真の私は、ポジティブやネガティブを超えたもの

日本料理っておいしい~!繊細で、素材への愛を感じますね。あぁ~あ(イギリスへ戻るときに出るため息)

さて、今回もコメントにお返事いたします!下記のコメントです。ありがとうございます。

たとえば、親しい人が体調や何かの理由で不機嫌になっていて、自分に普段より冷たい態度をとったり、通路に立っていると見ず知らずのおじさんから「邪魔だばかやろう、」と突然怒鳴られたりすると、私は、ああ、不機嫌なのね、とか邪魔だったのね、と最初は平静でいようと思いながらも、相手に対して自分まで不機嫌になったり、怒りが込み上げてきたりします。怒りに対して怒りで返す、というか…。(攻撃された、と不当に扱われた、という思い込み?)また時には、そういうことを引き起こした自分がだめなのだとがっかりしたりします。そういうことも、解釈が違うというか相手に振り回されている状態、ということでしょうか。あゆかさんのおっしゃるように自分の中の恐れ(ネガティブな感情)を癒せば自分で自分が楽になる解釈を見つけられる、解釈するまでもなく動じずにいられる、ということでしょうか。

とてもけな気な感じが伝わってきますね。まず、心理学とかスピリチュアルとか関係なく、シンプルに考えてみましょう。誰かに「ばか野郎!」と言われたら、たいていは腹が立つものでしょう。「約束をキャンセルしたい」は攻撃ではありませんが、「ばかやろう」は攻撃です。当たり前の感情を抑圧したり、当たり前の感情が出てくるのを良くないと思ってしまったりしなくて大丈夫ですよ~。

ただ、もし、「邪魔だばかやろう」と言われて、家に帰っても悔しくて、落ち込んで、「私はいつも人から不当に扱われる」と思って苦しむようでしたら、そこには何か見るべき過去の心の傷があるかと思います。

でも、“不愉快なおやじだ!(怒)”と思って、数分後ぐらいには違うことを考えていたら、何も問題はありませんね。または、“私は馬鹿ではありません!!あっかんべ~!”ぐらい言い返しても言いわけです。一番良いのは、その場ですっきりしてしまうことです。

下手に抑圧してしまうと、変な形で出たり(相手に嫌味っぽくなったり)、感情が倍増したりしてしまいます。とにかくそれで苦しんでいない限り、ネガティブな感情が出てくることは、なんの問題もありません。

ただ、もし自分の中に不安が大きければ、「邪魔だばかやろう」とどなったおじさんは、いつどこにいるかもしれない自分を攻撃する怖い人に見えるかもしれません。しかし、自分に力がある、私は大丈夫だと思っていれば、そのおじさんは、「面倒なやつ」ぐらいにしか見えないでしょう。

そういう意味では、恐れが少ないほうが生きるのはやはり楽です。

さて、自分がネガティブだから、または精神性が高くないから、そういう人を引き寄せると考える人もそれなりに多いようです。なぜか日本には、こういった考えが浸透しているようですが、「良い出来事があった=精神性が高い、嫌な出来事があった=精神性が低い」というほど、ものごと単純じゃないでしょう。ので、自分を責める必要はないですね。

また、精神性が高いとはどんな状態なのでしょうか? ネガティブな感情をいつも持たないこと?すべての人をいつも愛すること?感謝の気持ちでいつも暮らすこと? 「いつも」を連発しましたが、なぜなら、私たちが何かを目指すとき、たいてい「いつも」それをやることを目指してしまいます。しかし、それは不可能です。そして、真のスピリチュアルは、「いつも平静でいること」、「いつもポジティブでいること」といったことを求めません。

じゃぁ誰が一体それを求めているのでしょう? 神のような存在? いえ、無条件の存在が、そんな条件をつけつけてきませんね。そうです。それを求めているのは、エゴなんですね。エゴは、良い、悪いとか、高い、低いといった判断をし、価値にこだわることが大好きです。愛はすべてを包みますが、エゴは判断をします。自分がいつも精神性が高いかどうかなどを、見張っているんです。

しかし、真のスピリチュアルは、そういったエゴの枠を超えた状態、ポジティブとかネガティブとかに影響されない状態、真の私たちの姿(覚醒した意識)がありますよ、と指し示してくれるものです。

