ありのままの自分ってどれがありのままの自分?

ヨーロッパの経済危機が、日本でもけっこう報じられていますね。イギリスのある新聞が、ギリシャの経済問題を「ギリシャの悲劇」という見出しで書いていたのが、笑えました。

さて、お返事したいご質問がいくつもあり、迷ったのですが、セミナーでもご質問の多い、人間関係を取り上げることにいたしました。下記のコメントです。コメントありがとうございます! 2回コメントを頂いたのを削除してつなげました。

前に「ドアマット」な人について書かれていましたが、自分のありのままに暮らし、ありのままの相手を受け止めていると、気がつくといつも人に「ドアマット」にされてしまう人はどうしたらいいですか?

たった今もまた、、、「ドアマット」です。旧知の人が、数日前から突然、繰り返し電話をしてくるようになりました。そのたびに、私は100%の真心で愛情(友情)で対応しました。何度も食事に行こうというので、その知人の言うとおりの時間と場所で今日はランチをすることになっていました。私は段取りをして、約束の時間に電話が来るのを待っていました。そして、電話がありました。その知人の飼い犬のヘアカットの時間の都合で、今日のランチの約束は一方的にキャンセルされました。私の何が相手にそのように私を扱わせるのでしょう?「愛」の観念からすると、私はこのように自分を大切にしてくれない人に対して、どのように対応すればいいのでしょう? 私はいつも無防備に相手を信頼し、愛を差し出し、結果的に都合のいいように扱われてしまっています。

ここにはたくさんの要素が入っているのですが、一番の問題は、「なぜドアマットにされるのか?」ではなく、「なぜドアマットにされたと解釈してしまうのか?」です。

ここに起きていることは、「知人が食事に行きたいと言った→OKした→それがキャンセルになった」ということだけなんです。日常的によくある出来事ですね。それがなぜ、「自分を大切にしてくれない」「都合の良いように扱われている」という思いになるのかが、ここでは一番のポイントなんです。

なぜなら、このように物事を見て、このように解釈している限り、自分が楽になる(人生が変わる)ことはちょっと難しいでしょう。

さてまず、ありのままと「そのまま」は大きく違います。「友人の言うとおりにする」は、ありのままではなく、「そのまま」です。友人の望むことを「そのまま」受け入れることは、ありのままを受け入れているということではありません。

これは、人の言いなりになっているだけで、自分がない状態になってしまいます。

「ありのまま」とは、自分の思いこみ、判断、考え、偏見、などなど思考がない状態で見えるものが、「ありのまま」です。

私たちは、自分に対していろいろな思いを抱いていますね。「私は、人と違っている」「私は、仕事が遅い」、「私は、太っている」、「私は、会社で優秀な社員だ」、「私は、二児の母だ」などなど。

こういった自分に対するいろいろな思いがない状態で、自分を見たとき、何が残るでしょうか? 自分に対する思いがぜんぶなくなっても、自分はまだいますね。それが「ありのままの自分」です。同じように「ありのままの他者」は、その人に対する自分の思いが一切ない状態のときに、見えてくるものです。

ちょっと、自分に対する思い(ポジティブであれ、ネガティブであれ)から一切解放されたとイメージしてみませんか? 怖いでしょうか? それとも、無限の自由を感じるでしょうか? それとも、心からリラックスできるでしょうか?

ありのまま生きるとは、そういった状態で生きていることです。で、私も含めて、ほとんどの人にとって難しいことです。

ですから、ありのままに生きるとは「自分が思うまま」(←自分の思考に振り回される)、「相手が望むまま」(←相手に振り回される)にするという意味では、まったくありません。

さて、ランチの話に戻りますが、ここで大切なことは、「その知人とランチをしたかったのか?」ですね。もし、したくないけど、相手の言う通りにすることが、相手をありのまま受け入れることで、それが愛だと思っていたのであれば、それは残念ながら愛じゃないんです。

