攻撃のボールを投げられたら?

イギリスもやっと天気がすこ~し夏らしくなってきました。たまにロンドン市内へ行くと、2012年のオリンピックに向けて、あちこち道路工事中です。チケットを買うのはものすごく大変らしいですよ。(家でのんびりテレビを観る派

さて、万が一・・・と思い、下記のコメントにお返事させていただきます。コメントありがとうございます!

これまで、腹が立って相手に死ねと思う時、同時にすごい罪悪感や恐怖でいっぱいでした。こんなこと、堂々と言った方はあゆかさんが初めてです。皆、死ねなんて悪いことと非難しますから。新鮮ですっきりです。思いっきり、死ねとか思って自分に返ってくるのじゃないかまだ、不安だけど、あゆかさんがそうされてるなら大丈夫!ですよね。今度からとことんやりたいと思います. (意味がよく分からない方、“怒りの解放の仕方”もぜひお読みください)

そういう思いがあるのなら、100%認めて、その思いが自分の中にあることを許してあげたほうがいいですね。ただ、これだけ読むと、「腹が立ったとき、相手に死ねととことん思って良いと」私が書いたように見えるのですが、そういうことではないんです。もしかすると、このコメントの方もそれは分かっていらっしゃるかもしれませんが、念のため書かせて頂きますね。

前にも書きましたように、怒りの解放は「体の運動」ですので、「思う」という思考活動ではないんです。相手に死ねととことん思うと、おそらくものすごく苦しくなると思います。なぜなら、「相手が悪い」と信じ切っている状態だからです。

そうではなく、体から怒りのエネルギーを出すために、もし、体が拳骨を振り回したかったり、足蹴りをしたかったり、などなどしたら、自由にそうさせてあげましょう、ということです。そして、「体」に集中することで、思考はなくなっていくはずです。

私が怒りを解放しているときも、体に全集中していますので、首を絞めるような格好をしていても、そこに相手はまったくいません。私の意識にあるのは、腕の筋肉の感覚だけです。

そして、もう一度強調しますが、怒りはすべて投影ですから、相手は無実ですね。「誰かが私に~~をした、私は犠牲者だ」「~~は、~~をするべきではない」、または「~~すべきなのにしていない」などなどといったストーリーがあるため、私たちは腹を立てるわけです。

私たちが真実(=幸せ=愛)へ近づくための第一歩は、「怒りを生み出しているのは、自分であって相手ではない」ということです。ということで、下記のコメントに移ります。コメントありがとうございます!

本当に長い間強い感情を持ち続けていて苦しい年月を過ごしています。怒りを通り越した憎しみです。怒りやショックが積もり積もった憎しみです。その感情は,明らかに私の心身にダメージを大きく与えるのを実感します。これ以上自分自身を傷めつけないために,その憎しみの相手に,以前は我慢するだけでしたが,今は相手の行動が私を壊していくことを何とか伝えるよう努力してきました。感情的にならないよう気をつけながら。

相手の行動に対して、自分がどう思うか、感じるかが苦しみを生んでいるんですね。相手は~~すべきではない、と私たちが思うとき、同時に、だから相手は変わるべきだと必ず思っているはずです。でも、もちろん相手は変わりません。なので、さらに苦しくなり、憎しみも生まれてきます。

例えば、相手が計算高く私をだました、ものを投げつけてきた、約束をいつもやぶる、などなど、そりゃぁ頭に来るよねということがあると、私たちは「正しさ」(そんなことしてはいけない、あってはいけない)の罠に落ちて、そこで苦しみます。

で、もちろんそんなことないほうが良いのですが、現実はすでに「起きている」または、「起きてしまった」わけです。そして、私たちの思考はここで、相手へ飛んでいきます。”なぜ、そうするのだ。きっと~~と思っているからに違いない。”、”きっと~~な問題を抱えていて、だから~~するんだ。~~という本でも読んで、もっと自分に気がつけば、こういうことをやめてくれるかもしれない”などなどと、すっかり相手の自己改革プランまで考えていたり・・・。

または、自分を経由して相手へ思考が飛ぶ人も多いでしょう。”私が~~だから、きっとあの人は~~するんだ”などなど。いずれの場合にせよ、自分の苦しみの源は、相手です。

これが、私たちのエゴの働きです。ちょっとここでイメージをしてみてください。誰かがあなたに「攻撃」と書いてあるボールを投げたとします。それをあなたは受け取りました。なので、今そのボールはあなたのものです。もう相手のものではありません。

さて、このボールをどう扱うかは、今あなたの手中にあります。相手に投げ返すか、ぽろっと手から落として忘れるか、または、そのボールで一人で運動してどこかに遠く飛ばすか、または、じっと抱えたまま、表向きは抱えていないふりをするか。などなど。

上のなかでどの方法が一番、怒りと苦しみを生まないでしょうか?