念のため、エゴというのは、「あの人はエゴが強いね」という意味のエゴではなく、「私は、~~(名前など)です」といった「自分」という思いです。そして、「私とあなた」、「私と社会」というように自分を周囲と分離した存在としてみている限り、必ず恐れベースになります。

「個」である自分がは生き残る必要が出てきますから、食べていく不安とそして自分が価値があるかどうかという不安が出てきます。つまり、「私は精神性が高いだろうか、ちゃんとアセンションできるだろうか」(サバイバル不安)、「私は神様に受け入れられる良い人だろうか」(価値不安)などなど。

また、周囲と分離していると思っているエゴは、自分は脅かされる可能性があると思っています。なので、自分が攻撃されたと感じれば、怒りが出てきます。怒りは、自分の何かが脅かされたときに出てくるものです。

なので、「自分」という思いがある限り、必ず恐れがあり、そのためいつも平静でいるとか、または、いつも100%ポジティブでいるというのは不可能なんですね。

ただ、愛へ向かうことは、やはり大切な鍵だと思います。なぜなら、それが「正しいこと」だからでも、「良いこと」だからでもなく、それが「真の私たちの姿」に近いからです。

愛へ向かうとは、エゴの厳しい判断や恐れから解放されていくということです。

覚醒した意識からすれば、怒りなど、どの感情も移り変わっていく幻想です。そこに良いとか悪いとか、波動が低いとか高いとか、やたら意味を見出しません。

そして真の私たちは、そういたものにまったく影響を受けない存在です。

明日は、大阪セミナーです! 皆さんにお会いできるのをとても楽しみにしております!ちなみに、覚醒した意識とか覚醒体験は、自分の日常とあまり関係ないと思っている方もいらっしゃるようですが、生きることのもっとも根本に関わることかと思います。当日でも受け付けますので、ブログを読んで思い立った方、そのまま会場にいらしてくださいね~!

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真の私は、ポジティブやネガティブを超えたもの」への16件のフィードバック

  1.  あゆかさん、こんばんは。
    先週末スピリチュアル心理学上級講座に参加しました。
    初級の時も中級の時も「抑圧→投影」について学んだはずでしたが、今回ようやく自分のこととして理解が深まった気がしています。
     震災があって、経済的に不安が生じて、気がつけば悪口を言う場に魅力を感じたり、ネガティブな気持ちを何とかポジティブにもっていこうと思ってもやはり不安は頭をもたげ・・・「投影」を意識することなどこ吹く風の毎日でした。
     今回3日間の講座から帰ってきて、じわじわと安心感が心に広がって来ています。今回あゆかさんは「覚醒した意識」についてとても強調されていたように思います。たとえ話がとてもわかりやすかったです。「覚醒した意識」の理解こそが、「投影」を自分のこととして考えられるようになるために私には必要であったと思いました。どんなに社会的に正しそうに見えてもやっぱりそれは自分の都合(投影)、ということがわかってきました。
     そして「投影だ」と気付いても別に怒りを感じてていいんだ、「投影」だから我慢するんじゃあなくて、それじゃあどうしようか、怒りを表現しようかやめておこうか、とか選べばいいんだ、とわかりました。
     講座の最後に、あゆかさんが力強く、「何があっても本当に本当に大丈夫なんです!」と言ってくださった言葉がとても心に残っています。ありがとうございました。

  2. こんばんは、あゆかさん。
    今回の記事で矛盾を感じてしまうので質問いたします。
    本当の自分が、エゴの枠やネガティブ、ポジティブというものに影響されないとのこと。一方で、100%何があっても平静でいられることはない、このこととは両立しないように思えます。
    思考にとらわれてしまうのが人間であるのに、本当の私たちは思考に影響されない存在だから落胆する必要はないと説くのは現実的に可能でしょうか。
    是非お聞きしたいと思います。

    • コメントをありがとうございます!

