するなんて、自分の負けを認める感じがして。(ここに変化のヒントがあるんでしょうけれど、受け入れたくない私がいます 笑)。

  2. 失礼いたします。
    恋愛も、人間関係も、自己実現も、お金も、全て自分と向き合うことに結びついているのだとすると、このゲーム(人生)は何が楽しいのでしょう?
    いろんな道があります。結婚したり、子育てしたり、一人だったり。
    でも、食べて、飲んで、寝て、笑って、怒って、泣いて、あっという間にこの夢は終わってしまいます。
    自分に向き合えば向き合うほど、自分の選択なのか?事前に用意されたシナリオなのかがわからなくなります。(その通りになるので)
    嫌なことに向き合うのも疲れたし、楽しいことを探すのも、自分に向き合うのも疲れました。
    何を得たと思っても最終的には手放すことになりますし、気づきという体験も一瞬の喜びにしか過ぎないように思います。
    次から次へと思い込み、気づき、思い込み、気づきがやってきて、人も出会っては、別れていきます。
    自分に向き合い思い込みをなくしながら、新たな思い込みを生きる・・・。
    このゲームとは何ですか?

    • 匿名さんのおっしゃってることとずれてるかもしれませんが、私もわからなくなることがあります。

      すべて幻想でゲームで、この世に生まれてきたことは、経験するためということを聞きました。
      楽しいことばかりではなく、苦しさも、死ぬほどつらいこともいろいろ。
      そのために生まれてくるのだと。

      でも、一方で、もう本当の自分に戻りましょう、とか、自分と向き合って、もう辛いゲームは止めましょう、本当に自分とつながって楽になりましょうなどということもよく聞きます。

      アセンションが起こっているから、今まで抑圧していた膿が出て来るとか、今までとは違う状態になる人たちが多いと書いてあることもあります。

      経験することが目的ならば、もうそういう経験は止めましょうといっているような感じのことに違和感を感じることがあります。

      自分についてワークして楽になりましょうとか、もうゲームからおりて、ただ愛であることに気づいて、云々が必要なのかなとわからなくなるんです。

      やっぱり経験するためと言ったって、しんどいことは悪とみなしてしまうのかとか。

      ゲームであるなら、楽な方がいいから、それを選択するといいですよということですか?

    • コメントありがとうございます。多くの人が、夢さえ実現できれば・・・、この悩みさえ解決できれば・・・というところでもがいておりますので、この問いかけは、その先を行った良い問いかけだと思います。だから、“一体真実は何なのだろう?”という、ここから真剣な「真実への探求」が始まるのかなと思います。

  3. 今回のコメント、丁度状況にピッタリでしたので、ものすごく真剣に読ませていただきました。ありがとうございました。
    私より、10歳程年上の、独身のお金持ちの女性なのですが、とにかく、毎日毎日メールが来て、でも私は楽しくレスしていました。
    が、そこまでメールする問題が終わった時に、私は、さすがに、結構時間がとられたな、これからはここまで頻繁にメールはしない方向でいこう。と思ったのですが、彼女から、「毎日のメールが終わり、寂しくなってしまいました」と来たんですね。
    私はそれを読んだ瞬間に「依存されている」と恐怖を感じ、全速力で逃げたくなりました。

    カノジョに依存されて、逃げて行く男の気持ちがハッキリとわかりました。(笑)

    それ依頼、関係がギクシャクし、ちょっとだけ小さく喧嘩してしまいました。
    私は「あなたが重いです。なので距離を置きたいです」という本心は言えませんでしたので、違ったカタチで、喧嘩っぽくなり、結果距離を置く事になったのです。

    セレブで、面倒見が良く、とても自立しているようにお身受けした女性だったので、私は驚いてしましたが、

    >精神的に自立していないと「苦しそうだったり、困っていたり」しているときに、手助けをす>れば、その後ほぼ依存してくるでしょう。

    というのは、なるほど!と心から納得しました。彼女は苦しそうにも困っているようにも見えませんでしたが、精神的に自立はしていなかったのではないかと思います。

    で、
    >どうして、「自分がない人」が私の周りに多いのか?”になりますね。ご存知のように、類は友>>を呼びますから、自分の中にこれらの人と呼応する部分があるはずなんです。

    に、これまたなるほど!と腑に落ちました。

    私も「自分がなかった」んだな〜って。。。結局、相互依存というか、お互いにもたれあってたいた気がします。ただ、私は「自立への一歩」を踏み出したので、今迄の関係が苦痛になったのだと思います。

    私は、その友人が、自立していてさえくれたら、これからもずっと仲良くやっていきたいと思っていたことだけは本心ですので、残念に感じております。

    そして、人は、「自分で立てる」人しか、本当には人間関係は結べないものなんですね。

    すごくタイムリーでした。
    あゆかさん、いつもありがとうございます!

