無理して愛さない、許さない

イギリスもやっと少し夏らしくなってきました!私は先々月からローフードを試しています。けっこういろいろなお野菜が生でおいしく食べられますね。

さて、今回もコメントにお返事させていただきます。コメントをありがとうございます!

何度もモラ夫を許し、見捨てずに愛情を持って接してきたつもりです。確かに自分は変わり、強くなったと実感します。けれど、変わると言ったモラ夫は60万の借金を持って帰ってきました。実際はもっとあるでしょう。自分を愛して信じても状況は変わりません。一緒に生活している以上、借金が気にならないわけにもいきません。兄弟をどこまで赦し続けたら、神は良しとしてくれるんだろう。。。他人は鏡?自分の心はそこまで傷ついてるの?余計に苦しいです。

もし相手を真に愛し、受け入れ、許していれば、相手が変わることは望まないはずです。それが許し愛するという意味ですから。で、もし相手に変わって欲しいなら、相手にはっきりノーと意思表示をすることが必要ですね。自分がやっていることは許されると思っていたら、なぜ変わる必要があるでしょうか?

なんとなく、私はここにスピリチュアルの弊害を見てしまいます。たぶん、ここで起きていることは、本当は相手がやっていることは嫌だけど(許していない)、許してあげることにすれば、相手は愛を感じて、変わってくれるかもしれない・・・ということです。(間違っていたら大変ごめんなさい!)

だとしたら、これは愛ではなくて、我慢ですね。ですから、とても苦しくなります。

スピリチュアルの弊害と書いたのは、スピリチュアル系の本に、許しが大切、あるがままに受け止めることが大切とよく書いてありますね。それは本当にその通りです。しかし、問題は、それを頭でそれを実行しようとしてしまう人がけっこう出てきてしまうことです。

まず、真の愛は確かに無条件ですべてを許します。これは真実です。なぜなら、この世で起きていることは、すべて幻想だとはっきり分かっているからです。夢の中で誰かに殺されたとしても、その人を殺人者だ~!と思わないですね。

なので、この神の視点から見ると、そこには加害者、被害者という分離もありません。同じ一つの根源から生まれた私たちは、みなつながっているわけですから、この意味で加害者も被害者も結局は自分です。

ただ、これは覚醒した意識(神の意識)の話です。これを頭で理解しているのではなく、意識が普段の意識から完全に覚醒した意識にシフトし(悟り)、知覚、体感として理解したときに初めて分かることでしょう。

普段の私たちは人間というエゴの意識で暮らしています。自分が、エゴの状態であることをしっかり認識せずに、スピリチュアルな本に書いてある神の意識を実践しようとすると、無理があるので苦しさが増してくるでしょう。

とはいえ、エゴの状態である私たちが、神の意識を思い出すルートはやはり愛です。愛は、私たちを解放し、力を与え、真実に導いてくれます。

さて、モラ夫が人を大切に扱わず、借金をしていることをOKと許してしまうことは、ほんとうに彼を真実に導いてくれるでしょうか? なんでもかんでも許すことが、ほんとうにその人にとって良いことでしょうか?

また、自分をきちんと扱われない状態にいつまでも置いておくことは、ほんとうに自分を愛している状態でしょうか?

ちょっと話はそれますが、英語に「ドアマット」という言い方があります。この意味は、なんでもいいよ~と許してしまうことで、みんなからドアマットのように踏まれてしまうという意味です。私は、ドアマットだったとか、彼女はドアマットのようだとか言ったりします。

このコメントの方がそうだと言う訳ではありませんよ。ただ、なんでも許してしまうことでドアマットになりがちだということです。で、ドアマットに欠けていることは、「もうこんな状況は自分になんの役にも立たない!私は私のことがとても大切だから、こんな状況は終わりにする!」と自分のために立ち上がることですね。

これが真に自己愛がある姿で、自分自身が中心にある状態です。ですから、実際には相手に強い態度でノーと言うことになるでしょう。

そしてまた自分をもっと深く見つめて見ることも必要かなと思います。例えば、自分を大切にしてくれない人と一緒にいたい真の理由はなにでしょう? または、自分を大切にしてくれない人がいつか変わってくれて、自分を大切にしてくれるだろうと望んでいる真の理由はなんでしょう?

この問いを見つめたときに、自分の中の癒されてない傷が見えてくるでしょう。もしかすると、父親が支配的で自分勝手だったかもしれません。幼い自分が、お父さんが変わって、優しくしてくれたら、私は愛される価値があると思えると無意識に感じたかもしれません。

または、何らかの理由で「私はとてもダメな人間だから、ひどく扱われるのは当然だ」と深いレベルで思っているかもしれません。

もしくは、自分の中にナルシズム的な要素があり、それを強く抑圧しているかもしれません。そうすると、誰か自分の変わりにそれをしてくれる人が必要になってきます。

答えは、たいてい潜在意識のなかにあります。ですので、もう少し深いレベルで見つめてみることが必要かもしれません。

もし、自分の中に相手に対して「そんなことをして欲しくない!」という思いがあれば、許し愛する前に、その声をちゃんと聞いてあげてみましょう。自分の思いをまっすぐ受け止めてあげることも自己愛ですね。