相手に、”こんなボールを投げるべきではありません!”、”一生私にボールを投げないでください!!”と要求しても、相手は投げ続けてきます。なぜなら、相手の中にそうする理由があるからです。

で、その理由自体は、あなたは知らないかもしれませんが(本人が知らないことも多いので)、ただなにか理由があるのだなということだけは知っています。相手は、何らかの理由があって、このボール投げがやめられないのだ、そうか・・・。じゃぁ、一番楽な方法は、相手のボールを受け取るのをやめることだ、とあなたは気がつきます。

なので、次からは、あまたは体をよけて、ボールをやり過ごします。そして周囲を見回すと、ボールを受け止めているより、よっぽど楽しいことがあることに気がつきます。そして、あなは相手への怒りはもうまったくもっていません。

なぜなら、あなたは何も脅かされていないし(→投影、つまり怒りの根源)、完全に相手の問題だと分かっているからです。

私たちのなかに恐れがなければ、怒りも生まれてきません。ですから、私たちがなにか、またたは誰かに腹を立てたとき、それが教えてくれていることは、「ここにあなたの恐れがありますよ。なんでしょうね?見てみませんか?」ということです。

そこで、私たちは自分の中の「癒されていない心の傷」、「深いレベルでの恐れ」、「真実ではない思い込み」などが、見えてくるわけです。そして、それを癒したり解放したりすることで、フィルター(投影)がなくなり、どんなボールも受け取らずに、やり過ごせるようになっていきます。

もちろん、それまでは、相手に「そういうことはやめてください」と自分の意思を伝えるのもまったくOKです。そのときの自分のペースに合わせて、“なにをしたら、今私は私に愛をあげられるか”を基準に行動していけば良いでしょう。ただ、相手がそれでやめてくれるかは、保障はありませんね。

私も癒しの旅の途中にいますが、一つ自分の投影から解放され、真実(愛)が見えてくるたびに、そこには、それまで見えていなかった平和、愛、豊かさ、可能性がいつも広がっています。

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攻撃のボールを投げられたら?」への4件のフィードバック

  1. あゆかさん、いつもありがとうございます。
    怒り、憎しみ・・持っている自分が嫌になっていましたが、
    あゆかさんのお陰で、その感情と向き合うことが少し
    できるようになりました。
    この数年、周りと仲違いをすることが増えてしまい、自分の性格が
    悪いから、荒々しいからこうなった、と思っていました。
    とはいえ、通勤途中にふと相手に対する怒りに震えてどうしようもない
    ときがあり、そんな時は怒りの波に飲まれ、鬼になるのです。
    今までは流されるままでしたが、その怒りを自分の子供のように
    見つめその怒りをあゆかさんに教えていただいた方法で解放して
    認めてあげることができました。
    まだまだ表面的なお話で、前回のブログであゆかさん自身のご経験と
    して書いて下さったようにはいかないので、これからじっくり取り組んで
    いきたいと思います。
    今秋の御出版、11月のセミナー、心待ちにしております。

  2. 相手の自己改革プラン、思い切りやってました。攻撃ボールが来たら・・一生懸命ポンポンと自分で受けて、違うところにける、と考えたのですが最初からよけて良いんですね。新鮮でした。前回怒りを解放をやってみたんです。私の心の中ではボコボコに相手をしてました。でも途中からそれは個人に対してではなくなりました。終わった後は、誰に対して何に対してだったのか原因が消えていました。

    教えていただく中でこれなら今やれる、ということを続けていこうと思います。

  3. あゆかさん、質問があります。
    最近のポストで怒りの手放し方を丁寧に教えて下さいましたが、
    嫌悪感の手放し方ってありますでしょうか…………。
    今この問題で非常に悩んでます。
    近しい身内に対して、どうしても嫌悪感を持つのが止まりません。
    具体的に言うと姉なのですが、、、すごくつまらないことなんですが、
    アラサーの姉が、何か焦ってしまったのか、最近
    拗音で話したり、しなを作ったりという言動を繰り返していて、
    それに対して「気持ち悪い!」と思ってものすごく嫌悪感を持ってしまう自分がいます。
    家族に対してそういう気持ちでいるのがとてもイヤです。
    これまであゆかさんの本で読んで、怒りや悲しみにフォーカシングがとても有効だったので
    試してみたりしたのですが、この嫌悪感はテコでも動きませんでした(;゚∀゚)
    他人の行動に対して、必要以上にあれこれ思ってしまうという事は、
    私が姉に対して、健全な境界線が引けていないのでしょうか。
    自分が非常に心の狭い人間に感じて、自己嫌悪も感じてしまいます。
    姉には姉の人生や選択があるので、姉に変わって欲しいとは全然思わないのですが、
    自分のこの嫌悪感とどうつきあえばいいのか、皆目見当がつかなくて途方に暮れています…。

  4. さすがあゆかさん!ボールに例えるお話、すごく分かりやすかったです。。。
    そうだよな~そうだよな~と思いながら、腹を立ててる自分がいました。
    家族相手だとすぐにボールを投げ返したくなるのですが、その衝動も含めて
    見つめようと思います。

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