怒りから学べるもの

今週から、各国の選手たちが続々と雨のロンドンに到着しています!リージェント・ストリートは、各国の旗がはためいていますよ~。何を隠そう、私のブログも42カ国の国からアクセスがあります。日本人が世界に散らばっていますね。海外アクセス第1位は、やっぱりイギリス(先週の統計:331アクセス)、2位はアメリカ(177)、ついでドイツ(55)、シンガポール(54)・・・・、珍しいところでは、エクアドル、ウクライナなどなども。

海外で頑張っているみなさん、こんにちは~! You are not alone !

さて、今回もコメントにお返事させて頂きます。コメントありがとうございます!

仕事で常連のお客さんよりご注文をいただいたので、それではお振込をお願いできますでしょうか、と申し上げたところ、私はいつもすぐに振り込んでるでしょう?!とお怒りになられました。何と言えばよかったんだろう、と悶々としました。<省略>今回の方がどう受け止めたのかは分からないのですが、つい理由を探してしまい、正直辛いです。そして、悩んでいることがイヤになります。いちいち受け止めてしまうのです。怒ってくる人がどうしても苦手で震えてしまいます。深いところに何かあるのかなと思います。

スピリチュアル心理学的を受けてくださった皆さん! さぁ、このお客さんは、どんな思いを抑圧しているため怒っている可能性があると思いますか?

そうです、このお客さんは、「お金はすぐに振り込むべき」と強く思っていて、いつもそうするように頑張っている可能性が99.9%ありますね。で、自分がそう頑張っていることにあまり気がついてないでしょう。そうでなければ、「それではお振込をお願いできますでしょうか」、「はい♪」で済む話です。

いつも気をつけてやっていることを誰かに「~~しておいてくださいね」と言われたら、「いつもしているのに!」と言いたくなったりしませんか? それと同じことですね。

つまり、「べきボタン」に触れてしまったわけです。

問題は、いろいろな人がいろいろな「べきボタン」を持っているので、どんなに言い方や言葉に気をつけても、誰かの「べきボタン」に触れる可能性があることです。つまり、人と関わる限り、誰かを怒らせてしまうことは避けられないということです。

かつてロンドンのロイヤルアルバートミュージアムで、案内が間違っていることを受付の人にクレームしたら(私は他の人のためにも報告したつもりだったのですが)、“そんなの私の責任じゃない!”と切れられてしまったこともありました。

また、東京で仕事をしていたとき、問い合わせの電話をかけてきた人を上司につなぐために、名前を伺ったところ、「名前なんか聞く必要があるのか!」と怒鳴られたこともありました。(後で、その方はヤクザさんだったことが判明)

こういった場合に、「私が怒らせてしまった」と自分に責任があると思ってしまうと、境界線越えになります。ボタンを持っているのは相手です。また、そのボタンをはずせるのもその人だけです。(もちろん、自分が相手を怒らせるケースもありますので、一応自分の言動を振り返ってみることはお薦めします。)

このしくみを知らないと、人を怒らせないようにと、自分の言動がどんどん萎縮していってしまいますね。抑圧→投影のしくみと境界線について学ぶと、人間関係がだいぶ楽になっていきますよ~。

怒りは、基本的に抑圧された思い(ボタン)の投影です。たとえば、海外に住んでいて、日本人としての自分に引け目を感じていると、日本に関してちょっとでも批判めいた言葉を聞いただけで、めっちゃ腹が立つなどもそうです。自分への引け目が大きいほど、怒りも大きくなります。

また、怒りは、自分の中のなにかが脅かされて起こるとも書きましたが、この場合なにが脅かされているのでしょうか? 前者は、「気をつけてやっている自分」、そして後者は「日本人としての自分」が脅かされているんですね。

「気をつけてやっている自分」を死守しようと無意識に頑張っているとき、「やっておいてね」という言葉は、「やらないかもしれない自分」の可能性を示唆します。では、なぜ、その可能性にそんなに瞬時に怒りがわくほど反応するかというと、深いレベルでは、「やらない自分(やりたくない自分)」がいて、その自分を自分が良くない!と強く否定しているからなんです。