ちょっときついかもしれませんが、それは、自分の真の気持ちを偽っているという意味で、自分に対して不正直で、相手にも「嫌だ」という思いではなく、「良いよ」という嘘の思いを伝えているという意味で不正直なんです。

しかし、もし、ランチを一緒に食べたかったのであれば、「相手のためにしてあげたこと」ではないので、キャンセルされて残念かもしれませんが、大切にしてくれないという思いは出てこないでしょう。

愛とは自然に出てくるもので、頑張ったり、無理して実行するものではありませんね。自分の中に愛がたくさんあれば、それは勝手に自然にわいてきます。でも、自分の中に不安や恐れが多かったら、愛よりも被害者意識の思いのほうが沸いてくるでしょう。

何度も繰り返しますが、恐れや不安をたくさん抱えていることは、「悪い」とか「間違っている」とか、「精神性が低い」とかそういうことではまったくありません。そうである理由が必ずあるので、癒したり、解放したりしてあげればよいだけです。

話を再び戻して、私たちが誰かを「あの人のこんなところが嫌だ」、「あの人はこんなふうに素晴らしい」と見ているとき、それは100%自分の好みを話しているだけです。自分にとってその人の嫌な部分は、他の人にとっては、良い部分になるかもしれません。

もし誰かに、「あゆかさんの詰めの甘いいい加減なところが嫌なんですけど、そんなあなたもまるごと受け入れます」と言われたとしても、あまり嬉しくないかもしれません。

いろいろな人が、私に対していろいろな解釈をし、「その人バージョンの私」がたくさんいるのを想像すると、「私は一体何人いるのだ!」という思いになってきますね。で、どの人のバージョンがほんとうの「ありのままの私」なのでしょう? そうです。どの人も自分の思いを通して見ているだけで、「ありのままの私」は見えていないんです。

ですから、たいていの場合、私たちが「その人をありのまま受け入れよう」としているとき、受け入れようとしているのは、相手ではなく、「その人に対する自分の解釈、判断」です。

ということでポイントは、

● ありのまま」と「そのまま」は違う。

● 自分が解釈や判断をしている限り、ありのままは見えない。

● 自分の中の恐れ(ネガティブな感情)を癒せば、解釈が変わる→人間関係が楽になる。

それでは、今週末はスピリチュアル心理学上級講座です。スピ心理学を知る人を増やしたい!と思っていますので、来年の基礎講座にはぜひご参加ください! 今月19日の大阪セミナーまだ募集中です。

宜しかったら下記をぜひクリックしてください!↓↓↓

人気ブログランキングへ

ありのままの自分ってどれがありのままの自分?」への11件のフィードバック

  1. >友人の望むことを「そのまま」受け入れることは、ありのままを受け入れているということではありません。

    >これは、人の言いなりになっているだけで、自分がない状態になってしまいます。

    私はここに大きく反応しました。ずっとこの勘違いを実践していたからです。自我を捨て、相手に何を言われても、何をされてもすべて無で受け入れるのが「愛」なのだ、そうできないのは自分が傲慢だからなのだ、と必死になって思い込もうとしていました。そうしないと自分は生きていけないから・・・、生きていていいと認めてもらえないから・・・、と思って。

    長くあゆかさんのブログを読んでいますが、やはり文字情報の限界なのでしょう、今でも「あゆかさんはこういう意味でおっしゃっていたのか!」と目を見開かされることがたびたびあります。あゆかさんの真意を知りたいなと思いながらブログを読み続けていますが、途中で嫌にならないのは、あゆかさんの温かさが伝わってくるからだと思います。

    私もあゆかさんのようになりたい、なろうと思います。

  2. いい質問にいい答えだなぁ・・と思いました。私にはこういう質問がかけないけれど、読んでみると同じような状況があることに気がつきました。解放すれば「なんだか疲れる」がグッと減るのですね。もっと知りたいと思います。これからも楽しみに読みますね。

