価値や条件から一抜けしよう!

今回は、コメントが長いので、いきなり始めさせていただきます! 長かったので、激しく切り貼り、省略してしまいました。コメントありがとうございます!

私には心から尊敬する友達がいます。彼女は、知的で大人っぽく、純粋で質素でおしとやかで美人なひとです。こんな人と友達になれて幸せだと思います。しかしその反面嫉妬心もあります。何よりもわたしが彼女に引け目を感じてしまうのは、宗教に所属していて、たくさんの友人がおり、周りに流されず高潔な人間でいることに努めているところです。その一方で私は、学生時代は、ぐれていて、いつも自由気ままに生きたいと願い、信頼のないようなことばかりしていました。

そんな自分が嫌でスピリチュアルに出会い、自分なりに理解したことを実践してみたりして、こうかな?ああかな?、あぁ違った!大間違いだった、何て感じで、もしかしたら遠回りしてるのかもしれないし、恥も失敗もたくさんあります。友人はこういう場合にはこうしなさい、という教えにそって生きており、だから、私より慎重でとても賢く見えます。

彼女を紹介したら、私なんか見えないみたいに飛び付いた男の人もいたりして、自分のの価値はないような一体どこにあるのだろうと思い、自分に嫌悪感を覚え、私より世界中の人が彼女を選ぶのではないかとすら感じてしまいます。どんなに周りから役立たずで、尊敬されずかっこよくなくても、私は私でいいやって思える強さをもった人になりたいです。

「知的で大人っぽい」も素敵だし、「素朴で親しみやすい」も素敵ですよね。また、「純粋で、質素でおしとやか」も素敵ですけど、「自由気まま、奔放」も素敵だなぁと思います。

問題は、「知的で大人っぽく、純粋で質素でおしとやか」のほうが優れている、良いことだと思いこみ、自分の良い資質をネガティブに捉えてしまうことかなと思います。

また、もし教えに従って生きているだけだとすれば、それは、言い換えると「自分で考えなくて良い生き方」とも言えますね。「これが正しいですよ」とか、「こういうときには、こうしましょう。」という言葉に従うのは、ある意味簡単なことです。

しかし、真の智恵や知性は、自分で自ら考え、試行錯誤し、経験(たくさんの失敗を含め)を重ねた上で自然にあふれ出てくるものだと思います。そうやって、魂がだんだん自分を信頼することを学んでいき、他者の言葉や教えではなく、自分の考えを指標に生きていけるようになりますね。

また、正しく、高潔に生きようと努めなければいけないのであればそれは、思考の生き方です。

自分が教えに沿っているかどうかを、見張っているのは誰でしょう? そう自分の思考ですね。ハートではありません。また、面白いことに神様(=目覚めた意識、空、創造の根源)も見張っていないんです。基本的にその人がどうであれ、100%受け入れられています。

ジーン・クラインという西欧で有名な覚醒したマスターは、ある日、ビジネスウーマン風の参加者に、“あなたの人生の哲学はなんですか?”と聞かれ、しばしの沈黙の後、“私には、人生哲学はありません。だから、私は幸せなんです。”と答えたそうです。

もし、真実、目覚めを求めているのであれば、教えは必要ありません。(断言) 宗教を批判しているのではありませんよ。自分が何を求めているのかを明白にしたほうが良いでしょう、ということです。「正しい人」「良い人」「高潔な人」を目指しているのであれば、宗教は良いツールかもしれません。

ただし、自分たちと違う教えの人々も受け入れられる宗教ならですが。そうでない限り、その宗教が定義する「高潔な人」になっただけです。

エゴの働きの一つに、「条件リスト作り」というのがあります。「正しい人である」、「友達がたくさんいる」、「賢い」、「美人」、「成績が優秀」、「清くある」、「ほがらかで明るい」、「人の役に立っている」などなど、人が持っているべき条件を並べ立てます。

この条件リストは、人それぞれ微妙に違いますが、基本的に条件を多く満たしていることが、良い、優れているということになります。で、条件を見たしていないと思うほど、自分の価値も低いように感じてしまいます。