日本人としての自分に引け目を感じているというのと同じですが、結局は、自分が一番否定している自分の部分に振られると、非常に腹が立つんですね。

怒りのエネルギーは、とても激しく、大きなものです。ですから、腹が立ったときは、すぐに分析しようとするよりは、まずは解放してしまったほうが良いでしょう。そして、その後に、“なぜ、私は腹が立ったのか?”と見つめてみると、そこには宝(癒す思い)が必ずあります。

怒りの解放の仕方は、EFTとか、ピクチャータッピングとか、または、過去にご紹介した方法など、いろいろあるでしょう。単純に、ジムで体から発散してしまうのも良いですね。(解放のテクニックのワークショップは来年開催します。)

自分の内側にためてしまうと、大きなエネルギーだけに、無意識に疲れと緊張がたまっていきます。そうなると、思考が活発になり、不眠になり、疲れがさらにたまり・・・・と欝状態へになってもおかしくありません。

多くの人が、このような怒りのしくみを知らず、また多くの人が、怒りの解放の仕方を知らないため、不必要にぴりぴりしていたり、疲れていたりするかもしれません。

さて、怒りに振り回され、ちゃぶ台をひっくり返したり(←いまどきあるか?)、誰かを殴ったり、どなったりしても、すっきりしないし、たんに自分の怒りのエネルギーで、自分が疲弊するだけでしょう。

でも、怒りは、決して悪いエネルギーではありません。自分が怒っていることをしっかり自覚し、自分を中心に持ってきて、まっすぐに表現すれば、大きなエネルギーだけに、ものごとを変える力があります。

例えば、市民運動や市民革命で、もし、怒りが正義と愛とともに表現されたら、世の中を変えるパワーとなるでしょう。でも、もし、怒りが欲求不満や被害者意識によって爆発すると、昨年のロンドンであったようなただの暴動となってしまうでしょう。

また、自分の中に怒りを抑圧していると、他者の怒りにとても反応してしまいます。怒りは、エネルギーが大きいだけに不快感も大きく、私たちの多くは、無意識に抑圧してしまうんですね。

被害者意識から生まれる怒りは、最も不快で、最も苦しく、最も重たいエネルギーです。また、最も深い投影で、自分と他者が大嫌いです。

この「怒りを持った被害者意識の私」は、必ず誰の中にもあります。人によっては、ものすごく深い潜在意識のなかにあって、普段はまったく自覚していないかもしれません。また、人によっては、その部分の自分が大きく、毎日生き辛く感じているかもしれません。

この被害者意識の自分を取り除こうすることではなく、受け入れることで、加害者VS被害者、抑圧するものVS抑圧されるもの、といった二極の分離を少しづつ乗り越えていくことができます。

なぜなら、取り除こうとする行為自体が、受け入れられない私という被害者意識を大きくしてしまいますが、深いレベルで(思考レベルではなく)受け入れたとき、癒しがおこり、被害者でも加害者でもない自分を感じられるからです。

怒りは、私たちにいろいろなことを教えてくれ、また、使い方によっては有益なものにもなります。怒りに振り回されるのではなく、怒りを理解し、上手に使えるようになりたいですね。

怒りから学べるもの」への18件のフィードバック

  1. ‘怒りを持った被害者意識の私——–毎日生き辛く感じているかもしれません’

    ああ、これだ、と思いました。なんだかわからないけれど、いつも感じる生き辛さ。
    いろんな本を読んでも、なんだかピンとこない。わかりそうでわからない。

    でも、この表現でストンと腑に落ちました。
    自分にとって的を得たものであると、たった一つの言葉が、パッと世界を開くのを感じますね。

    そうなんだ、とわかってほっとした気持ちと、そうか、この怒りを見つめていけば、楽になるかもしれないという希望が持てました。

    きっと多くの人が救われたと思うなぁ。

    ありがとうございました。

  2. 一度セミナーに参加したことがあるだけの者です。
    いつぞやは、案内をいただきましたので、「何か見つかるお知らせかな」と思いつつ、日を過ごし、失礼いたしました。(案内メールに一々お断り状を出すのもどんなものかと思いはしますが、セミナーでお目にかかったあゆかさんのお人柄にはそうしたくなるようなものを感じましたので)

