プチ悟り体験

皆さん、コメントやご質問ありがとうございます。実は私が一番好きなトピックなので、とても嬉しいです。ということで、今回もこのトピックでいってしまいます。

あゆかさんこんばんは今見えているものや、体験していること全てが幻想だとすると、すご~く楽になる反面、とっても幸せを感じた経験や大好きな人たちも幻想だと思うと、さみしく、悲しくなって来ます。このさみしいとか悲しいという思いは何なのでしょうか?また、わたしたちはそういった事象を観察するだけ、自分の感情を観察するだけということですよね。それらのことを手に入れることは出来ないのでしょうか。せめて今世だけでも(笑) 本当に理解出来たとき、さみしくなくなりますか?

私は、悟りがなんであるのかが、皆目検討がついていなかった昔から「悟り」ということにとても興味があり、またとても憧れてきました。その思いは、数年前パリへ旅行へ行ったときにさらに強くなったのです。

パリの街はとてもかわいらしく、ロンドンとは違う建物の優雅さに道を歩きながら、私はうっとりしていました。そして、こんな素敵な建物のペントハウスなんかに住めたら最高だなぁと夢想していたのです。それはとても楽しい夢想でしたが、突然、“そういう楽しい体験は今まで無数にしてきた”という声が私の中から聞こえてきたのです。

それは、私の中の一部が私に語り変えてきたような感覚でした。そしてそのとき、確かに私は前世も含めたら、きっとものすごく幸せだったことはたくさんあったに違いないと思いました。そう思ったとき、幸せだったり、不幸せだったりをぐるぐる繰り返しているのは、もうなんかいいやと強く思ったのです。

そこで、ロンドンに戻ってから、友人のチャネラーの岩野さんのところへ行き、私の守護霊さまに“どうしたら執着を手放して悟れるのか?”といったような質問をしてみました。返ってきた答えは、“まず、きちんと欲を持つことが大切。ちゃんと持たないものを手放すことはできない。”というものでした。

悟りたい!と意気込んでいた私は、なんだか道のりが長い感じがし、がっかりしてしまいました。しかし、言われてみれば、例えばお金に対して、もっと欲しいという気持ちがすごくあるのに、どこかでそんな欲はもっていてはいけないと思っている自分もいて、確かに言われる通りだと納得したのです。

が、やはりガンガジのセミナーなどへ行くと、いいなぁ~、あんなふうになりたいなぁ~と憧れがむくむくと出てき、私の悟り探求は細々と続いていました。

それからまた数年が経ったある日、アディアシャンティという覚醒したマスターの瞑想の本を読んでいました。そして、そのあと本に書いてあったように瞑想ししていたところ、強い悲しみがこみ上げてきたのです。このコメントの方と同じ悲しみだと思います。

なぜだろう?と思い、その悲しみに集中していると、「覚醒して悟ってしまったら、私が大切にしている人たちや私が実現したいと思っている夢もぜんぶあきらめなければいけない。それは悲しい」というものでした。そのとき、私は、ぐるぐるしているのは嫌だとか意識上では思いながら、深いところでは、自分はまだ幻想にしがみついていたんだなぁと実感したのです。

そして、頭では幻想だと理解しているのに、心がまだまだ~!夢を捨てられない~!と叫んでいるのを感じ、そこで心の叫びに対して、“あなた(夢)を捨てることは決してしないから。私の大切なものだから、安心して”とイメージのなかで抱きしめてあげ、その日は終わりました。

また、同時に私が悟りたいと思っている理由は、単に苦しみを感じたくなかっただけで、真理を体験したいからじゃないのだ、ということもはっきり分かったのです。苦しい幻想はいらないけど、楽しい幻想は持っていたいみたないな。

それからまたそれなりの月日がたち、とある普通の日の近所のカフェからの帰り道でした。私は突然にいわゆる覚醒体験(悟り体験)をしたのです。それは意識の完全なシフトでした。その体験については新刊本に書きましたが、発売前ですので、ちょっとここでは書けません。ごめんなさい。ともかく、体験は4時間あまり続き、その後意識がだんだん普通の状態に戻っていきました。

アディアシャンティによると、多くの悟りの体験は自発的に勝手に起き、また、短い臨時的なものが多いということです。私の場合もまさにその通りでした。短い体験でしたが、一番最初にはっきり知覚されたことは、“私はなに一つしていなかった。すべては幻想で、私はそれを見ていただけだった”という意識でした。