しかし、真のスピリチュアルとは、エゴの条件リストを満たしていくことではなく、この条件を超えることだと思います。

私たちは、存在する価値があるから存在しているのではありません。また、人生も生きる価値があるから存在しているのでもありませんね。私たちの存在は、価値があるとかないとかを超えたものなんです。

価値は、あくまでもエゴの産物です。

ただ、コメントの方のお気持ちもよく分かります。自分がいないかのように扱われると、“私はここにいるのに”と、自分が小さくなったような気持ちになるかもしれません。そういった感覚がいつまでも続くようでしたら、過去の出来事や潜在意識の思いに触れているので、見つめていき、癒したほうが良いかなと思います。

でも、エゴの条件リストに自分をはめていこうと頑張るのをやめて、「役に立たない私だけど好き」ではなく、「役に立っているかどうか考えるよりも、私は今、どう感じているの?どうしたいのだろう?」という「ハート」中心の生き方にシフトしてみたらいかがでしょうか?

こう書くと、エゴが「でも、人の役に立たなくても良いの~~!」と言ってくるかもしれません。でも、ハート(愛)は、“人の役に立たねば”といった気負いなしに、人とつながること、共感、共鳴することをよ~く分かっています。

エゴの条件リストの中で生きる限り、自分の価値が上がったり、下がったり、一喜一憂することになるでしょう。人生も同じことです。良いことがたくさんあったり、先に良さそうなことが起きそうだと、生きる価値があり、大変なことばかりで、先にも大変なことばかりだぁと思うと、生きる価値がなくなりますね。

カウンセラー&セラピストとして、生き辛さや苦しさから抜け出し、前向きに楽しい人生にすることが私の目的です。人が希望を持ち、生きる意欲を高めていくお手伝いをするのが大好きです。

一方で、目覚めを体験したものとして、人生の困難、心の苦しみは、決して悪いことではなく、これらを「嫌なことだ」「悪いことだ」とレッテルを貼らなくなれば、「良い、悪い」という二元を超えた視点で、人生が楽しめるという可能性にも気づいて欲しいなぁと思うのです。

それまでは、もし「人に注目されたい」「人に尊敬されたい」という思いと感情があれば、それにちゃんと耳を傾け、癒していく(やり方は、ワークショップなどで実践でお見せしたいと思います。)と、エゴのリストを手放しやすくなりますよ~!

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

今週のガイアの言葉
『目的のために人生があるのではなく、人生が目的そのものです。』(P34) ☆目的を意義、価値という言葉に入れ替えて読んでも同じです。

『魂は物質的な考えに縛られていないので、「自分の真の欲求はなにか?」「そしてそれをどう自由に表現したいか?」ということが、魂にとって一番学びたい内容です。』(P71 )

価値や条件から一抜けしよう!」への22件のフィードバック

  1. あゆかさんのブログを楽しみに頑張っています。
    特に質問の回答は分かりやすく
    相手に合わせて自分を見失っていた私が自分の意見を言えるようになった事は進歩ですが、その事による摩擦に少しさみしさや後悔を感じていました。
    そんな時あゆかさんのコメントに背中を押していただき、今はこれでいいんだと安心感を得ることが出来ました。

    まだまだ人の評価が気になり観念や概念に縛られ動けなくなる事がありますが、
    「私はこうありたい」という自分との繋がりは強くなった気がしています。

    今日はこの言葉が心に響きました。

    ハート(愛)は、“人の役に立たねば”といった気負いなしに、人とつながること、共感、共鳴することをよ~く分かっています。

    人と仲良くしたい、繋がっていたいから自分を失くして相手に合わせる事が良いことだと思っていましたが、その事が自分を縛り苦しめていたんですね。

    良し悪しをつける事が習慣になってしまっているので不安や恐怖を感じる度に手放し赦していく訓練の日々です。

    • こんにちは!