    私は、自分にもこのお客さんと同じところがあるような気がしてます。

    『仕事で常連のお客さんよりご注文をいただいたので、それではお振込をお願いできますでしょうか、と申し上げたところ、私はいつもすぐに振り込んでるでしょう?!とお怒りになられました』
    私がこのやりとりで怒りを感じるとすれば、「お願いされたこと」に腹を立てるような気がします。
    「常連」で「いつも」の私に対して、「お願い」をされるということに、「あなたは私を分かっているはずなのに、どうしてお願いしないとしてもらえないなんて思うの?」と思うかなあ、と。

    この方にとっては、思ってもみなかった怒りで、お気の毒に思いますが。

    この頃、日本の公的機関・民間企業に関わらず、「分かってるよ!!(怒)」と言いたくなるような表現が増えたように思います。へりくだられると、かえってバカにされているような気が。(ボタンが・・・)
    もしかすると、「常連のお客さん」は、この方に「八つ当たり」したのかもしれませんね。
    身につまされて、行いや言動を点検します。

    ありがとうございました。

  3. “なぜ、私は腹が立ったのか?”と見つめてみると、
    「私はいやがらせされている」と思っている自分がいて、
    「私は人を嫌な気持ちにさせるべきではない」という思い込みが潜在意識に
    あるからなんだな、と気づきました。

    で、これを受け入れるとなると
    「私は人を嫌な気持ちにさせても良い」となります。

    最初は、?????と、疑問符が頭の中をかけめぐりました。

    腹が立っているときは、私はちゃんとやっているのに!という思いで
    いっぱいですが、「私は人を嫌な気持ちにさせても良い」という言葉が
    自分の中から出てくると、かなり落ち着きました。
    そして、自分でもわかっていながら相手を嫌な気持ちにさせてしまう言動を
    わざとすることがあるなぁと、振り返ることができました。

    そこで、そんな自分に「それでもいいよ」と言ってあげると
    「私の中には人を嫌な気持ちにさせてやりたい思いがある」ことを
    認めることができました。

    そして
    「私は、相手を嫌な気持ちにさせることがあっても良い」
    という思いを受け入れてみると、
    実際に人を嫌な気持ちにしようと行動してしまうのではなく、
    自分の心が平和になり、
    「私はいやがらせされている」と受け止めることが少なくなっていきました。

    職場の状況はあまり変わっていませんが、私の気持ちは楽です。
    あゆかさん、ブログの更新をいつもありがとうございます。

  4. 相手に死ねとか言われると、八つ当たりかもしれないけど、腹が立ちます。
    ムカついて寝れないです。穏やかに生きていきたいのに。。。

  5. あゆかさん

    世界で読まれていてすてきですね。前回、匿名でコメントさせていただいた者です。コメントの内容を取り上げていただきありがとうございます。皆様とシェアできること、感謝です。

    抑圧→投影、境界線ですか~今までもブログを読んできましたが、今回、そのあたりが、自分はまだまだ分かってなかった、と分かりました。

    怒る人と接すると、現段階では相変わらずビクビク、おどおど、動悸がして震えるかもしれませんが、それでも、知ることで、だいぶ楽になりました。

    いままで「怒られること」を避けよう、避けようとしてきました。今から「べきボタン」を触れないようにするのではなく、誰かの「べきボタン」に触れることがあっても、動悸・震えがない状態で接したいです。

    あゆかさんが仰った「深いレベルでは、「やらない自分(やりたくない自分)」がいて、その自分を自分が良くない!と強く否定しているからなんです。」というところは、「深ーい!!」と目から鱗が何枚も落ちる思いがしました。

    また、他者の「怒り」にとても反応してしまう私は、私自身、「怒り」を抑圧してるんですかね~自覚がないです、自分を深く知りたくなりました。そして私の中の「怒りを持った被害者意識の私」は、どんなだろう。

    「スピリチュアル心理学」受講したくなりました。カウンセラー養成講座も受けてみたくてたまりません。自分を知って楽になりたい、そしてこの経験を役立てたいと、なんだか熱いパワーを感じるようになってきました。ああ、なんだか本当によかった。ありがとうございます。