      疑問を持つことはとても良いことですね。それは、真剣に考えている証拠で、真実への扉になりますので、私もはりきって(?)お返事させてください。

      エゴの意味をおそらく、ちょっと違う意味で考えていらっしゃるのだと思います。エゴとは、自分という思いです。「私がエゴの枠を超えたら、私が真の自分になって・・・」と考えていれば、まだエゴの枠の中です。この意識は、エゴの意識なので、いつも平静でいるというのは不可能でしょう。

      でも、私の存在自体が幻想で、ほんとうは私は存在していなくて、この体も、私の感情や思いも幻想で、「私はいない」(分離の思いがなくなる)という意識になったとき、すべては幻想とはっきり知覚しているので、何事にも影響を受けないことも、はっきり分かります。これが、覚醒した意識、真の私たちの姿です。

      セミナーでは、この二つの違いや、じゃぁ、日常生活ではどういうことになるの?というお話をさせてください。

      • あゆかさん、早速のお返事をありがとうございます。
        覚醒した意識である場合の、日常生活では、どのような感覚や認識になるのか、是非知りたいので、このブログでも触れていただくと嬉しいです。
        私の場合、思考は脳を過ぎ去っていく幻想という感覚はあるのですが、「他人に認められ褒められたら、自分は素晴らしい。自分にOKだせる」という感覚、相手に支配されているような、相手が自分より上にいるような感覚に悩みます。頭では嘘だとわかっているのですが、感情が敏感に反応します。これもやはり、心の傷が癒されきってはいないからでしょうか。しかも、影響されないためには時間が必要なのでしょうか?再び筆問になってしまいました。どこかでお教えいただけると助かります。

  3. あゆかさん、前回の記事のコメントで、長くブログを読んでいるけれど今でもあゆかさんの真意はこうだったのかと目を見開かされる思いがする、と書いた者ですが、今回もまさにそうでした。

    これまで、ちょっとでもネガティブな感情が湧いてきたらそれを何とかしなければならない(←ねばならない ^^;)と捉えていました。

    ネガティブな感情を持つのが間違っているからではなくて、自分を苦しめる感情だから、という理解でもありました。

    でもあゆかさんの真意はそうじゃなかったんですね。

    同じネガティブな感情でも一過性のもの(5分もすれば忘れてしまうようなもの)は何も問題がないし、心の中で悪態をついても全然OKなんですね。

    ほんのちょっとでもそういう自分でいることはやはりまだ癒されていない何かがあって、そういう意味で問題なのだと捉えていました。

    最近は心の中で一瞬だけど積極的に悪態をつくことが多くなっていて、これってどうなんだろう、今まで抑圧していた自分の気持ちに素直になってきているってことかしら、こんな自分を野放しにしていてもいいのかしら、これは本当の自己愛かしら、真の自己愛であれば一瞬悪態をつきたくなるような場面でも穏やかにやり過ごせるのではないかしら(なぜなら本の一瞬であれ不快な気持ちになるのだから)、と思っていたのですが、少なくとも今はこれでOKなんだなと理解することにします。

    間違っていたら教えてくださいね。

  4. バジルさん、講座のレポートをありがとうございます。

    >講座の最後に、あゆかさんが力強く、「何があっても本当に本当に大丈夫なんです!」と言ってくださった言葉がとても心に残っています

    ヨーロッパの危機やら、日本の経済の不安やら、頭で理解していても何かと心配のタネが尽きない昨今ですから、あゆかさんの強いメッセージを聞かせていただいて、また少し勇気が湧いて来ました。感謝です。

    昨日、通りがけに街の一等地に御殿のような家を建築しているのを見かけました。今の日本では、雇用の不足や生活の不安に泣く人がいる一方で、驚くほど高額の消費行動ができる人もたくさんいます。全ては幻想なのだろうけど、ただ物事の捉え方だけでこんなに差が出るのかな、ほんとかな。。。と思いながら、通り過ぎたところでした。

  5. あゆかさん こんにちは。
    東京での1日セミナー、とてもおもしろかったです!!スピリチュアルレベルと個人レベルでの視点や解決法を聞き、
    今まで色んな本を読んでいて混乱していた部分が溶けました☆

    毎回のブログもとても楽しく、また身につきながら読ませていただいております。

    数年かけて読ませていただき、初級講座も受けてなお出てきた疑問があるので質問させてください。
    (東京講座のときに手を挙げそびれました…)