      言葉のあやかもしれませんし、細かいことを突っ込むようですが、“訓練”しなくて良いですよ~。気がつくだけで大丈夫です。リラックスモードでやってくださいね。

      これからもブログをお読みくださいね♪ ありがとうございます!

      • ありがとうございます。
        あゆかさんのコメントに頑張って~しようとしている自分に気づく事が出来ました。
        リラックスモードで♪
        今の私にピッタリのお言葉をありがとうございました。

  2. あゆかさん、こんにちは。
    いつもブログ励みにしています。

    わたしも最近、友人・知人関係の事で悩んでいます。

    単純に、相手が苦しそうだったり困っていそうな時など何かしてあげたいと思い手助けをすると、相手がわたしに執着したり依存してきてしまいます。

    やりたくないことや出来ない事はそのつど断っても、一度”わたしを助けてくれる人”と見込まれるとなかなか認識を新たに出来づらいのか、何かある度にあてにされてしまい、断ると「わたしはこんなに可哀相なのに酷い・・」という様な対応をされて、これは相手の問題なんだ、と思いつつも罪悪感をかき立てられる事もしばしばです。

    わたしはハートから・・というか、あまり考えずに、困っている人がいると何となく手が出てしまう方だったのですが、あゆかさんが本に書かれていたような”受け入れオーラ”がでていたのかもしれません。

    一度でも手助けをしてしまうと、今後もあてにされてしまうかも・・と思うと、今では人付き合いでなかなかハートと開けないような、警戒してしまう様な感じです。

    しかも友人達とは、今まで受け入れオーラを出して付き合っていた人ばかりなので、あゆかさんの本やブログを読み、自分を大切にし出した今、人間関係全般がちょっと辛いです。

    ハートから相手につながっても、自分が辛くならない(相手に頼られたり、あてにしたりしてこられない)付き合い方って、どうすればいいのでしょうか?

  3. 日本の尖閣諸島、竹島を巡る争いのニュースを見るたび心が苦しくなります。
    9ヶ月の子どもがいるので、有事になったらどうしよう、と、可愛い子供の笑顔を見ても苦しくなります。
    ホオポノポノを地道に実践はしてるのですが…

    あゆかさんはどう思われますか

    • Hardさん
      こんにちは。私も1歳2ヶ月の息子がいます。
      半年くらい前まで、テレビで暗いニュースを見ては、自分の子供に当てはめて、毎晩寝る前に嫌な妄想を膨らましていました。
      本当に苦しかったので思い切って何年も日課にしていたニュースを見るのを一切やめて見たところ、とても調子がいいです。
      大人として世界情勢を知っておかないといけないのでは!?という思いでニュースを見ていましたが、どうしても必要なニュースは不思議と目に飛び込んでくるし(テレビ以外にも人の話や電車の吊り広告など)、不自由がありません。
      小さい子がいると不安はつきものですが、不安は不安を呼ぶと思います。
      一つの意見として聞いてくださいませ。

      • haruさん
        ごめんなさい!!!お名前間違えてました!!!
        大変失礼しました。

        • ふーこさん

          ありがとうございます!!
          ニュースを見る時間減らします(>_<)

          母親が不安になったり落ち込んだりすることが一番子どもによくないですものね。

    • haruさん、こんにちは。
      見当違いかもしれませんが・・・haruさんの書かれていることだけを読むと、私も当時はそうだったなぁと思いだされました。

      乳幼児を育てている時の母親って、それだけでナーバスというか、繊細な感性が際立っているし、赤ちゃんという無垢で無力な、でも世界一の宝物と常に一心同体でいる特殊な環境だと思うんですね。

      私も同じように、争いや傷つけるニュースを見ると涙がとまらなく、可愛い子どもの笑顔が無性に愛おしく胸が掻きむしられるような苦しみに襲われました。
      同じように、当時の友人も「急にボクシングが辛すぎて見られなくなった、あんな風に殴り合うなんて・・・って感じちゃうの」などと言っていましたが「ああ、分かるなぁ」と思いました。

      今では子どもも小学生になり、あの時のようなリアルな辛さ・苦しさは無くなりました。でもやっぱり、独身の時よりずっと、悪いニュースには心がググッと反応します。どうしても愛おしい子どもの存在が、そうさせると感じます。

      特に乳幼児育児中、授乳をしていれば強くホルモンの影響を受けていたなぁと思いますので、もしかしたら、その影響もあるかも??と思い、念の為コメントさせていただきました。

      haruさんの場合とは違うかもしれませんので、どうぞ、一つの参考までに読み流して下さいね。

      • きらこ様
        わあ~(>_<)お返事ありがとうございます!!