周りを見回すと、すべてはあるがままにあって、椅子は一度も、自分のことを椅子ですと主張したことはなかったことにはっきり気づきました。すべては、思考がレッテルを貼っていただけで、本来はただすべて愛から生まれ、愛へ消えていっているだけでした。

しかし、もうすっかりエゴの意識に戻ってしまったので、私は覚醒したマスターではありません。覚醒したマスターは、覚醒した意識に留まっている人たちです。

そして、覚醒体験をしてみて、私が思っていたり、イメージしていたものとまったく違っていたこともよく分かりました。エゴの意識で思い描くことは、どうしても限界があることも分かりました。ただ、思っていた通りだったことは、すべては愛のエネルギーの化身だということです。

ですからもちろん、事象も愛のエネルギーの現われで、例えば“夢が実現しなかった”という事象も、愛の現われなんです。それが実感できたとき、私は実現しなかった夢に深い愛と感謝の気持ちがこみ上げてきました。

夢が実現する、夢が実現しない、この事象を観察者は、深い愛の意識と喜びのなかで眺めることができます。それは、エゴの意識がどう変わろうと変わらない意識です。そして、観察者は同時に体験者です。ここに分離は一切ありません。

エゴの意識に戻った今、また、私のエゴは欲しいものリストを掲げています。また、ここは大きな誤算だったのですが、エゴの意識に戻った後、エゴの勢いが以前よりも増し、怒り、悲しみといった感情を以前のように蓋をすることができなくなってしまったのです。

欲やネガティブな感情を強く感じながら、それでも、同時に“それはぜんぶ愛だね”という声と、“それは一つの思考にすぎない”という声も大きく響いています。

しかし、頭で分かっているのと、体験して知覚するのとでは、言葉にならないほどの違いがあることもよ~く分かりました。、そういう意味で前よりも一層、頭だけで理解して、スピリチュアルな教えを無理に実行しようとしないことに心がけています。

話をコメントの内容に戻して、エゴが手に入れたいと思っているものは、もちろんエゴは手に入れることができます。(そこに矛盾した思いなどがなければ) しかし、それはまたいつか消えてなくなりますね。エゴの世界では、どんな楽しいこともやがて過去の思い出になり、そしてそれすらもなくなります。

とはいえ、エゴの欲を満たしてあげるのは、決して悪いことではありません。私がやっているカウンセリングもあう意味エゴの思いを満たしてあげることです。その過程で、癒しが行われたり、自分の中に愛が増えたりしますから、結局は愛の意識に近づけます。

ただ、多くの人は、エゴの思いが満たされることが究極の幸せだと思っているでしょう。私のエゴが悲しくなったように、エゴが幸せを感じることは、エゴにとってとても大切なことです。大切なだけに、私たちの意識は、エゴの幸せに集中してしまい、神(覚醒した意識=真の自分)が持っている真の幸せ(愛)を見失ってしまいます。

頭の理解から体験の理解にするには、何時間もの瞑想、修行、精神性の向上、ポジティブ思考などもまったく必要ありません。なにか一つの「気づき」が自発的な覚醒体験を引き起こすしてくれるでしょう。ただその気づきは、全身を打つような大きな気づきのはずです。これに関しては、またいつか書かせてください。または、セミナーでもお話ししたいと思います。次回は、また通常通り(?)頂いたご相談にお返事いたします!

宜しければぜひ下記をクリックしてください!↓↓↓

人気ブログランキングへ

プチ悟り体験」への13件のフィードバック

  1. 単に苦しみたくなかった
    苦しみから逃れるために・・・
    真実を求めていた
    でも それはたんなるエゴのひとつに過ぎなかった
    そしてそれは 苦しみと反対の幸せを感じるためのもの
    ということでしょうか?
    いま エゴちゃんがすごくおしゃべりしています
    最近 怒りを出しまくっていました
    すごい開放感でした
    ところが だんだん 人に勝ちたい自分に気づいたのです
    話をしているとつい勝ちたくなる 上にいたくなる
    でも それって 楽しくないのです
    そういえば 人といて楽しいことってあまりないんです
    優越感ではなく 人と楽しく過ごせるようになりたい
    どうしていいかわからないです