    • すみません!「今回のコメント」と書いてますが、「今回の記事」の間違いです。by キョン

    • キョン様

      私も、同じような経験があります。

      社会人として自立している(ように見える)人が、精神的に自立しているとは、限らないということを、その人を通して、学びました。
      逆に言えば、経済的に自立していない(と、世間から揶揄されがちな主婦や、未成年)でも、精神的に自立していれば、経済的なものは、どういう形であれ、満たされるんだな〜と思いました☆

  4. あゆかさん、こんにちわ♪

    あゆかさんのブログをいつも読んで、学ばさせていただいてます☆

    今日ふと、洗濯物をとりこんで、疲れたなぁと思いながらやっていたら、”もしかしたら生きていなければ疲れたことすら感じられないのか”と思って、疲れたとゆうエネルギーを生きていなきゃ体験できない、と思った瞬間、この疲れも心地よかったです☆きっと悩みも、生きていなきゃ悩めないし、そう思うと、悩むとゆう経験も、そんなにもすごく悪くなく感じました♪何かを経験したり体験したり感じたり食べたり飲んだりする人生で、みんなそれらを今できているコトに喜びを常に感じながら生きていたいと、そう思いました♪

    でも時々どれかにつかまって、苦しくもなっちゃうだろーケド^^;
    そんな時には、あゆかさんのブログを読みながら、”いま”を取り戻したいと思います♪

    いつもありがとうございます☆

    愛読者より^^☆

  5. あゆかさん、こんにちは!
    今回の記事でコメントを取り上げて頂いた者です。

    ハッとしました。
    自分の中にも依存してくる人と同じ思い(無力感)が確かにあるようです!

    私はどちらかというと人に頼み事をしたり相談したり等出来ない方なので、最初に記事(精神的に自立をしている人は、困ったときすぐに誰かに頼るという発想がない、という箇所)を読んだ時は、あれっ?と思いました。
    相手が好意で何かをしてくれた時でも何故か後ろめたい気がして遠慮してしまったり、早く相手に何か返さなければ、と思ったりするほどです。

    ですが、「人に頼ってはいけない」と漠然と思っているという事は、無意識に「頼りたい」という気持ちがあるという事ですよね。
    表に出ている行動が、同じ「人を頼らない」であっても、私の場合「自分を信頼しているので、人に頼る必要が無い」という事ではなくて、「無力感があり、本当は誰かに助けて欲しいけれど、自分も自分の事で手一杯だし、それは相手も同じだろう。なので頼りたくても頼ってはいけない。」だったんです!

    「可哀相」とも確かに思っていました。
    一番苦しかった相手は、一緒に出掛けていた日に家族が急死してしまったり、外国で精神病院に強制収容となったり・・。
    ですがどんなシビアな状況にいるように思えても、その人を「本当は大丈夫」と見る事も出来たんですね。
    そして、その人を「可哀相=この人には力が無い」と思ってしまっていたのは、自分自身の中の無力感、自分を信頼しきれていない感じ、を投影してしまっていたからだったとは・・。

    自分を信頼するという感覚にどうすればなれるのかまだ漠然としていますが、とりあえず相手の中の強さ、そして自分自身の中にある強さに、少しずつでもスポットをあてるようにしていきたいと思います。

    あゆかさん、ありがとうございました!
    何となくですが、光が見えてきた気がします。

    • 追伸です。

      上記では”人に頼み事を出来ない”と書きましたが、あゆかさんのブログや本で境界線の事を知り、「何か頼まれたとき、引き受けるか断るか決めるのは相手の責任範囲の事」と思えるようになり、少しずつですが人に頼み事も出来るようになってきました!

      こうしてあゆかさんに相談も出来ているので、我ながら進歩を感じます。

      重ね重ねありがとうございました♪♪♪

      • コメントありがとうございます。とても上手に自分を見つめていらっしゃると思います。素晴らしい!です。

        「私は無力だ」という被害者意識は、かなり自己愛がしっかりある人でも、深いところで持っているものです。人間の歴史を振り返り、戦争や魔女狩り、ほとんどの人口が飢えていた状態などを考えると、被害者意識は人間心理の中に深く埋まっていることが見えてくると思います。

        それでも、被害者意識を癒し(取り除くという意味ではありません)、自己愛がさらに増えていけば、「信頼」感が増えていきますので、そうすれば、どんな状況に自分がいても、または相手が遭っていても、「必ずどうにかなる」という思いも強くなるんですねぇ。

        ということで、今後もブログをぜひお読みください!