        みんなそうなるんですね…。
        私も今まさに授乳中です。
        首もすわり、お座りも上手になって一人遊びもできるようになり、だいぶ成長したなぁなんて思ってたのですが、やはり今の時期の母親は同じようになるのですね。

        ニュース、もう極力見ないようにしてるんですが、どうしても気になってしまって見たりしちゃってます。

        ピリチュアルを勉強して、仕事や人間関
        係、お金とのつきあいかたなど、

      • だいぶ上手にコントロールできるようになりました。
        今のシリア情勢も、心が痛むもののそんなに胸かき乱されることなく普通にニュースを見てます。
        しかし今回の尖閣諸島や竹島、有事になるかも、、という思いだけは別で、怖くて怖くて仕方ないんです。
        大平洋戦争の文献をたくさん読んできたから、そして過去生でも体験したからなんだろうな~とも、思うのですが…

  4. あゆかさん、こんにちは。

    ブログやセミナーを通して、少し客観的になれたのか、本当に日々、自分では気づかない思い込みを持っているんだなぁと感じています。

    私は、抑圧が強く、常にひどく疲れていて、気分が落ち込みがちです。

    特に楽しいこともなく、ハートの声もよくわからず、なにかする時も、することを選択するか止めるのか
    全然判断できません。

    こういう時は、休む時だ思って、思い切って休んでみても、疲れたままです。
    ストレスの一つであるものから離れ、ゆっくりすることで、エネルギーが回復してくるかもと思っていましたが、状態は変わりません。

    仕事も休んでいるのですが、一向に楽になってきません。

    なにもする気が起きないことも多く、カウンセリングを受ける元気もありません。

    でも、あまりにしんどくて、カウンセリングを受けてみましたが、カウンセリングにならず、
    もっとショックで落ち込みました。

    充分休んで、エネルギーががもどったら、一つずつ癒していって、という風にしたいのですが、
    金銭的なことからも、もうこれ以上休んでいることもできず、どうしたらいいのか悩んでいます。

    このまま仕事を始めれば、悪化するばかりだし、ヒーリングもなにも効果はないしで、
    なにかできることはないかと思っています。

    • salltさん

      こんにちは。
      仰ること、すごく共感できます。
      私も似た状態で苦しんでいます。
      どんなに休んでも疲れが抜けません。
      カウンセリングも効果があるのかないのか微妙です。
      私もそろそろお金のことがあり働かなくてはと思っていますが、このまま働いたら周囲に迷惑をかけるのは目に見えています。
      どうしたらいいのでしょうね。
      完全な治癒などないのだからと割り切ってとりあえず歩き出した方が良いのか、自分がこれでいいと思うまで休むべきか…。
      身体も心も疲弊し直感が鈍っているときに「直感に聞いてみて下さい」と言われるのは酷ですね。