  6.  家族への気持ちを癒していくには、時間がかかるものなのでしょうか。
     
     あゆかさんのブログや本のおかげで、自分の感情を、解放したり、まるごと受け入れてあげたりすることができるようになりました。自分との関係も、夫や友達、周囲の人との関わり方も変わってきています。自分のことも好きになってきたし、人と接するのも楽しくなってきて、生きているのがすごく楽になりました。本当にありがとうございます。
     ただ、家族との関わりにおいては、まだ素直になれません。家族のちょっとした一言にいちいちひどく腹を立ててしまいます。ボタンだらけです。冷静になって自分の気持ちを感じてみると、悲しさやさみしさが溢れてきます。(家の事情もあって、私は昔から家族の前で超ポジティブな自分を演じてきました。本当は体がしんどくてもまだまだいけるように、泣きたくても笑顔に、辛く苦しくても前向きな言葉を、そういう自分を選んできました。そのときはそうしないと自分で自分を保てなかったのだと思います。後になって、自分が自分じゃないように思えてきて、心も体もボロボロになって初めて、本当の自分を生きよう!!と強く心に決めました)家族と話していると、「自分は疑われている」「私は信頼されていない」「本当の私を理解してくれない」「私を誤解している」「私は私ではいけない」・・・のように、書いていて悲しくなるような文章が浮かんできます。今までは家族の方が私のことをそう思っている、と思っていたのですが、私の方が家族が私に対してそう思っている、と思い込んでいるような気がしてきました。心の底には「このままの私をまるごと受け入れて。無条件でもっと愛して!!」という必死の叫びがあります。
     家族への気持ちを癒していくには、時間がかかるものなのでしょうか。時間がかかってもいいから、ゆっくり自分を癒していってあげて、家族と一緒にいて居心地がいい時間を、できるだけ多く持てるようになりたいです。

  7. あゆかさん こんにちは

    ロンドンの暴動は欲求不満や被害者意識に基づいた怒りによるものだとのことですが、どのようにしてそれが欲求不満や被害者意識に基づいたものとわかるのでしょうか?

    また逆に愛や正義に基づいて表現された場合、どのような市民運動や市民革命になるのでしょうか?私には、全くイメージできないので、是非、具体例を教えてください。過去の事例でもかまいません。

    それから、ふと思ったのですが、あゆかさんもまず、彼らの行動にマスコミ同様「暴動」というレッテルを貼り、暴動→ネガティブ→欲求不満や被害者意識と決めつけてはないでしょうか?確か、ものごとにはポジティブもネガティブもなく、全て愛のもののはずでさたよね?ただ事柄が起こっているだけで、それにポジもネガもないと…

    • コメントありがとうございます!次回か、その次にお返事させてくださいね。ちなみに、ロンドンの暴動では、どんなことが起きたかご存知ですか?

  8. あゆかさん、こんにちは
    2.3日前にコメントを投稿したのですが消えてしまったのでしょうか?
    アップしたのを確認したつもりだったのですが。。。

    • ふーこさん、こんにちは!
      「怒りの解放のしかた」の記事のほうにコメントを頂いております。とても素敵なシェアをありがとうございます!

      • あゆかさん
        古い方にコメントしてたんですね(>_<)
        失礼しました~!
        わざわざお返事いただき、ありがとうございました★
        次の更新も楽しみにしてます。頑張ってください。

  9. あゆかさん
    ありがとうございます
    楽しみにしています

    私が、暴動と呼ばれる行動に関して知っていることは、昨夏、イギリスへ旅行ニュース行きましたので、出発間際まで、行くか行かないか情報収集を行いました。ですが、それは日本語のテレビ、新聞、ネットのニュースのみで発っせられたもののみの情報です。

  10. あゆかさん
    ありがとうございます
    楽しみにしています

    私が、暴動と呼ばれる行動に関して知っていることは、昨夏、イギリスへ旅行ニュース行きましたので、出発間際まで、行くか行かないか情報収集を行いました。ですが、それは日本語のテレビ、新聞、ネットのニュースのみで発っせられたもののみの情報です。

  11. 母が認知症で物盗られ妄想がひどく、悩んでいます。あれを持って帰っただろう、これを盗っただろうとさんざん責められ、尋常ではない怒りを感じると同時に、いくら説明しても聞き入れられない絶望感や無力感に打ちのめされます。こんなことなら死んだ方がましだとすら思うこともあります。
    でも今回の記事を読んで思ったのですが、私が母の言動にそのような怒りや絶望感、無力感を感じるのは、私自身に「人の物を盗みたい」という思いがあり、それを必死に抑圧していることの裏返し、ということなのでしょうか?
    生家が商売屋で万引きの被害に遭うこともあり、何かを盗むのは絶対にいけないことだと身をもって学びながら育ったつもりでした。人の物には絶対に手を出さない、それは人間として当たり前のことだ、と思っていたつもりなのですが、本心はそうではなかった、ということでしょうか? だとすれば自分が情けなくなります・・・。

    • コメントありがとうございます!

