自分に気がついている自分に気づいている意識

最近、コメントを頂いていて、理解が深い人が多いなぁ、楽になってきた人が多いなぁ、楽になっていなくても、共感の心を持ってくれている人が多いなぁ、わ~い、嬉しい!と感じております。で、さぁ、今週何を書こうかなぁと思っていたところ、面白い3点のご質問を頂きました。ご質問ありがとうございます!

実は、このコメントの方のような考えを持つ方に、イギリスでもそれなりに会いました。その度に、違うんだなぁと思っていたのですが、自分への質問じゃないし、ということでとくに発言はしてきませんでした。が、今回は私に向けられた質問ですので、はりきってお返事させてください!

エゴの働きの一つに、「条件リスト作り」→「目覚めを体験したもの」、これは条件ではないのですか?自分は目覚めを体験したという条件を満たしたものとして、このような教えを書いたり、お金を取って教えているのではないでしょうか?そうでなければこのようなことを宣言する必要があるのでしょうか?

価値は、あくまでもエゴの産物です。→「ジーン・クラインという西欧で有名な覚醒したマスター」・・・・西欧で、、有名な、、覚醒した、、マスター、とか、要らないのではないですか?真実の言葉ならばそれ自体で響くわけですから、ただの「ジーン・クライン」でよいのではないでしょうか?名前を装飾して価値付けをしておいて、その言葉をよい言葉としても意味がないように思います。ジーンクラインを紹介するあなたのエゴがその価値を高めようとしているのではないでしょうか?

もし、真実、目覚めを求めているのであれば、教えは必要ありません。(断言) 
→「やり方は、ワークショップなどで実践でお見せしたいと思います」
お金を取って教えているのが現実ですよね。それは仕事ですから否定しませんが、教えていながら「教えは必要ない」と書く必要はないのではないでしょうか?

3つのご質問がありますが、ここでのポイントの一つは、多くの人が、「目覚め」や「目覚めの体験をした人」に対するイメージを持っていることかと思います。そして、それが自分の価値観になっていることに気がついていない人も多いです。

例えば、目覚めを体験した人は、自分は目覚めたと言わないだろう、いつもポジティブな感情(平和、静けさ、慈愛など)しか感じていないのだろう、何事にもまったく動じず、いつも冷静だろう、人格が高いだろう・・・などなど、いろいろあるでしょう。

これはイメージ、そしてその人の価値観なんです。

目覚めの意識には、人格も、性格も判断、思考、感情などなど、一切ありません。しかし、目覚めを体験した「人」には、人格も、性格、もろもろすべてがあります。(ちなみに、私は体験をしただけで、その状態にいつもいるのではありません。)

ですので、体験をした溝口あゆかの中には、あらゆる思い、感情が沸いてきます。ときには、「多くの人が知らないことを知ったぞ!」という優越感みたいなものも顔を出します。

で、正直、楽しいです。ふふ。(楽しんでいるのは、もちろん溝口あゆかです。)

何が言いたいかというと、目覚めを体験した、しないに関わらず、すべての思い、すべての感情は出てくる、ということです。

しかし、目覚めを経験したことによる一番の違いは、出てくる思い、感情に深く巻き込まれないという点だと思います。それらの思いや感情は、真には自分のものではないと知っているということでしょう。

大海で様々な波が勝手に起きるように、様々な思い、様々な感情は、私たちのコントロールを超えて、勝手に沸いてくるんです。

私の中に優越感は出てきますが、優越感が出てくることに批判や否定をしないので、波のようにあっという間に去って、まったく違う感情がわいてきます。でも、また何かの拍子に優越感が沸いてきて・・・と、本当に波と同じなんです。

このように、様々な思いは沸いてきますので、イメージや価値観や条件を持つな、ということではありません。ただ、それは自分のイメージであって、真実ではなく、自分のイメージを私の文章に自分が投影しているのだと気がついているかどうかが、ポイントなんです。

さて、セラピー(心が楽になる方法)と「目覚め」に関しては、一見相容れないことがたくさんあるんです。例えば、セラピーは、感情や思考は自分でコントロールできると教え、目覚めの話では、波のようなもので、コントロールできないんだよ~、となります。

そして、私の中にはいろいろな私がいますが、カウンセラー&セラピストとしての私と、目覚めを体験した私がいるんですね。で、その二人の私は、一見すごく矛盾することを書いたり、したりしているんです。

そういう意味で、読む方が混乱しないように、カウンセラー&セラピストの私と、目覚めを体験した私と区別して書こうと思っただけですが、ここでは、私がどう思って書いているかがポイントではなく、もし、目覚めを真剣に求めるのでれば、繰り返しになりますが、自分の価値観、イメージ、判断に気がついているかどうかです。