      ためになることは何も言えませんが、salltさんの幸福を祈っています。

      • つぼみさん

        ありがとうございます。

        ね。酷ですね。休むことで、ピーク時より疲弊度が下がって、何か行動を起こせるようになるのかなって思って、思い切って休んでみたのですが…。

        休めば、次の段階に。という訳でもなのですね。

        何も癒せていないから、そりゃそのままだろって言われれば、確かにそうですが…。

        どうしたらいいのでしょうね…。

        本当に…。

        つぼみさんの優しさ、尊敬します。

        周りに迷惑かけるなんて、そんなことないと。

        何もわからないですが、ご自身を責めることなくいていただけたら。

  5. あゆかさん こんにちわ

    随分 嫌っていた自分を受け入れられるようになって いよいよ 統合の時期に入ったのかなと思っていました。何の予定も入らない週末は わくわくする気持ちがいっぱいでした。どうやって 楽しもうかな~って。
     ところが そのわくわくする気持ちとは裏腹に ズシーンと落ち込んでしまいました。その週末は 私の住んでいるところのお祭り。私は お祭りというと 血が騒ぎ 花火の音など聞いたら いてもたってもいられなくなる人なのです。でも 一緒に盛り上がる仲間がいないということで 自分を責め始めました そして お決まりの トラウマにどっぷりはまっていました。 その後は なんだか 元気のない日が続いております。せっかくのお休みに わくわくするどころか 息苦しい時間になってしまいました。誰が責めたわけでもないのに・・・ 休みに気持ちが休まらないという前の方に 共感して書き込みました

  6. はじめまして。
    今回のblogを読ませていただき3点質問があります。

    エゴの働きの一つに、「条件リスト作り」
    →「目覚めを体験したもの」
    これは条件ではないのですか?
    自分は目覚めを体験したという条件を満たしたものとして、このような教えを書いたり、お金を取って教えているのではないでしょうか?
    そうでなければこのようなことを宣言する必要があるのでしょうか?

    価値は、あくまでもエゴの産物です。
    →「ジーン・クラインという西欧で有名な覚醒したマスター」
    西欧で、、有名な、、覚醒した、、マスター、とか、要らないのではないですか?
    真実の言葉ならばそれ自体で響くわけですから、ただの「ジーン・クライン」でよいのではないでしょうか?
    名前を装飾して価値付けをしておいて、その言葉をよい言葉としても意味がないように思います。
    ジーンクラインを紹介するあなたのエゴがその価値を高めようとしているのではないでしょうか?

    もし、真実、目覚めを求めているのであれば、教えは必要ありません。(断言) 
    →「やり方は、ワークショップなどで実践でお見せしたいと思います」
    お金を取って教えているのが現実ですよね。
    それは仕事ですから否定しませんが、教えていながら「教えは必要ない」と書く必要はないのではないでしょうか?

  7. 記事にとりあげていただき、ありがとうございました。
    じっくり読まさせて頂きました。

    自分のいいところに目を向けられていないという一文に勇気づけられました。

    分からないことも多々あり、すこし質問させてもらってもいいでしょうか。

    私はスピリチュアルに出会えて幸せですし、心から感謝しています。
    自分の人生も変わったと思います。

    しかし、恩寵が(目覚め、悟り)自分に起きない限り、スピリチュアルで教えられることは実現できないのではないかと思っています。

    あるときは幸せや平安を感じ、あるときは不安や怒りや深い悲しみに襲われて振り子のような状態がなんだかしんどいです。

    今をいきる、本当の自分を見つける、価値や条件から抜ける、
    良いも悪いもない。

    そうだとも感じますが、そうじゃないとも感じます。

    仕事で評価される、家族の病気が治らない、人生の後悔や失敗がたくさんあってアタマから離れない。

    などなど人生ではやっぱり思考なしでは生きていけない、またはどうしても考えてしまうことってあると思います。
    目覚めた人たちは簡単です、と言って道を指し示してくれます。

    しかし私のような思考やエゴが渦巻いていて、
    何とか頑張って理解しよう、実践しようとしている者にとっては
    なんだか、指し示されている道のゴールの近くまで(意識しつづける訓練をおこたわなければ)行けるような気がしますが、結局ゴールは恩寵が起きないかぎり踏めないのではないのかと思います。

    何が言いたいのかうまくいえませんが、あるときはスピリチュアルの教えを理解できて、あるときはエゴに陥ってしまう。人を価値判断しないときもあればするときもある。
    ふりこがとまるときは恩寵のときしかないのではないかと思うと、なんだかやるせないです。