  3. >一番の問題は、「なぜドアマットにされるのか?」ではなく、「なぜドアマットにされたと解釈してしまうのか?」です。

    自分に照らし合わせてみても、まったくその通り!!と思います。
    (私のパターンは「ドアマット」というか、また違うものの気もします)

    相手に不愉快な思いを「させられた」と思っていても、そこには自分の解釈が入っているんですよね。
    本当は気が進まないなら断ってもいいのに、それを引き受ける「べき」と思っているから、自分で苦しくなっちゃうのでしょうかね。

    >受け入れようとしているのは、相手ではなく、「その人に対する自分の解釈、判断」
    というのも納得です。

    スピリチュアル心理学を学んでからだと思いますが、相手への思いは自分の投影と知って、むしろ好きになれない人がいても気が楽になりました。
    私が好きになれなくても、それは私の限られた解釈がそうなだけであって、もちろん他の人からは違うものが見えているし、私の思いがそうであるからといって、そもそもその人を損なうものではまったくない。
    自分の見方が限定されているのだという前提があるおかげで、自分の感情、好き嫌いも判断なく尊重できて、とても気が楽になります。
    (好きになれない何かには私の「ボタン」があるのかもしれませんが!)

    いよいよ明日はスピリチュアル心理学上級ですね!
    この半年間、とっても楽しみにしていました♪
    3日間どうぞよろしくお願い致します。

  4. いつもためになるお話をありがとうございます。
    今回の内容はつい先日、自分も同じようなことがあって、友達とは何?!と悶々としていたところに、明るい光を与えてもらったように思います。
    私は、ときどき困っている相手を助けてあげたい、なんて思って、「相手のために」なにかをすることがありますが、それって、最終的には「やったことに対して感謝してもらえる」ことを無意識に皮算用してる部分があったなぁ、と一つ気づきました。なので、相談者の方と同じで、キャンセルされたりなどした場合には、がっかりするし、相手に対してなんか不満というか、怒りを持ったりしていました。
    相手をすくうことで、自分もすくわれたい、って思っていたのが、エゴだったのかな。と今はそう感じます。
    あと、たまたまそういう風にすれ違ってしまうときは、自分の気と相手の気が合ってないタイミングなんだろうな、とも解釈しています。
    いつか、お互いの気が釣り合ったときに出会ったら、もっと楽しい時間が過ごせるかもしれないですよね。
    そう思って、しばらくその友人とは距離を置いています。

  5. あゆかさんこんばんは。
    ありのままについて私も思うことがあった最近なので、いい話でした。

    私がありのままの自分や他人を想像する時、まったく『無』という感じがします。
    この『無』の状態から、愛するとか、愛が湧いてくるとか、全然わかりません。
    ただただ無なのでそこから進まない感じです。

  6. >自分の中に不安や恐れが多かったら、愛よりも被害者意識の思いのほうが沸いてくるでしょう。
    そうである理由が必ずあるので、癒したり、解放したりしてあげればよいだけです。
    ⇒このコメントに、とてもほっとしました。今日、他人の影響を受けるダメダメな自分を感じてしまいました。
      人は多面的でどこを見るかは他人の見方だから、解釈に責任を持たなくていい。自分が苦しかったら
      その元になっている感情を開放すればいい。

    あゆかさんのお陰で、重い気持ちが軽くなりました。
    それから5日のセミナーも良かったです!腑に落ちたり、目からウロコの一日でした

  7. あゆかさん、今日はどうもありがとうございました。
    スピリチュアル心理学初日を受けたばかりですが、面白いです~!!
    2008年だったか、池袋で基礎講座を受けたときは上のクラスはロンドンでしか受けられなかったので、こうして東京で受けることができ、とても嬉しいです。

    中級までも実践的で役に立ち、とてもよかったのですが(思い込みをいっぱい見つけられました)、上級はまた全然違う感じでいいですね!中級までは幸せになる方法とすると、上級は幸せって何だっけ?みたいな‥。
    私にとっては世界の成り立ちがひっくり返るような、聞いてびっくりすることだらけですが、この考え方があるから基礎編があるのだと、振返ると納得です。
    今日聞いたことはまだアタマにしみこんでいないので、腑に落ちるには時間が必要な感じです。
    あゆかさんの覚醒体験も興味津々でしたので、そのお話も聞けて嬉しかったです。

