正反対のことが、両方とも真実?

日本の台風被害は、イギリスではほとんど報道されていませんが、被害がかなり大きいようですね。自然がそんなことしないことは重々承知の上、つい「あぁ、もうこれ以上日本をいじめないで~」とかつい思ってしまいます。

さて、今回もコメントへお返事させていただきます。下記のコメントです。ありがとうございます!(長かったので多少省略しました。)

わたしはあゆかさんのすすめられている神との対話や引き寄せの法則を読んでから、これらの本にかかれている教えてを信じていました。ですが最近ガンガジの動画をみたり調べたりするようになって、全く違ったことがいわれていてびっくりしています。<省略>・・・・(ガンガジは)物語を捨てなさいと言っています。でも物語はセラピーやカウンセリングにかかせないことですよね? ガンガジの師パパジは、「私を捨てなさい」と言っています。でも引き寄せの法則では、私はこうしますとか、私というフレーズが最も強力な力をもっているっていってましたよね。それにガンガジは、私とは何者かを考えることが私たちを邪魔してるといいますが、神との対話では私とは何者か?を定義するために生きているとかいてありました。まだまだあるんですがこういう対極の意見って一体どういうことなのでしょうか?

大変良いご質問ですね。とりあえず、私が理解していることは、こうです、という形でお返事を書かせてくださいね。「この世が幻想ってどういうこと?」という記事にも書きましたが、私たちが現実だと思っている世界は、エネルギーが移り変わっていくバーチャルリアリティの世界です。

私たちが、こうしたい、ああしたいと思っていることは、すべてこの移り変わるバーチャルリアリティの世界での話です。この世界では、「私は~だ」という思いを持てば、それがコマンドとなり、エネルギーが方向づけられ、それが自分の体験として現れ出てきます。バーチャルリアリティの世界が作られた理由が、「あらゆることを経験する」ことであれば、そこでなにを自分は体験したいのか、自分が何者でありたいのか?ということは、とても大切なことになります。

たとえば、“私は犠牲者だ”と思っていたら、自分が犠牲者だと思えてしまう体験をするでしょう。または、“私は優れている”と思っていれば、同じように自分が優れていると感じられる体験をします。思える、感じられると書いたのは、実際にそうかどうかは、また別の話だからです。

また、「私はこの荒地を緑の多い公園にするのだ!」と強く思い、行動すれば、どんな不毛な土地でも必ず緑豊かな土地になるでしょう。また反対に、「私は、~~で、だから~~できない」と宣言していれば(強く思っていれば)、できない、なにも起きないという現実を作り上げますね。これは、説明するまでもなく、皆さんよくご存知ですね。

ですから、私たちが「どんな自分」を体験したいのか、そしてどんなことを経験したいのかを決めるのに、「私は~だ」とか「私は、~~する」という思いはとても大切なわけです。

さて、しかし、これはすべてバーチャルリアリティの世界のなかの話です。この世界でどんなに幸せでも、移り変わるという幻想の法則のため、それは長続きはしません。どんな幸せの絶頂の出来事でも、いつかは消え去っていきます。同じレベルの幸福感が永遠に続くということは、まずないでしょう。

そこで、もし、あなたがバーチャルリアリティの移り変わる世界、幸せと不幸せ、喜びと苦しみを繰り返すといった輪から抜け出したかったら、ガンガジが言っているように「私について考えること」は、その妨げとなりますね。なぜなら、「私」という意識がシフトして、覚醒した意識(=「私」がいなくなること)になることで、永遠に不変不滅の愛の状態を知ることができるのに、自分について考えていたら、それは不可能です。

セラピーやカウンセリングは、バーチャルリアリティの世界で、できるだけ快適に過ごすために必要なものです。また、引き寄せの法則などに書かれていることは、バーチャルリアリティの世界で、どれだけどんな体験をするか、ということに大切なことですね。

わずかな時間でしたが、私が覚醒意識の状態でいたとき、自分は宇宙であり、すべてであるということが、はっきりと知覚されました。そして、バーチャルリアリティの世界(この世)で起きていることに、自分はまったく影響されないということもはっきり認知できました。(ここで、言葉の限界があるのですが、「自分」という言葉を使っていますが、私個人を指しているのではありません。私は存在しないんです。)