        今後もぜひブログをお読み続けてくださいね♪

  6. あゆかさん、こんにちは。
    私も今回の記事に思い当たる節がたくさんありました。困っている人を見ると確かにかわいそうに見え、自分だったらこうしてほしいだろうと思って声をかけ、しかし当然中途半端な助け方しかできず、逆恨みをされたことが何回かありました。自分の中にあるものの投影で相手を見て、そして共鳴してしまっていたのですね。
     また、自分の中のパターンとして、良かれと思いこんで軽はずみな行動をしてしまう、人を待たせちゃいけないと思った時にさっさと案件を済ませようとする中で、あとあと問題になることを引き起こしてしまう、ということに最近気付きました。
     つまり、頼まれもしないのに早合点をして行動してしまうのです。そのことに途中で気付ければいいのですが、そういうときは自分では「当然良いこと」と思いこんでいるのです。後から人に指摘されると、「どうして気付けなかったんだ」と自分の浅はかさを責め、「やっぱり自分の判断に自信がもてない」ということになります。
     もっとも、人が何を指摘しても動じず、あくまで自分の正当性を主張する人もいる中で、私は全面的に自分が悪いと思って「他人」に許してもらうことを望み、「他人」に力をあけ渡してしまっている、ということにも気付きました。そんな時は、状況を客観的に見ることができなくなり、「相手の不当さ」や「自分の言い分」の境界線が分からなくなってしまいます。
     自分のパターンを考えてみると、癒しが必要なことが複数からんで現象となって現れていそうなことに気付きました。示唆に富んだ記事を、ありがとうございました。
     

  7. こんにちは、あゆかさん。いつも読ませていただいています。
    私も、目覚めの道の途中にいるのだと思います。
    そこで、哲学みたいな質問があります。
    「愛するって、何なのでしょう?」私には、愛する人がいます。だけど、交信はありますが、その人はとても仕事が忙しい人で、実際に会うことができないでいます。
    その人を思うとき、本当に幸せを感じることもあります。活躍している様子を知ると、嬉しくなります。だけど、気持ちをさり気なく伝える機会が本当になくて、一緒に過ごす時間もなくて、苦しくなります。愛する気持ちを持てるもは、幸せです。それは分っています。だけど、愛しているのに、一緒に過ごせないこと、心を通わせていない一方通行は苦しいです。「他に、愛している人が、実はあるのかな」と思ったりします。
    愛する人も幻想なのかも知れません。愛する気持ちが本当なのかも知れません。だけど、愛していたら、その人と一緒に過ごしたい、もっと話をしたい、そう思うのは、自然な気持ちと思うのです。目覚めを経験したら、愛する人と一緒にいたいだなんて思わなくなるのでしょうか?

    • アジサイ様

      私も同じく、目覚めの途中にいながら、好きな人がいる者です。なので、「分かる、分かる~」と思いながら、読ませていただきました。

      愛する人ではなく、好きな人と書いたのは、まだ愛するということを体現できていないからです。本当に愛しているのであれば、不安も恐れもなく、100%心を開いて、相手を信頼できているでしょう。けれど、まだその境地には達していません。やはり、アジサイさん同様、相手の顔色をうかがい、出方を待っています。だから「好き」止まりなのです。

      ということは、上手く行かない原因は、彼ではなく、私にあるということになります。だって、彼よりも、宇宙よりも、神様よりも、仏様よりも、「彼が…」とか「状況が…」とかいうエゴの声を信じているわけですから。

      なので、アジサイさんの「彼と一緒にいたい」という気持ちは自然な事だと思いますが、「彼が忙しいから一緒にいられない」とか「この状況では心を通わせることはできない」とかいうのは、エゴの声ではないでしょうか。

      最近感じるのは、私が彼に対しては、誰よりも強く「分離意識」があるのだな、つながりを感じられていないのだな、ということです。傷つきたくないがゆえに防衛している。そんな私を見て、彼も防衛する。もちろん、そんなストーリーも幻想ではあるのでしょうけれど、自分の内側も外側も含めて、起きていることを一切の評価なく「ふふふ」と笑って見られるようになったら、山は動くのかもしれない、そんなことを思う今日この頃です。一緒に頑張りましょう!

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