ですから同じように、「西欧、有名、覚醒した、マスターという言葉=価値を高めるエゴの言葉」というイメージを持っているのは、私ではなくて、自分だということに気づくことがポイントだと思います。ジーン・クラインが、西欧で有名な覚醒したマスターであることは事実で、彼がインド人で無名であれば、インド人で無名の~と書いたでしょう。

とはいえ、私自身も自分のことを天才と呼ぶような人を横目で見てしまいます。でも、それは私の価値観なんだよね、と気がついています。自分のことを天才と呼んでいる人には何も罪はないです。その人がそうしたいからしているだけです。ただ、私が「それは変でしょ」というレッテルを貼っているんです。

で、そのレッテルを貼っているのは、再び溝口あゆかで、目覚めの意識は、それに関してなんの判断もしていません。溝口あゆかはそのときの気持ちに沿って、自由に好きな言葉を使います。目覚めの意識である真の私は、ただそれを眺め、受け入れています。

こう書くと、溝口あゆかはと目覚めの意識という、二つの別の存在がいるように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。コインの表裏みたいな感じです。

最後に、皆さんの多くはご存知かと思いますが、私が教えているのは、心が楽になるセラピーの理論とテクニックです。私は、教えを持っていませんし、宗教の教えは、目覚めを求めるのなら、やはり必要ないです(再び断言)。

苦しみから抜け出したいのであれば、条件や価値にこだわらないほうが、絶対に楽です。でも、価値やエゴを持ってはいけないという新しい価値観をもし作ってしまったら、同じ罠にはまってしまいます。

また、たくさん癒せば、条件や価値観をなくせば、心は楽になりますが、じゃぁそれで、真の自分に目覚めるのかというと、それは未知数です。エックハルト・トーレにしても、バイロン・ケイティにしても、欝のどん底で目覚めたわけです。

真に目覚めを求めるのなら、「私はどうしたら目覚めるのか?」という問いを捨てて、「私はどうしたら目覚めるのか?」という問いをなげている自分に気づいている意識はなにか?を探っていくことでしょう。

すべてに気づいている意識です。そして、すべてに気づいている意識があるなぁと気がついていることに、気づいている意識がさらにあるはずです。よ~く探ってみてください。最後にこれ以上いけなくなるまで。それが、真の私です。

目覚めを体験した人は、言ってみれば、アメリカ旅行を体験した人と、基本的に変わりはありません。ですから、人格や精神性、スピリチュアル度(?)が高いわけではぜんぜんないんです。ただ、アメリカへ行ったことがない人に、“こんなふうだった!”と話ができるだけです。

で、溝口あゆかとしての私は、“こんなふうだった!”と話をするのが楽しくてたまらないんです♪

今回は、長くなりましたので、ガイアの言葉はお休みしま~す。

自分に気がついている自分に気づいている意識」への7件のフィードバック

  1. いつも楽しく、「なるほど~」と目から鱗を一枚ずつ落としながら拝見しております。
    今日のお話も、『覚醒した』『目覚た』こと(人)に対して自分が持っていたイメージや価値観に気づくきっかけになりました。
    質問されていた方のようなイメージを、私も持っていたなあと改めて気づかせていただきました。
    人を癒す仕事をするならば、対価(代金)を受け取ってはならないという価値観を持たれている質問者の方もいらっしゃいましたね。ほんの1・2年前までの私も同じように考えておりました。
    でもそれでは人を癒す仕事が自分の天職と信じておられる方は、その天職で生活していくことはできません。別にまた生活の糧を得るための仕事を探さなければなりませんものね。
    それでは本末転倒虫(ほんまつ・てんとうむし)ですね。(朝教育テレビで放送されている子供向け番組の中の歌に、ほんまつてんとうむしという歌詞があるんです。^^)

    自分がどんな思考に縛られているのか、どんな価値観を握り締めているのか、これからも一つずつマイペースで探しながら、これらの鎧を脱いで身軽になっていきたいと思います。

    あゆかさんとこちらのブログに出会えたこと、感謝しております。^人^

  2. 無法地帯半径10㎝ でリブログ& コメント:
    まっったく目覚めている感ナッシング。
    まだ、くぐもっている感じ。
    何かにくるまって、
    意識の底で眠っている“私”がいる。
    微動だにせず、ただただ目を閉じたままの私がいる。

  3. あゆかさん、こんにちは。本やブログの更新いつも楽しみにしています。そしてとても助けられています。
    今、どうすればよいのか行きずまっています。苦しい原因の様々な感情を感じきって解放するワークを続け楽になり、朝起きるのも辛くなくなりました。
    でも終わった出来事を全て手放すことが出来ずまだ抵抗してしまう時があります、抵抗は諦めてない証拠、完全に手放してない証拠、自分が考える良い状況を期待しているということ。わかっているので、あっ今抵抗や期待してると気付いたら「期待しない、抵抗しない」と唱えています。
    ワークや瞑想等をしたり人や自然の温かさに触れたりして、平和で幸せで穏やかな私と、抵抗しちゃいけないと自分に言いきかせる私を行ったり来たりです。
    〜しちゃいけないはハートトークではないですが、期待や抵抗もハートは望んでないです。