多くの人は、この世で幸せをつかむことが一番の関心事です。で、もちろん、それはとても意味あることですし、多いに幸せを追求すると良いと思います。私も、自分なりの幸せを実現しつつ、生きていますし、自分が何を体験できるかと考えると、ワクワクします。しかし、同時に「これは楽しいゲームであって、しがみつくものではない」とはっきり認識しています。

私たちの苦しみの多くは、夢が実現しないとか、現状を変化させたいのに、できないといったことから生まれてきます。そんなときもし、この世だけが現実だと思っていたら、かなり苦しいだろうと思うのです。

また、この世はゲームだと分かっていると、恐れがうんと減ってきます。肩の力を抜いて、リラックスしながら、最大に自分のやりたいことをやれば良いじゃんと思えてきますね。

そういう意味で、もし、「自分は真理の追究より、とりあえずこの世の幸せの追求でいいや」とあなたが思っていたとしても、頭の片隅にでも、「これは楽しいゲーム」と覚えておいて損はないでしょう。

さて、私が書いていることや、またいろいろな本に書かれていることを、そのままただ信じるのではなく、一つ一つ自分で試してみて、経験し、ほんとうにそうなのかを確かめていくと良いかもしれません。

また、神聖な二律背反という言葉があるように、正反対のことが両方真実であることもよくあります。例えば「人は自由である」「人は自由ではない」といった場合、両方とも真実だといえますね。

なにか信じられものを見つけて、それを基準にして生きていくのではなく、いろいろな教えを参考にしながら、自分の中で真実の基準を作っていくと良いかなと思います。他者の言葉ではなく、自分の言葉で生きる指針を作っていくことで、いろいろな教えや情報に振り回されることなく、歩んでいけるでしょう。

さて、♦ お知らせ ♦です!

母なる地球「ガイア」からのメッセージというページをアップしました。→★

これは、アメリカ人女性のペッパー・ルイスさんという方が、地球の意識体からのメッセージをチャネリングしたものです。実は、何年も前から参考にしていたのですが、英語を訳す時間と根気がなく、ご紹介しておりませんでした。現在、幻冬舎さんと日本の読者さんに発信する、日本語版出版を目指して、活動しております。本の形式は、基本的にQ&A形式となります。そこで!皆さんからもガイアに質問したいことを募集したいと思いました。

「地球について」「魂について」「生きることについて」「宇宙について」「日本について」「原発について」「地震について」「日常生活について」などなど、地球に聞いてみたい素朴な質問、基礎的な質問、難しい質問などなど、他にもなんでもOKです。まずは、ぜひメッセージをお読み頂きください。

宜しければ、ぜひ下記をクリックしてください!↓↓↓

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正反対のことが、両方とも真実?」への5件のフィードバック

  1. この世が幻想ということが、いまひとつわからなくてもやもやしています。
    ここ数日のうちに決めなければならないことがあります。そのことはずっと私の祈りの中にありました。今それが実現するときなのかもしれないと思う一方で、どう考えても(現実的には)私の願っていることが叶うことにエゴが信用させてくれません。瞑想していたら、「それは向こうからやってきます。状況の方が勝手に変わってくれます」というようなメッセージがありました。ところが、頭は「行動しないと間に合わない」とせかしてきて、今現在何の方向性も示されていない、何をしたらいいのか、何から始めたらいいのかわからなくて、私は焦りの境地にいます。私はただ意識としてこの状況をただ見守ればいいのでしょうか?恐れと自分の信念の狭間で泣きたいぐらいつらいです。

  2. 昨日匿名でコメントを残したものです。
    今日過去のブログを読んでみました(まだずべて読み終えたわけではありませんが)。
    ハートトークに従うか、エゴトークに従うかっていうことなんですね?
    時間という期限がある中で、ハートトークに従う難しさを感じています。どうしても自分でなんとかしなくちゃって思ってしまう(信じきることができない)自分の弱さを感じます。
    でも、これも結局は「幻想」なんですよね?