    「思い込みは複数・違う問題で重なるか」ということなのですが、
    私は自分のしたいことを仕事にしよう!と会社を辞めて独立しました。
    自分のお店(アロマサロンです。)のメニューや企画を考えているときは本当にワクワク♪なのですが、
    お客様が来ません。(0人ではなく、少ない。自分の理想とする数に満たない。売り上げも理想と違う。)
    メニューの料金も自分で決めているのですが、
    この「ハートの声に耳を傾けて動いているのに、現実?希望?が伴わない状態。」というのは
    お金・自分の技術・自己愛の何かに不安やブロックがあるのでしょうか?
    その場合、どこから探っていけばよいのでしょうか。
    自分では、「会社を辞めたら安定はなくなるかもしれないけど、
    自分のやりたいことを(ハートの声、と思ってます。)を大事にしよう!」と思い取り組んでいます。
    また、具体的にもHPの修正やチラシ、技術研修なども(自分的には)現実的に働きかけているのですが。
    『ハートの声に耳を傾けたのに、現実が理想と伴わない状態』って、
    何が原因なのでしょうか。
    このサロンが回るようになるのが願いなのですが、どこからワークすれば良いのでしょうか。

    もし、よろしかったら、もし、よろしかったらブログで取り上げていただけると嬉しいデス。

    A/K

    • ANさんのコメントを読んで思い出しました。
      私も『ハートの声に耳を傾けたのに、現実が理想と伴わない状態』って、何故なんだろう?って思ったし、今でも自分が期待したように物事が進まない時は(よくあります)そう思います。

      で、私にはそういう時によむ、お気に入りのお話があります♪
      「私は神と悪魔とともにいた」
      前の楽天ブログ「ヒーリング・カウンセラー溝口あゆかイギリスだより」2010年10月21日の記事です。(なぜかURLが貼り付けられません~。読みたい方はぜひ検索してみて!)

      ANさんのコメントをきっかけに、また読み返しました。
      私もぼちぼちがんばりま~す。

  6. あゆかさん、こんにちは。
    今日大阪のセミナーに参加させていただいた者です。
    覚醒した意識の話、とてもおもしろかったです。セミナーに参加する前は、正直覚醒した意識なんて自分の生活には関係がなさそうと思ってあまり興味がなかったんですが、大海・小波の話、全ては幻想であるという話をうかがって、自分が大変だと思っていたことも実はそうではないんだと思えて少し楽になりました。

    とはいえ、まだエゴの思いに振り回されている私ですので、ここで質問させてください。
    境界線についてセミナーでお話されていましたが、これについては私もあゆかさんの著書などで自分なりに理解してきたつもりです。
    それで私と母のことなのですが、私は無意識に自分のことより母の期待や願望にこたえたいという思いがあることに気がつきました。でもそれはハートトークに従っていないということに気づき、最近はハートトークに従って、母の事よりも自分の思いを通すようにしており、それによって母ががっかりしたとしても、それは母の問題なのでそれを私が解決する必要はないということは頭では理解できます。
    ただそれをすることによってどうしても罪悪感がおこるのを抑えることができません。
    ハートトークに従っているのに、罪悪感があるので、どうしてもすっきりした気持ちになれないのです。
    どうしたらこの罪悪感をなくすことができるでしょうか。
    何かヒントを頂けたら幸いです。

  7. あゆかさん、個別のコメントを書くつもりが、間違ってコメントの返信をANさんにつけてしまいました。
    (これはあゆかさんが読者の方に使われていましたよね?読者でもいいのかしら?)
    不適切でしたら削除してくださいませ。
    お手数かけて申し訳ありません。

  8. あゆかさん こんにちは

    沸いてきたきた感情の処理方法を決める目安が分かりません。

    例えば今、私は職場の男性に片思いをしていて
    いちいち嫉妬してしまうのですが(心の飢え?)

    嫉妬してしまった瞬間、

    「ああ、この気持ちもいつか無くなるのね・・・」
    と、見つめる(流す)

    「くっそ〜、どうして私とは遊んでくれないの〜ムキムキ〜(怒)」
    と、味わいつくす

    「まあ、あの愛しい人が生きてるだけで良かったよね、ラッキー」
    と、良かったことにしてしまう

    「自分の心の飢えを教えてくれているサインなんだわ」
    と、掘り下げる

    さあ、どれ!!アタックチャンス!!