    そもそもワークやハートトークに従う、目覚めたい、は自分が良い状態になるためにやっていること、これって期待してるってことなのでしょうか?
    教えていただけたら嬉しいです。

  4. ハートトークを無視しているのはわかっていても、
    ハートトークに従う勇気がないよー。
    ハートトークに従うと、貧乏になって、子供を産める年齢が過ぎてしまう(もうすでに32歳ですけど)という思い込みが抜けない。
    ハートトークに従うと、周りの人を怒らせる。心配される。ムカつかれる。馬鹿だと言われる。思考から(実際そういうことがおきる)抜け出せないー。

    そのため、ハートトークを無視している自覚はあるのだが、無視している自分が心配。
    無視している自分に罪悪感。

    どっちをとってもモヤモヤしていて苦しい。自分で過去を癒してみても、次の日にはまたモヤモヤしている。的がズレてるのかな。

  5. 職場でのことを相談させてください。私からはパワハラと思われる状況です。主に上司がパワハラを受けていますが、流れ弾を受けることがあります。以前はもう少し遠くで起こっていました。それでも足が震えるほど怖く、フォーカシングなどワークをしてかなり癒されていました。「癒されたからこの状況は私の前からなくなるのかな・・・?」という期待(期待^^;)を持っていたのですが、逆に目の前にやってきた感じです。以前のように足が震えることもないですが、やはりエネルギーを奪われるような感じや怒りの感情が湧いてきます。「これもまた過ぎ去るんだよな・・・?」という期待(・・・^^;)があるのですが、目の前で攻撃されている人を見ることがもっとも耐えられないです。もちろん自分にされた攻撃にも痛みを感じますが。
    以前もブログでモラハラについて書いてくださっていましたが、プリントアウトして読み直しました。現在のあゆかさんからの視点でまた、パワハラについて書いていただけないでしょうか?あまり具体的にはかけませんが主に否定的な言葉や怒鳴り声、理不尽な要求(最初の意見と違うことを言っているのに私たちの責任にする)等をパワハラと感じます。ペインボディが刺激されます・・・
    「すべては幻想だ」と思うような、覚醒体験とまではいきませんが似たような感覚になったことはあります。なので完全な怒りではなく、どこかで「この怒りは私のものではないんだよね」っていう感じもあります。それでもこの状況をなんとかできないだろうか?ともがいてしまいそうになる自分がいます。たぶんそれは恐れからだとも思います。以前、つぶれていった人がいても何もできなかったこと、後悔すること、自分に何かが起こること、そのあたりが私の恐れだと思っています。「後悔なんて言い訳よね~」っていうのは頭ではわかるのですが・・・;;
    あゆかさんからなにかお話が聞けたらとってもホッとすると思います!!よろしくお願いします。

  6. 今年に入ってから、あゆからんのブログに出逢い、凄く助けられています‼ ありがとうございます!!
    「目覚めを体験した人は、言ってみれば、アメリカ旅行を体験した人と、基本的に変わりはありません。」
    素晴らしい例え(笑)ありがとうございます!!
    というのも、私も、「これが、大我の意識?!」という意識を2回程、たぶん体験したことがあります。
    それについて、質問させてください。
    一つは、数ヶ月前、就寝時に「みんなみんな、私の子ども」と、想像したら、
    「たとえば、横で寝ている旦那の隣に、知らない女性が寝ていても、気のふれた女性が人を刺していても、ママチャリで買い物に行くおばちゃんも、その方達、みんなみんな愛しい‼
    」という、気持ちになり、身体が、動かなくなり、欲が消えた感じになりました。
    そして、「この意識では何もできない。やりたいことがない。明日から、どうやって生きて行こう(笑)」と思いながら、眠りにつき、翌朝目覚めたら、おバカな私の意識に戻り、家族に朝ごはん作ってました(笑)
    もう一回目は、入浴中に「英語のshould have doneを 学ばなくなる日がくるかも〜‼
    過去って後悔要らないし〜‼
    戦争⁈ 面白いね〜‼(戦争は良くないとか、惨事等の意見や感情が湧かないから、あえて感想述べるなら、面白いね〜としか言いようがない)」
    と、浮かび、旦那に上記のことを話しました。
    劣等感が全くなくなっていました。
    でも、翌朝には、劣等感を感じることのある私に戻ってました(笑)

    質問は、
    あゆかさんは、目覚めた意識のままで生活していきたいという思いはありますか?
    私は、そうありたいと思いながらも、そうなると、他人と会話が成立しなくなる(惨事も惨事と思えなくなる)ので、もし、目覚めた意識のままでいることを望むなら、簡単に言えば、変人になってしまいます(笑)ので、踏ん切りがつきません。子育て中でもあるので。
    でも、すべては、流れのままにですね。

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