  3.  こんにちは。いつも楽しく拝読させて頂いています。
     私は「この世が幻想であることを知りながら、幻想を上手く使いながら生きる」というようなことを、漠然とですが頭で理解しています。頭で理解しているだけで体感できていない(=実感がない)ので、結局わかっていないことになるのですが、なんとか体感したいと思っています。突き詰めればあゆかさんのおっしゃる「不変不滅の愛の状態」を経験したいということなのかなと思うのですが・・・。

     最近、結局のところ「どの考え(行動)も正解はない」のかなと思いはじめています。1人1人の考え方や行動(選択)だけがその人にとって「正解」であって、他人の考えや行動は「自分の選択の参考になる」だけで「正解」の基準は全員1人1人が違う。だから「正解」の基準は自分自身で決めるしかないのかなと(意味通じますか?)。

     「正解」も「ゴール」もなくて「自分自身が基準」であるとするならば、自分が「そうありたい方向」にきちんと進めているか確認(体感)したいと思ってしまうことについてどう思われますか?これはあゆかさんに質問なのかガイアに質問なのか、自分でもよくわからないのですが・・・。

    長文になってしまい、すみません。よろしくお願いします。

  4. いつもブログをみさせていただき参考にさせていただいてます、ありがとうございます。
    私なりに過去のブログで現在の私の悩みと似通ったものを探したのですが、見つけることが
    できず初めて質問させていただきます。

    現在の私の悩みは職場の同僚についてです。
    私の所属している部署は私と彼女含めて2人だけです、2人とも派遣のようなもので上司も常にいるわけではなくほとんど彼女と2人っきりです、部屋には10人ほどの人がいますが、同じ部署にいるのは2人で机を並べています。
    その彼女との関係がうまくいきません、私から見た彼女はひどい言い方だとは分かっていますが、「ボンクラ」に見えて仕方がないのです、その上性格も悪いように思ってしまい、外見も決して美しくはなくメイクもしておらず、食事の食べ方も汚く(見えてしまってるだけなのかわかりませんが)、彼女がしゃがんだ時に背中側から思いっきり背中とパンツが見えてしまっておまけにそれに血がついていたためドン引きしてしまい、おどおどしている割に厚かましいと思っており、ほとんどアレルギーのようになってしまって、目を合わすのも辛く意識しないとまともに目も合わせなくなってしまいました。

    しかしながら仕事は嫌でも一緒にしなくてはいけないのですが、遠ざけようという意識が働くせいか私の方がぱぱっと仕事をいろいろしてできるだけ関わらないおうにいるつもりなのですが、彼女は金魚のフンのように後からまとわりつくように仕事をする為逆によけいややこしくなり正直迷惑な状態なのです。
    彼女がした仕事に関して嫌いで言うわけではないのですが、本当にまとまりがないので「わかりずらい」というようなことを何度か指摘するのですが、以前にかなりキレてきついことを言ったことがあります。

    これも私の感じたことですが、正直彼女に対して不気味な恐怖すらかんじています、彼女の印象として
    は口数が少ない・自己主張は一見ないが、プライド高そう・口調は控えめだが自分への評価をかなり欲している・おなかの中で何を考えているかわからない。
    嫌でも毎日会わないといけない職場での2人っきりの関係ではどういった気持で彼女と接するとよいのでしょうか。
    彼女を傷つけたくないですが、私ははっきりとものを言ってしまうため限界がきたら言ってしまいそうでそれが怖いのです。
    自分の中でこの環境から学ぶことを理解し消化したいのですが・・・・半年近く考えていますが、みつかりません、ぜひ教えてください。

  5. あゆかさん、こんにちは。
    人生半分生きてきて、人の価値観はさまざまであると感じます。

    以前の職場では、私がぜんぜんたいしたことない、と思っている技能に嫉妬して、いじめをしてきた先輩がいました。「??」という気持ちでした。

    転職して、今の職場ではもっとがんばって技能を伸ばしたら?という先輩がいます。時間がないのに、無理して能力を伸ばすつもりはないです、と言うと、人生あきらめてはいけない、といわれます。

    両先輩、なんでそんなに技能にこだわるんでしょうか。
    技能が伸びてこそ、幸せになれるんでしょうか。
    そもそも、がんばって、がんばって幸せにならなければならないほど、今の彼女たちは不幸に見えないんですけど。。。。

    人は自分の価値観に振り回されて苦しんでいるように思えるのですが、価値観にこだわることがなくなると、何を基準にして生きていったらいいかわからなくなる気もします。

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