    といった感じで、どうしていいのか分かりません・・・

  9. いつもお勉強させて頂いてマス。ありがとうございます☆
    ガンガジのサイトものぞいてみました。心を静かにしなさい、と。私の立場とか無くしなさい静かにしなさい、と。そしたらそこに平静がありました。あゆかさんのおっしゃる通り、”私”が私ぢゃなくても、ここに”ある”のがすごいなと思いました。ここから色んな感情やエネルギーが湧いたり引っ込んだり、してる気がする、湧いたものにしがみつくから苦しくなっていたのかと。。
    ところで、この”ある”状態が愛なの?でもどうして”ある”の??どうしてエネルギーを湧かせる源があるの??それとも違うから分からないの??と思ってコメントしました。
    よろしくお願いします☆いつもありがとございます☆

  10. あゆかさんありがとうございました。
    考えてみると、ポジティブでいようとすることはいいことだから、
    これはエゴではない、と勝手に思い込んでいて、それが
    ポジティブでいなければならない、という思いになっていることや
    そもそもいい悪いで決めていることに気付きませんでした。
    以前ブログでエゴは巧妙だという話をされていて、まさにそれだと
    思いました。自分では気づかなかったです。お話を聞けてよかったです。

    >下手に抑圧してしまうと、変な形で出たり(相手に嫌味っぽくなったり)、
    感情が倍増したりしてしまいます。←これはもうズバリその通りでした!
    いつもどんな時も心が平安な状態でいたい、というのが近頃の私の
    願いで、でもそれが、脅かすものはあってはならないという恐れになっていて、
    親しい人の不機嫌もあってはならないと決めてしまっていたのだと思います。
    >真のスピリチュアルは、「いつも平静でいること」、「いつもポジティブでいること」
    といったことを求めません。
    すみません、引用させていただきましたが、この言葉にとてもホッとしました。
    真の私について…まだ分かっていないと思うので今後もブログや本楽しみにしています。

  11. エネルギーヴァンパイアについて教えて下さい。

    どんな人がそうなんでしょうか?

    自分がヴァンパイアになってないか?また、自分が被害にあってるのか心配です。どうやったら、わかりますか?

    また、お風呂に入らないで寝ると、そうなるなったり、古い物(中古品)がネガティブなエネルギーを持ってたりしますか?

    • コメントありがとうございます!昔の記事をお読みなったのかもしれませんね。エネルギー・バンパイアとは、他者に危害を与えるとか、被害を受けるといった話ではまったくありません。

      たとえば、誰かと一緒にいて、その人が“私の話を聞いて、聞いて”という感じで、ずっと話を聴かされたりすると、疲れませんか? そういったことです。よくある普通のことです。

      なぜ、そんなにネガティブなエネルギーを怖がるのかということを見つめてみたほうが、どれにネガティブなエネルギーがあるかを探すより、きっと役に立つかと思いますよ。

  12. あゆかさん
    ありがとうございます

    何故、ネガティブを恐れるのか?
    それは、私の周囲には、人が全くいないからです。親、兄弟、家族、友人。毎日、誰とも話すこともない。
    私は多くの人が人間関係でする依存が嫌いで、(相手の思うような人間になるよう、また相手の要求を満たすことを)要求されるが嫌いで、相手にも要求していないつもりです。大抵本音で生きています。法律をおかさなければ基本、好きなようにしていいと思っています。

    親が望むような世間体の人間になることを拒否するたび、ののしられ、兄弟のなかで疎まれており、口を開けば自分をののしる言葉と喧嘩。
    友人も一人もいず、職場で仕事上最低限必要なこと以外は誰とも口をきかない毎日です。

    やりたく無い事などを自分を偽ってやったり、心にもないことを言って、陰で文句言ったり、別のところで人に投影して不満ぶつけている人達が、それなりに友達や家族等周りにいる。

    私は相手にはっきりと何か要求したりしていません。自分でやっています。なのに周りに誰もいないんです。だから記事を読んで、きっと、私はネガティブ・吸取りエネルギーを出してるから、誰も寄ってこず、一人なんだと思いました。そして、あまりに、一人過ぎて何の為に生きているのかわからないんです。これと言って、こだわりや趣味、好きな物・事、仕事もなく。ただただ、得た命を繋ぐため、働き、食べて、寝る。

    一人なのは、ネガティブエネルギーのせいなのでしょうか?私には、わけがわかりません。

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