うっぷん晴らし?それとも愛?

ロンドン周辺の気候は、一気に下がり、今日は22度です。爽やかで、選手たちにとっては、このほうが良いかもしれないですね。さて、今日はまたコメントにお返事させて頂きます。コメントありがとうございます。

あゆかさん こんにちは ロンドンの暴動は欲求不満や被害者意識に基づいた怒りによるものだとのことですが、どのようにしてそれが欲求不満や被害者意識に基づいたものとわかるのでしょうか? また逆に愛や正義に基づいて表現された場合、どのような市民運動や市民革命になるのでしょうか?私には、全くイメージできないので、是非、具体例を教えてください。過去の事例でもかまいません。 それから、ふと思ったのですが、あゆかさんもまず、彼らの行動にマスコミ同様「暴動」というレッテルを貼り、暴動→ネガティブ→欲求不満や被害者意識と決めつけてはないでしょうか?確か、ものごとにはポジティブもネガティブもなく、全て愛のもののはずでさたよね?ただ事柄が起こっているだけで、それにポジもネガもないと…

とても良いご質問ですね。まじめに考えてくださっている様子が伺えます。

なにを暴動と呼び、何を革命と呼ぶかを、はっきり区別することは難しいかもしれません。また、どこまでが欲求不満で、どこからが自己愛かもはっきり線が引けるわけではないでしょう。ミックスということもありますし。

ただ、関わっている人々の言動を見ていると、そこに違いは見えてくると私は思います。とりあえず、ロンドンで起きた暴動は、きっかけは、黒人の若者が警察に射殺されたことから起きました。ですので、権威への不満といったことが動機なわけです。

ところが、実際に何が起きたかというと、多くの個人店が破壊されて、商品が盗まれただけではなく、火を消そうとした通りがかりの人が殴り殺されたり、移民の父親が長年築きあげたお店を守ろうとした息子が車で轢き殺されたり、または商店街の近くのマンションにも火が投げ込まれ、命からがら二階から飛び降りた人たちがいたりなど、ここに列挙できない多くの破壊や暴力が起きました。

日本で言い換えれば、例えば、町の商店街に若者が大挙押し寄せ、おじさんやおばさんが経営しているお店を次々と略奪し、火をつけ、ついでにお店の近くのマンションにも火を投げ込み・・・・といった感じです。

結果として一番被害を蒙ったのは、警察でも権威者でもなく、周辺の住民たちでした。その後コミュニティから、“暴動に負けない!”という団結した声があがり、ボランティアがあちこちから集まり、商店街を元に戻す運動も起きたんです。

個人レベルで考えてみると、会社の不当な扱いに対して、社員が強い不満を持ち、腹いせに会社に火をつけるか、または、きちんと会社に声をあげて、要求をするのかの違いかもしれません。

チュニジアから始まった中東の市民革命は、はじめ広場に市民が集まり、声を一つにして独裁者に向けて自由を求めていたところに独裁者側が銃を向け、それに市民も武器を持って対抗し、リビアやシリアなどは市民戦争へと拡大した・・・、というもので、市民が初めから暴れていたわけではありませんね。

個人的には、リビアの市民たちが、“この国に自由をもたらすために、私の命を犠牲にしてもかまわない”と言っているのを聞き、愛だと感じました。もし、そう言っている自分をイメージしてみると、そこには被害者意識よりも強さや愛を感じないでしょうか?

一方、欲求不満や犠牲者意識だけから出る行為は、分離感がとても強いので、商店のおじさん、おばさんの気持ちなど想像することができなくなります。ただ、彼らの行動だけ見て、「悪い奴らだ」というような見方はしていません。(傷ついた人が人を傷つける)

で、レッテルを貼っているのでは?ということですが、私がプチ覚醒体験したとき、机は、私が「つくえ」とレッテルを貼っているだけで、机は一度も私に「私は机です」と自己紹介していなかった、とはっきり感じられました。そのとき、自分が見ている世界がいかに思考(レッテル、判断)を通した世界なのかがよく分かったんです。

そういう意味で、レッテルを貼らずに、話したり、書いたりするのは不可能です。これは、ポジティブ、これはネガティブと判断するのも、これは椅子、これは机と判断するのも、基本的に同じことです。

そして、「ポジティブもネガティブもなく、全て愛そのもののはず」というのも、ほんとうにその通り真実です。多くの人が、レッテルの世界が唯一の世界だと信じて生きているなか、これをまず知ることはと~っても大切なことだと思います。

ただ、知ったあとにありがちなことは(コメントの方がそうしていると決め付けているのではありませんよ。)、頭で「ただ事象が起きているだけだ」と理解し、頭で「だから、ポジティブ、ネガティブと私は判断しないのです」とやってしまうことです。