    そしてこの世は価値判断や条件づけが結構どこでもはびこっているように感じます。
    その中で自分だけ具体的にどうやって抜け出せばいいのでしょうか。

    実際価値判断をしてくる人にも出会います。
    自分がそこから抜け出ているのであれば、傷つかないのでしょうか。

    まとまっていなくてすみません。
    しかしあまりにも道が遠いのではないか(たどり着くべきゴールなどないと言われても)、
    今自分はどこにいるのだろう、そもそも自分は実践できているのか?など考えてしまう今日この頃です。

    いつもブログたのしく読ませていただいています。
    これからも読み続けます。

  8. あゆかさんみなさん、こんばんは。
    この記事は取り上げられていたコメントもあゆかさんからの回答もとても興味深く拝見しました。

    私たちは覚醒しないといけないわけではないですよね?
    例えば、今の状態が空しく、不満だらけで、自己卑下に苛まれていても、別に構わないんですよね?

    あゆかさんの著作に出会って一番変わったのがこの部分でした。
    別にあきらめとかではなく、今のままでもいいんだな、ってことです。
    単にエゴからの言葉かもしれません。でも楽になったのは確かなのでそれでいいんだな、って。

    私は今は9割方イヤなことはイヤと言えますし、いい人だと思われなくても好かれなくても落ち込むことも少なくなりました。
    もちろんイヤと言えないときもあります。それで自己嫌悪のときもあります。

    でもこれが重要ではないことがわかりました。私にとっての意識が変わるひとつの鍵だったのが、自分の意見を言えなくてもいいかな、って思えたことです。
    本当に辛かったのは、「意見を言えない自分だったこと」よりも「また同じことやったね」って自分を責めてしまうことでした。
    自分とは一生付き合わないといけないわけで(汗)こんな独裁者みたいで年柄年中ジャッジばっかりするのと一緒にいたらそりゃ疲れるわ、、、って心から思いました。

    今はそういうことも少ないので判断を誤ることを恐れなくなりました。間違えてもいいやって思います。また自分の意見を言って否定されるのがイヤだったのですが、否定されても冷静に、再度自分の意見を述べることができたときには驚きました。

    あゆかさんありがとう。
    (間違ってたら何かの拍子にさりげなく諭してくれるとうれしいです 笑)

    そうそう、こないだ初めて飛行機のビジネスクラスに乗りました(笑)
    私には縁のないこと、、、って思いこんでいたけど、そんなこともなかった。
    そりゃそうです。お金出せばだれでも乗れるものですもんね(^_^;) 何をそんなに大げさに思ってたのか。。。笑えますね。そんなもんです。

  9. おはようございます
    お祭りの時の 違和感。それが 確信になったような昨日の食卓。夫もいつになく早く帰ってきて 家族団らん。何も考えないで 楽しい食事・・・・・のはずが・・・・・・。すごく気まづくなりました。なぜか・・・・ 楽しく・・・とは思っても 何も喋れない私がいたのです。どうしたら楽しくなるのかわからなくて 落ち込みました。なんでだろう なんでだろうと考えていたら 相手が楽しんでくれたり 喜んでくれなければ 自分に 楽しかったねって許可が出せていないことに気づきました。相手の反応が 私の不安 安心を作っていることに気づきました。自分を生きていない。自分を感じていないことに気づきました。相手の反応で いくらでもグラグラする自分でした。
    私が私にオッケーが出せない 相手の反応が良い時だけオッケーを出している ことを ようやく気づくことができました。これは苦しいですよね。自分中心と思って今までやってきたつもりなのに ひとつも進歩がないし 今までのことを考えると これ以上 どうしていっていいか分からず途方にくれました。
     相手が 喜ばなくても不機嫌でも 自分は自分と思えるようにもうなれないんじゃないかと絶望しています。
     これは単なる 自然にやって来る 重たいエネルギーでただ 漂っているな~~と 思って受け入れていれば流れていくものと一緒なのでしょうか?教えてください

    • 匿名になっていました
      いつもお世話になります
      ぼんちゃんです
      よろしくお願いします

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