  2. あゆかさんの今回のお話を読んでカラ、すぐ宝探しゲームが思い浮かびました。自分で絵に描いてみたら、自分は地球の外側から地球とゆう愛を体験する冒険に出るために用意された場所にて、私はさまざま障害やアイテムに当たりますがそれ全部の人生が実は宝物につながってるもので、その様々にぶち当たるものに対して、これゎどのようにして愛とゆう宝に結びつくのかと紐解いてゆく、それがいわゆるワクワクなのかな、そしてその宝探しの場所の地球のステージが今度あがっても、またそこであがったなりの宝探しの体験ができるのかなと思いました。全部愛からきているとゆうのを読んでそう思いました。私はそうならば、障害の紐解きゎきっと悲しみが伴っているので、アイテムに当たったときより難しく感じるかもしれないケド、必ず紐解いていこうと思いました。ありがとうございました。

  3. 真理を知りたいのは
    苦しみから逃れたいためでした 私。
    エゴのせいで苦しむのに そこから逃れたいのもエゴの仕事なんですよね
    最近 怒りで抑えていた自分を解放していたら とんでもない自分が出てきました。人となんか楽しみたくない自分です。人に勝ちたい自分です。人を押さえつけたい自分です。愛などどこにも見えません。こんな自分も 愛を持ち合わせているのでしょうか?

  4. あゆかさんこんにちは。いつもありがとうございます。
    自分を癒し、解放していくと自然とハートの声を聞くようにして過ごすことがかなり多くなりました。
    そして今の仕事先についてハートが望んでいないと聞こえています。それもかなり大きい声で。
    私は元々やりたいと思ってる事があり、でも収入はゼロだし家賃払うためにその仕事をしています。ハートにこれからどうしたい?と尋ねると、そのやりたかった事をしたい!したい!と言ってきて、でも収入はどうする?どうやって生活して行く?収入得られる方法で何があるかな?と聞いても…聞こえません。
    やりたかった事をしたい!やるんだ!
    とだけ言ってるように聞こえるのです。
    あゆかさん、こんな時どうすればいいと思いますか?

  5. すみません途中で送信してしまいました。
    ハートって細かい(と私は思ってる)事には答えてくれないものでしょうか?
    やりたい事がすっ飛びすぎていて、急にそんな無茶な〜って思っています。
    生活はどうすれば…とか沢山の恐れ不安も出てきて、7:3の7はまぁ自分でやると決めて来た事なんだから絶対こっちをやれば良いんだ!焦らない焦らない。きっと上手く流れるから生活もなんとかなるように流れるさ。いよいよやりたい事をやる流れになったんだ☆と思い、3は大丈夫?怖いよ〜。仕事もイヤだし生活出来なくなるんじゃない?などなど常に声を掛けて来ます。
    ハートの声を信じます、もうそれは決めました。でもこの状態をどう過ごせばいいでしょうか?私はハートの声をすっ飛ばして聞いてしまっているのでしょうか。

  6. こんにちは!今回のお話…真実なんだろうなぁと素直に思うのですが、全くピンとこない自分がちょっと悲しいです。解放までの道は遠いんだなって。20年ちょいしか生きてない若輩者なので、死にたい位苦しむのは仕方ないんでしょうかね…八方塞がりが何年も続いてて、辛いです。これからもスピリチュアルなお話、楽しみにしてます!

  7. こんにちは。あゆかさん、教えてください。私も今丁度人生の転機にあると思っています。ついに長年決めかねていた退職を決行しました。かつては公務員ですが組織に属することや仕事そのものや人間関係にストレスを感じていたのですが、今年に入ってからは、それが消失しました。仕事に大きな喜びはないのですが、やれないことはない、そして仕事仲間も好きでした。賃労働をするには悪くないのですが、ある人から別の仕事の提案を受けたり、フリーで自分の好きなことで仕事を作り出す人に出会えたことで、一気に決断しました。以来、不思議な気持ちです。「次の稼ぎ先が決まっていないのに、なんて無謀な決断なんだ。自分は自分を不幸にしてしまう…」といった自責や諦めの気持ちで、激しい感情が涙と一緒に込み上げてくるときもある。一方で「これから自分の世界を創り上げるんだ、どんな出会いがあるかな」と解放感に満ちる時とがあり、行ったり来たりしています。こういう状態は、「一人で生きていけない、自分を信じきれない、自分は愚かだ」という思考と愛とが両方ある感じがします。だけれど、エゴにいる時に、本当に取り返しがつかないことをしたと身体が震える程に怖いです。こういう時はどんな風に対処してみるとよいのでしょうか?

  8. こんにちは、あゆかさん。いつもブログ拝見しています。
    このブログだけでも大きな気付きを得られることができました。
    ありがとうございます!