    そういえば、あゆかさんがいつも書かれているように「すべては幻想」でも、まだそれを実感するには至っていませんが、人間としての体験ができてとても幸せです♪飼い猫と遊んでいるとき、これがリアルなうそでもバーチャルでも、この体験を味わえて幸せ~と心から思います。
    もうちょっと「うその世界」に遊んでいたい気もします☆

  8. あゆかさんいつもありがとうございます。
    セミナー、来年は行きたいです!

    今回のテーマとずれてしまっていたら申し訳ないですが、
    たとえば、親しい人が体調や何かの理由で不機嫌になっていて、
    自分に普段より冷たい態度をとったり、通路に立っていると見ず知らずのおじさんから
    「邪魔だばかやろう、」と突然怒鳴られたりすると、私は
    ああ、不機嫌なのね、とか邪魔だったのね、と最初は平静でいようと思いながらも、
    相手に対して自分まで不機嫌になったり、怒りが込み上げてきたりします。
    怒りに対して怒りで返す、というか…。(攻撃された、と不当に扱われた、という思い込み?)
    また時には、そういうことを引き起こした自分がだめなのだとがっかりしたりします。
    そういうことも、解釈が違うというか相手に振り回されている状態、ということでしょうか。
    あゆかさんのおっしゃるように自分の中の恐れ(ネガティブな感情)を癒せば
    自分で自分が楽になる解釈を見つけられる、解釈するまでもなく動じずにいられる、
    ということでしょうか。

  9. ご回答くださり、ありがとうございました。
    「ありのまま」は「そのまま」ではない、というお言葉が一番、心に響きました。

    人間関係がある限り、相手の態度や言葉に自分が不愉快になることが発生します。その場限りや浅い付き合いの人間関係であれば、相手のありのままを見て、ただ傍観する(流す)こともできます。
    しかし、ある程度の近い関係で、またそれが繰り返される可能性があれば、「私はあなたが私にするその態度や言葉に傷つきます、悲しいです」と言った方が、自分を大切にしていることになると私は思っていました。実は傷ついているのに、嫌なのに、相手にいい顔をしていることも、相手に対して嘘をつき不誠実な態度になりますし、相手は私の気持ちを知らないで、やっていることかもしれません。
    そして自分の気持ちを言った結果、それで相手が態度を変えてくれるか、もしくは自分から去っていくかは相手の自由だと思っていました。

    ところが先日、「私にその言葉を使わないでください。私にはその言葉は辛いです。」と言うと、「私(相手)を変えようするな!」とひどく怒られました。そして、「あなたは理想の人物を思い描いて、私(相手)に当てはめているのではないか。」と言われました。

    相手の行為で自分が楽しくないとき、悲しいとき、何と言って相手に表現したらうまくいくのか、分からなくなりました。しかし、「そのまま」に相手を受け入れていたら、自分がどんどん苦しくなります。
    でも、自分の気持ちを言うことは相手を変えようとしている、コントロールしようとしていることに、やっぱりなるのでしょうか?

  10. こんにちは、
    次回心理学セミナーは、東日本以外での開催希望です。
    理由はかなり放射性物質に汚染されているからです。
    初級から通いたいですが、被曝が怖く申し込みは諦めました
    東京から疎開する人達がいるなか、やはり躊躇してしまいます。ご検討頂ければ幸いです。
    今回の大阪セミナーは、覚醒体験が何かひっかかり、参加しない事にしました。
    基本的なお話しの方をじっくり聞きたくて(^_^;)
    また次回お会い出来るのを楽しみにしています。

  11. ピンバック: 知識を体験に変えていこう! | Care of the Soul “魂のケア”

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中