思考(エゴ)は、レッテル貼りをするのがある意味仕事です。ですから、レッテル貼りをするエゴが、「私は、レッテルを貼りません」と言っている感じになります。つまり、無理なんです。エゴは決して、自分の仕事を放棄しません。(なぜなら、自分の存在意義がなくなるから)

レッテルを貼る思考(個人としての私)がなくなったとき、はじめて「レッテルのない、すべてが愛そのもので、ただエネルギーが変化しているだけ」の世界がわかります。

もし、目の前で誰かが暴力を振られていたとして、悟り(スピリチュアル)を学んでいるエゴは、「これは、ただ事象が起きているだけだ。すべては幻想だ。この人は本当は大丈夫なのだ。」と頭で思ってしまい、自然と出る行動を抑制してしまうかもしれません。

しかし、100%愛に身を任せている目覚めの状態にいる人は、自然と沸いてくる衝動のままに行動するでしょう。そして、その衝動は愛から出ているので、愛ある行動の可能性がとても高いです。

例えば、誰かが自分を中傷したら、「これは事象が起きているだけだ」とはっきり知覚できるでしょうか? できないとしたら、なにがそれを妨げているのでしょうか?

ここからが、知識から体験へと変えていく入り口になります。

自分の中で強く反応するものは何でしょう?、感情?思い込み?過去の心の傷?分離感?ストーリー?・・・、ちょっと見つめてみませんか?

一人一人が、自分の中の被害者意識を抱きしめることができたら、世の中から暴動や無差別殺人は減っていくかもしれませんね。

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私の好きなガイアの言葉:選択に迷っているあなたへ

「どちらを選んだら良いのか?」というのは、真の自由意志でも、真の選択でもありません。」—— では、どこに真の答えが見つけられるのでしょうか?(P70)

うっぷん晴らし?それとも愛?」への6件のフィードバック

  1. 「地球の魂「ガイア」の教え」 さっそく拝読しました!
    ガイアからのメッセージは、あゆかさんの翻訳のおかげもあると思うのですが、とても優しく心に響く感覚がありました。
    確かになかなかすんなり飲みこめないことが多く、思考を巡らせると余計にわからなくなることも多いのですが、そこになにかすごく大きな愛があるのだということは感じることができたと思っています。
    どんどん読み進めたいのに、心地よくなって眠くなって、ふんわりとした気分で寝入ってしまったのですが、2日間で一読し、また今夜からもう一度、たぶん何度か、読むと思います。

    わたしたち人間が、すごく硬直した考えをもってしまうこと、そこから脱出するのが難しく感じること、うーむと唸りながら読みました。わたしもいま自分の課題で「四苦八苦」しています(苦笑

    このタイミングでガイアからのメッセージに触れることができて本当によかったです。

    愛から出る行動は、暴力とは違うベクトルを持っていくだろうと感じます。それが時間のかかることであっても、まさに草の根運動的な… 小さな声が集まって大きなムーブメントを起こすような… 人間として存在しているわたしたちにとっての「愛」は誰かを傷つけたり痛い目に合わせる方向性を持たないような気がします。今日の記事でそんなことを感じました。

  2. あゆかさん、こんにちは!
    タイムリーな記事だったのでコメントしたいと思います。

    最近、ある年上の女性と飲んだ席で口論になりました。
    「これからは自分が好きなことを仕事にしたいと思っています。今の仕事も好きな面はありますが、最近ほかに興味のあることを見つけてもっと知りたいという気持ちが強くなりました。」
    というようなことを言ったら、
    「好きなんて軽々しくいうもんじゃない!それに好きなら今すぐすればいいのになんでしないの?そんな生半可な気持ちで好きなんて口にしないで」
    と強い口調で言われ、私は思わずカッとなって
    「私は好きなことは好きとはっきり言います。あなたにどんなに否定されようとずっと言い続けていきます」と半ば意地になって感情的に答えました。

    その後も彼女の考えと私の考えは相反するものが多かったのですが、先のやり取りのように感情的にまではならなかったので、ただ自分はこう思っていますと伝えていたら、彼女が「あなたはバカだよ、バカ」
    「いくつ?」「それじゃ3歳児と一緒」
    と大きな声で怒鳴ってきたのですが、不思議なことにその言葉には特にカッとなることもなく
    (彼女は私をバカだと思っているんだ、へぇー。でも私は私をバカだとは思ってないから、ま、いいか)
    という言葉が頭に浮かんだだけだったんです。