    いままでのブログをあらためて読み返してみて、今どうしても知りたいことがあります。
    私は自分のことを「私は犠牲者」だと思っていたことを最近気がつきました。
    母子家庭で育ったのですが、飲み物をこぼすなど、少しの失敗に対して母はよくヒステリーをおこして激しく私たち兄弟を怒りました。その怒るさまがあまりに激しく恐ろしく、殴ったりなどもあり、また何を言ってもただ感情に任せて怒鳴りつけるだけなので、わたしはいつしか「何を言っても無駄だ」というあきらめがものすごく早い人間になりました。(母は悪いことをしたら謝ろうなど人として基本的なことはまったく教えてくれませんでした)
    私は内向的で人と目をあわすのも大変な子供だったので、教師やほかの大人もどちらかといえば私のことなど相手にしてくれなかったので(そのわりに怒られることは多かったですが)
    このように悲劇のヒロインのような、自分かわいそう人間となり、周りを全員自分を傷つけるだけの敵だと思ってものすごく攻撃的で不信感にあふれた人間形成になりました。
    周りの人間に過剰反応し、生理的に嫌な男性が近づいてきたときなどは、背筋がぞっとする嫌悪感で一月くらいその感情を引きずることもしばしばです。

    今とても過去をを癒やして人生をよくしたいと望み、色々な本を読んだりセミナーに出たり勉強をしているのですが、何かいまひとつ、自分の犠牲者感を消せるだけの癒やしや大きな物が足りないなと感じています。
    これから周りのことなど気にせず、自己愛を増やして本当の自分を生きるために必要なこと、教えやエクササイズなどありましたら教えてくださるととても助かり、嬉しいです。
    ぜひぜひどうかお願いします!

    • むむさん 私もずっと母が私を受け入れてくれなかったと思い生きてきました。最近 被害者意識の強い私に気付き 自己愛を増やしているところです。一緒に 頑張りましょう^^

  9. あゆかさんこんにちは!
    今回のお話もとても面白かったです!
    こういうお話好きなので、また時々していただけたら嬉しいです♪

    自分を癒すために始めたスピリチュアルですが、
    人間の存在の根本や真理って何だろう?という
    子供の頃からの興味を探求出来るジャンルでも
    あるから惹かれたのかな~なんて最近気が付きました。
    その中でも、人の心の仕組みに重きを置いたあゆかさんの
    お話やメソッドは、とてもすんなり入ってきます。

    覚醒体験のお話も載ってるんですね、新刊楽しみです!

  10. すばらしい体験のシェアをありがとうございました。
    深い体験を、こんな風に具体的に書いていただけると、何だかとても身近に感じるようでワクワクしてきます。
    私も18歳の頃からずっと「悟る」ということに憧れを抱いていまして、当時強く感銘を受けた神父様から洗礼を受けたのですが、その時は高揚感ベースの至福に包まれており、今から思えば「悟り」とは程遠いものではありましたが、深い愛の匂いは確かに感じていました。

    今、私は色々な本から気づきを得たり学びを続けたこともあり、以前よりずっと楽になりました。気づけば多くのことに恵まれており、ただただ、日々は嬉しく楽しいことばかり。
    苦しいことは、もちろんあるのですが、霧のようにすぐ晴れて無くなるものばかりで、今まで生きてきた中で
    今でも、ガンガジを見ると「いいなぁ~、あんな風になれたら・・・」と思います。

    あゆかさんが書かれているのを読むとハッすることの連続です。
    そう、私も「苦しい幻想は嫌だけど、楽しい幻想なら持っていたい」のだなぁ・・・と耳が痛かったです。

    覚醒したマスターは、覚醒状態にずっと留まっている・・・なるほど、そんな感じなのですね。
    このあたりの、その、悟ることやエゴに戻ってしまうこと、覚醒状態に留まり続けること・・・このあたりのことを、もっと詳しく色々な例を知りたいです。
    お勧めの本があれば、今後もご紹介を宜しくお願い致します。

    大きな気づきが、覚醒体験を自発的に引き起こす・・・ドキドキします。ぜひぜひ!続きのお話を伺いたいです。セミナーにも行きます。楽しみにしています☆☆☆☆☆

  11. あゆかさん、すごくおもしろかったです!ありがとうございます!!
    私が最近一番興味を持っていたトピックで、新刊が一層楽しみになりました!発売はいつ頃ですか?
    セミナーなどでお話聴けるのも楽しみにしてます〜

  12. あゆかさん、こんにちは。
    この世は幻想と知りつつ、感情を味わいつくすんだ、と思ってみたら、この世がとてもいとおしいものに思えて来ました…

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中