      >私自身に「人の物を盗みたい」という思いがあり、それを必死に抑圧していることの裏返し、ということなのでしょうか?

      いいえ、違うと思いますよ。抑圧→投影のしくみは、たんに反対の思いがあるということではなく、もう少し複雑なんです。ただ、「人の物には絶対に手を出さない」という思いは鍵にはなるかと思います。

      • お返事ありがとうございます。

        私には「人の物を盗みたい」という思いはどこを探してもないはずなのに、と思っていましたが(どうしても納得できなかった)、自分を信じてもよかったのだとわかって安心しました。

        「人の物には絶対に手を出さない」という思いが鍵になるということであれば何となくわかります。これも一種の抑圧ですから。ここを掘り下げていけばいいのだと思いますが、自分の一部でもあるこの思考を守ることで自分を守っているようなところも感じられ、これを手放す=自分の歴史の否定にも感じられて抵抗が大きいです。
        あるいは、あれだけ言いつけを守ってきのに、今になって全否定するの!という思いもあるのかな。

        少し見えてきたような気もします。本当に、ありがとうございます。

  12. あゆかさん、こんにちわ。

    katzさんのコメントにあったように、今回の記事、すとんと腑に落ちました。
    怒りをもった被害者意識の自分、一番受け入れがたく、今までも色々な内観のワークをしてきたけれど、ここでいつも引っかかってしまっていました。

    去年の年末に、友人から言われた言葉にものすごい大きい怒りのエネルギーが沸いてきて(体が震えるほどでした)、価値観の違いだし、そこを「その考えは違う!」って言うのは境界線越えにもなるな、とは解っていても、どうしても「その考えは違う=あなたは間違ってる!」なんて気持ちが毎日毎日沸いてきて(今思うと半年以上!すごい無駄)それ以来その友人を含む仲間と離れて、「価値観が合わなくなったのだからしょうがない」「わたしの気持ちはまだ整理できないから、離れていた方がいい」「人の事は気にしない気にしない!」と自分を良いように納得させて(ごまかして?)いたのですが、やっぱりずっと、心に引っかかってたんですね。そしてなんだかさびしいんです。独りぼっちになっちゃって。望んでなったのに。そしてずっと、身体も不調(腰痛や頭痛、だるさなど)だったんです。

    今回の記事、そして前回とその中でリンクされていた記事を読んで、怒りのエネルギーの解放、やってみました。
    思考に気持ちを向けないで、体の感覚に集中して、体がしたい事をして・・・もう、めっちゃくっちゃ!架空の人を殴ったり蹴ったり、頭かきむしったり、首絞めたり、ほっぺつねりまくったり・・・(笑)。
    そうやってたら、「ばかにしないで!!」ってものすごい強い思いが出てきたんです!
    もうね、その人じゃなかったんです。小学生~高校生の時までに受けたいじめの相手、悔しかった思い、全部でした。なんども「ばかにしないで!ばかにしないで!!」って(無言で。幼児が隣のへやにいましたから 笑)叫んで、涙がぼろぼろぼろぼでて・・・
    そうしたら気が付いたんです。私の怒りのボタン、バカにされることでした。無価値感、っていうのかな。そして、思えば、「ほーらね、私はばかだって、みんな思ってるでしょう?」っていう現象を引き寄せてもいたんです。
    あっけに取られました。そうだったのか、って。これが私の怒りの部分、被害者意識の部分だったのかって、少し気が付く事が出来ました。
    きっとまたこの「怒りをもった被害者意識の自分」ちゃん、出てくるだろうけど、いままでとは少し違って受け止める事ができそうな希望ができました。
    いつもいつもいつも!ありがとうございます!!!

    • コメントありがとうございます! おぉ!素晴らしいですね。なにが素晴らしいかというと、体から潜在意識の声「ばかにしないで!」が出てきて、そして被害者意識の自分に出会ったことです。そのうち被害者意識の自分ちゃんをハグしてあげられるようになると、いいですね♪

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