    おそらくあゆかさんのブログや本を通して、自分を見つめる作業をしていたからだと思うのですが、
    最初のやり取りの怒りは胸の中でくすぶっていたので、別れて一人になってから自分が一体何に反応したのか、私なりに探ってみました。
    そうしたら、私は小さいころから両親が共働きで、よくしっかりしなさいと言われていて、無意識にしっかりしないといけないと思っていたこと、ほかの子が甘えていたら、何甘えて、と思っていたことを思い出し、
    さらには人は働かないといけないという思い込みがあることにも気づきました。(働かない人間には価値がないという思い込み)
    そして、好きなことを見つけたはいいけれどまだ仕事として実行することができないという引け目がある中
    で、先の彼女に軽々しく好きなんて言うな、世の中そんな甘いものじゃないという言葉に私の中のボタンが反応したんだなぁと思いました。
    私はとっさに自分の引け目に感じている部分を防衛しようとして感情的に反論したんだなぁと思いました。
    頭で知識としてあったものが、実感として感じられた瞬間でした。

    怒りの効用とは本当にすごいと実感できた時間でした。
    彼女が私のボタンを押してくれたおかげで私の中にあるブロックの一つを見つけることができました。
    なんだか少し嬉しかったのであゆかさんに感謝の気持ちを込めてコメントしました。
    これからも感情が動いたら自分が何に反応したのか見つけていけたらなぁと思います。
    長々と失礼しました。ありがとうございます!

  3. 花文さん、こんにちは。 コメントを読んで、心に響くものがあったので書き込みさせてもらいました。 私は今から5年前(あゆかさんのご本に出会う前)まで、その年上女性のような人間だったなぁとしみじみ思い出しました。
    なんとなく、憶測ですが、その年上の方からみた花文さんの生き方に嫉妬?!していたのかなって。(本人は嫉妬って気づいてないかも…) 年上の意見は絶対的だって思っていて、結構後輩に批判ばかりしてたあの頃の自分を思い出しました。

    今では(以前の自分では)考えられないほど、好きな事を自分自身でえらべるようになり、いろんな事に対してありのままに受け入れられる余裕がある自分がかなり好きになりました。

    年上の方との口論は快いものではなかったかと思いますが、花文さんのコメントを通して再び初心に戻って再体験する事が出来て感謝しています。

    花文さんの大好きな事が実現しますように!!

    • マロンさん、こんにちは!
      貴重な体験談を教えて下さりありがとうございます。

      素直に今の自分を好きと思えるって素晴らしいですよね♪
      私も好きなことをしている時、とても充実した感覚があります。

      ただ、今回コメントを書いてみて「好きなことを仕事にする一歩が踏み出せないことを引け目に感じている」のはなぜか?という点に改めて気づくことができたので、そこもじっくりと掘ってみたいと思います。

      応援してくださり、本当に嬉しいです!
      私のペースでぼちぼちとやっていけたらいいかなぁと思っています。

      マロンさんも楽しい日々を謳歌して下さいね♪
      ありがとうございました。

  4. こんにちは!
    本を読ませていただきました(ネット注文は時間がかかりました~)
    すごく深くて、1冊の本の中に文章以外の意味ある沢山のものが隠れていて…
    何度読んでも色あせない、むしろ味の出る本なのではないかと感謝しています!
    私たちの体験している世界のあり方、法則、生き方 、etc
    もしかすると、これまでの知識が無かったら難しすぎる!と感じたかもしれません
    本当に読み応えがあって、面白い本をありがとうございます
    じっくり、ゆっくり、何度も読み返してみます。
    読んでいると、魂からゾワゾワ…こんな本に出逢えた私はとっても幸せです!!

  5. こんばんは。
    「地球の魂「ガイア」の教え」つい昨日の夕方買いました。
    なんとなく本屋に行って、書棚を見ると、一冊だけこの本が置いてありまして、パラパラと立ち読みして、「あ、この本は読む価値あるかも、、、」と思って買いました。完全に魂に導かれて買いましたね(笑)。
    まだ、全部読んでないのですが、P.27にある「創造の根源とは無である」という説明に惹かれました。

    というのは、私は今から25年ほど前、ある女性霊能者に会って、自分の人生を見てもらったことがあったのです。その時に、その霊能者は「『無』というものがあり、その無の世界から、治療や浄霊に必要なエネルギーを得ている、、、」と説明していました。よくは分からなかったのですが、そのことがずっと心に残っていました。
    この本に書かれていることを読み、「無というのは、創造の根源のことだったのだ」と理解することができました。

    バシャール、ラムサ、セスと読んできて、「観念が現実を創造する」ということは、理解できました。
    そこで、疑問に思ったことは、「観念を全く持たなかったら、つまり現実を何も創造しなかったらどうなるのか」ということでした。
    現実を何も創造しなかったら、創造の根源である無に帰ってしまうのですね。
    さらなる深い学びをすることができました。
    ありがとうございます。

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