それが愛なのか、愛のフリをした我慢なのか、それは自分が楽になり、エネルギーが沸いてきたか、それとも、苦しく疲弊してきたかで分かりますね。

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無理して愛さない、許さない」への5件のフィードバック

  1. スピリチュアルの弊害、周囲を見ててよくわかります。逆に自分を苦しめている人が多く、ひどい場合は、臨床心理士などの専門家にもっと早くうちに来てくれれば・・というケースが後を絶たないようです。
    スピリチュアルに傾倒している方や、心理学オタクのような方(失礼!)は、よく他人に許すべきだと言うのですが、何を以って許しとするかが、曖昧のようです。
    「許した気分になるのと、実際に相手の手を取り許すのは違う、あなたの言う許しとは、具体的にどのようなこと?」と、聞いてしまったことがあるのですが、彼らはそこを突かれると非常に痛いようで、悪い事をしてしまいました。許しを説く多くの方もまた(実感としては)手探りなのではないでしょうか。
    相談者の方が許せるには、何が必要か?許せるよう頑張ることなのか?というと、私も違うと思っています。今は、許せなくていい(先のことはわからない)。いずれにしても、順序があり、自分自身の生活や心身の安心・安全を確保してからの話ではないでしょうか。生活が脅かされ、迷惑を被ってる状態で、相手を許すことを考えるのは非常につらいこととお察しします。
    ならば、「許せないと感じてる自分を許す」ことを考えるほうが、いくらか現実的かと思います。また、「常識的・社会的に考えても、いけないことはいけないと相手に伝える」ことは、自分を許す手助けになる行動だと思いますが、いかがでしょうか?もしかしたら、自分を許す事が一番難しいのかもしれませんけれど、同じ頑張るなら、こちらの方が救われそうな気がします。

  2. こんにちは。
    スピリチュアルの弊害、よく分かります。というのも私自身がその弊害ゆえ、PTSDにまでなってしまったからです。長年のモラハラをなんとか解決したいと思い、スピリチュアルに走りました。ありとあらゆるスピリチュアル本を読み漁り、実践し、でも相手のモラハラ(私の場合は産みの母親でしたので虐待でしょうか?)の勢いは増すばかり。

    愛という名において、相手を許せば許すほど、相手を優しさで包み込もうとすればするほど、相手の態度や暴言が酷くなり、恐怖のあまり相手の声を聞くだけで震えが止まらなくなるほどになってしまいました。結果、心理カウンセラーのお世話になったわです。その相手を自分の人生から切り離し、自分の人生と精神的自由を手に入れはじめたとき、突然パニック障害が始まりました。 記憶障害、性格の凶暴化、自分が壊れていく・・・って怖かったです。そこから元の体の状態に戻るのにほぼ3年。スピリチュアルなんかに出会わなければ、最初にモラハラ(虐待)の被害者として自覚することから始めることができたなら、どれほど自分の人生が有意義に過ごせたことでしょう?相手は自分の鏡?それはその関係がある程度の健康さを保ってこそ生きるアドバイスでしょう。ですが、モラハラ、虐待、相手が抱える心理的問題が非常に病的な場合は、まったく無意味です。

    人の心の成り立ちとスピリチュアルをうまく融合させたあゆかさんの処方箋は素晴らしいと思います。本当にそう思います。

  3. いつもおもしろいです。はぁ・・なるほど・・と思います。私も他の本などを読んでも、愛、許し、とあって、ピンとこない・・と思いつつも一生懸命となえたりしていました。コメントは読まないのですが、どの方の質問にも自分にも関係する時があるので、いろんな質問に答えていただいてうれしいです。

  4. あゆかさん、二番目にコメントを残しているみどりです。

    そういえば、きちっと結末をお伝えした方がいいな、と思いましたので、またコメントすることにしました。
    そのPTSDから回復するまでの3年間、完全に母親との接触を断ちました。なんといっても、恐怖で震えちゃうわけですから、そこから完全に離れることが大事だと思ったのです。最後に、直接話すのも怖かったので、これまでの自分の思いを伝える手紙を送りました。本当に傷ついていることと、相手も虐待をするような人間になってしまった原因となる心の傷を癒してほしいこと、それからでないと、私達は本当の親子にはなれないと。

    そして今、私達はお互いに距離をうまく保ちながらうまくやっています。
    まさかこんな日がくるとは思っていませんでした。
    今の私は、随分と彼女を人として信じられるようになりましたし、きっと相手も同じだと思います。

    たくさんの時間をかけて、ちゃんとHAPPY ENDになっていることをお知らせしますね^^

    だからこそ思うのです、あゆかさんのスピリチュアル心理学は素晴らしいと思います。
    私が出会った数々のヒーリングの中で、一番、偏りがなく温かみにもあふれていて良いと思います。 ずっと応援していますね^^

  5. あゆかさん
    初めてコメントさせていただきます。いつもブログを読ませていただいています。

    まず、真の愛は確かに無条件ですべてを許します。これは真実です。なぜなら、この世で起きていることは、すべて幻想だとはっきり分かっているからです。

    勉強不足でお恥ずかしいのですがこの部分の幻想という意味がよく分かりません。この世で起きていることがすべて幻想だとはどのように捕らえてらよいのでしょうか?
    それについて書かれている本などご存知でしたら教えてください。この事を理解できたら今の苦しい自分が少し楽になるような気がします。

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